2017 セイジ・オザワ 松本フェスティバル オーケストラ・コンサートAプログラム|藤原聡

2017 セイジ・オザワ 松本フェスティバル オーケストラ・コンサートAプログラム 

2017年8月20日 キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)
Reviewed  Photos by 藤原聡( Satoshi Fujiwara 

<演奏>
サイトウ・キネン・オーケストラ
指揮:ファビオ・ルイージ 

<曲目>
マーラー:交響曲第9番 ニ長調 

 

ファビオ・ルイージの松本におけるサイトウ・キネン・オーケストラ(以下SKO)登壇は2014年から今年で連続4回目となる。ヴェルディの『ファルスタッフ』で初登壇を果たした2014年の後、ルイージは2015年、2016年とマーラーの交響曲第5番、第2番『復活』をそれぞれ取り上げた。果たして、今年は同じくマーラーの交響曲第9番。過去2回のマーラーは非常な名演奏だったとの評判は様々なファンから漏れ伝わって来る訳であるが、今年はこの作曲家の最高傑作である第9番、とあれば松本まで馳せ参じる他あるまい。今年4月のN響客演時に初めてルイージの実演に接して以来(そこでもマーラーである。曲目は『巨人』)、この指揮者の稀有な資質に瞠目させられてからと言うもの、出来る限り実演に接したい指揮者の1人となってしまったのだった。今回セイジ・オザワ松本フェスティバル(旧・サイトウ・キネン・フェスティバルからも含めて)「初参戦」の筆者である。 

さて、これはもう圧倒的な聴体験だったと書く他ない。ためらいなく書くが実演で体験したマーラーの交響曲第9番で最高の演奏である。筆者は当初、SKOについて「名手を集めたとて必ずしも良いオーケストラになる訳でもあるまい」などと思っていたところもある。なるほど、小澤征爾の指揮した数々の録音を聴けばその技術力は瞭然だが、「ただ上手いだけで〈表現したい何物か〉があるのだろうか?」などとうそぶいてすらいた。しかし、今回の実演に接してそのような懐疑は瞬時に吹き飛んだ。それはまずファビオ・ルイージの類稀なる統率力によるものだが、この曲で頻出する多声的・複声的書法に対する目配せがとにかく効きに効いており、殊に弦楽器群があまりに見事(タルコヴィやバボラクを擁した管楽器群の安定感と輝きは言うに及ばず)。5声部がそれぞれ明確に自分の役割を意識して自発的に演奏し、(2nd vnとvaの存在感!)しかもそれが全体的な合奏として有機的にまとまっているが、ルイージもさることながらSKOなればこそここまで雄弁足りえたのだろう、と感嘆する。そのうねりと厚み、音の密度、それに伴う感情の持続と高揚、躍動。そしてそういう状況ではともすると保たれなくなりがちな音響の明晰さと音の美しさ(第1楽章の後半に差し掛かる「Bewegter」から「Mit höchster Gewalt」辺りは混沌と明晰が恐ろしいレヴェルで融合していた!)。これは、繰り返すがSKOの技術力がなければここまでの高みには到達していないような音楽である。ルイージの指揮はこれ見よがしな感傷や大上段に振りかぶった大げさな感情移入こそ見せないもののその独自のエモーショナルな没入ぶりが独特であり、しかしそれはバーンスタインの演奏の代表されるような「物語」からは自由だと感じられる。マーラーのエクリチュールを虚心坦懐に誠心誠意読み尽くしたルイージの献身を感じると同時に、そこに立ち表れる音楽はルイージという指揮者の存在を透明にし、いかなる夾雑物も含まない「マーラー」そのものが現前していた。これが稀有だ。何せ「マーラーそのもの」、もっと言えば「音楽そのもの」なのだから。小澤とSKOの演奏だってそりゃあ「音楽そのもの」だろう。しかし、小澤が「美しい音楽」の領域に留まっているとすれば、ルイージも耽美的ではあるがその徹底度が極められているが故にその美自体が狂おしいまでにその音楽の本質に直結している(これで説明出来ている自信がまるでない)。 

この調子で書き連ねると恐ろしく長文になりそうなので第2、第3楽章の記述は割愛させて頂くが、第1楽章と並ぶこの曲の顔たる終楽章がどれほどまでに感動的なものとなったかは書くまでもなかろう。テンポは極めて遅く、慈しむようにその音の綾を丹念に絡ませていく――言葉で書けばやっていることは他の指揮者とて同様だろうが、そのフェティッシュな拘りと暗いパッション、そしてそれを具現化させられる技術と徹底度が他と違うのだろう。これはもうルイージの天性としか言いようがないが、しかしその音楽は狂ったように熱狂している訳でも逆に冷静過ぎる訳でもない。決して異形の音楽にはなっておらず、ただただ当たり前にそこにあるように自然だ。フォルムとパトスの余りに幸福な一体化。これがルイージの音楽の「キモ」なのではないか。 

終演後の拍手喝采は実に凄まじく、そのカーテンコールでは一旦袖に引っ込んだ指揮者と楽員全員が2度に渡って再度全員で登場した。その光景は大変に美しく感動的なものであり、そしてそれに相応しい演奏だったと思う。来年のSKO登壇はないとの噂も聞くルイージだが、今後可能な限り松本に来演して欲しい、そう願うのみ。