Pick Up(17/10/15)|ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ 2017 in 東京ミッドタウン|丘山万里子
ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ 2017 in 東京ミッドタウン
Reported & Photos by 丘山万里子( Mariko Okayama )
東京ミッドタウン(六本木)の芝生広場に出現した巨大移動式コンサートホール「アーク・ノヴァ」(「新しい箱舟」の意)。紫の円形アーチが夜目にもインパクトだ。
2011年の東日本大震災の翌日、ルツェルン・フェスティバルの芸術総監督M・ヘフリガーがKAJIMOTO代表取締役社長、梶本眞秀に安否を気遣う電話をしたところから生まれたのがこのアーク・ノヴァ。「アートを通して希望と信頼を築く」(ヘフリガー)被災地支援プロジェクトとして磯崎新、アニッシュ・カプーア(現代彫刻家)らとの協働のもと、風船のような移動式ホール(1時間ほどの送風で膨らみ、折り畳んでトラックで輸送できる)が実現、2013年松島、2014年仙台、2015年福島の3カ所でコンサート、公開レッスン、ワークショップなどが開催されてきた(延べ19,000人動員)。
今回、21_21デザインサイトの「“そこまでやるか”壮大なプロジェクト展」の一環として、震災の記憶を風化させない、との願いとともに東京に登場、被災地での活動の様子のパネル展示、映画、7つのコンサート、トーク、シンポジウムが行われた。1000~1500円のチケット代金の一部は復興支援に寄付される。
私が行ったのは10/4夜のコンサート&シンポジウム(19:00~20:45)。
内部はワインレッドのドームで、どことなくガウディのグエル公園の回廊を思わせる。客の出入りはのぞき窓付きの回転ドア2箇所から。ステージに向かい、木のベンチ(その一部は津波の塩害と地盤沈下によって伐採された瑞巌寺の参道杉とのこと)が緩やかな斜面に並び、キャパは494名で当夜は満席だった。
客層はなぜか圧倒的に若く、六本木ということもあろうか、ファッショナブル。
演奏は来日中のルツェルン祝祭管弦楽団のトランペット(ラインホルト・フリードリッヒ)、フルート(アンドレア・レッチェル)にピアノ(竹沢絵里子)でラヴェル、ピアソラからビゼーまで6曲。音響面の工夫もあるようでさほど違和感はなく、とりわけトランペットの響きがドーム全体から回り込んでくるようでなかなか心地よい。
曲目がどれも軽めということで、みんな熱心に聴き入り、楽しんでいる。とりわけ最後のビゼー『カルメン幻想曲』は、熱演に盛んな拍手が送られた。
アンコールもフリードリッヒのトークに大盛り上がり(ライブ感覚)。
休憩なしで後半のシンポジウムが始まったが、会場を埋めた聴衆の6割あまりがその場に残り、ヘフリガー、梶本、小林香(福島市長)の3人の話に耳を傾ける。コンサートが終わったらかなりの数が帰るだろうと思っていたので、ちょっとびっくり。
「芸術ができること」のタイトルで語り合う、というのに私も期待したのだが、大半がアーク・ノヴァ実現までの経緯の説明で終わったのはいささか残念だった。芸術ができること、なんてあまりに大きく深いテーマだから、仕方ないか、とは思うものの。
ヘフリガーが「震災の状況を映像で見て激しいショックを受け、何か自分たちにできないかと思った」こと。梶本への電話から、磯崎、カプーア、スイス大使と、アイデアが形になってゆくのを梶本は「人の想いが連鎖的に反応してゆく」と言った。
小林は2013年福島市長選で原発事故後の対応・復興への不満を受け皿に、現職に勝利した人だが、復旧の途上にあること、除染問題などを抱えつつ「市民が安心して住める環境作り」を訴えた。福島での開催に「津波や原発で傷ついた心がいっとき辛さから解放された」、音楽の力に「ともに明日から頑張ろうか、という気持ちになった」と語ると拍手が起きた。
被災当事者でない人間に何ができるか。「芸術にしかできないことが何かある」のかどうか。
この種の復興支援イベントは偽善や自己満足、はたまた自己顕示欲、と見られがちだが、できることをできる人が、やりたいことをやりたい人が、節度を持ってやる、とにかく関わり続ける、それは、そうした方がいいと私は思う。
こういう大掛かりな、見えやすい形でなくとも、人の想いは無数に、それぞれの形になって動いているはず。
放射能汚染に分断される福島の人々の苦悩など、部外者にはわからない。子供達の未来への切実な不安を、共有できるわけがない。
この場に集い、披露されるエピソードにその都度、拍手する若者たちが、何を感じ、考えるか、そんなことはわからない。
でも、少なくとも関心を持ち、熱心に聞き、シンポジウム途中で帰る人がほとんどいなかったということは、何かを伝え、残したのかもしれない。
アーク・ノヴァのプロジェクトを梶本は「人間の良心の具現化となったかも知れない」と言っているが、ある意味、そういう美しいバルーンを上げるのは、米・北朝鮮の罵声の応酬、フェイクニュース垂れ流し、目先ばかりの節操なき政治家たちが跳梁する今日の鬱々たる世情に、悪いことではなかろう。
ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ/アーカイブ
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