五線紙のパンセ|その3)活動の現場で|鈴木輝昭
その3)活動の現場で
text by 鈴木輝昭(Teruaki Suzuki)
合唱音楽、この分野の特異性の一つとして数えられる要素に“声の年代”という概念を私は強く抱いている。
音楽芸術の世界では、器楽でも声楽でも、幼少の頃から優れた才を発揮する例が少なくない。しかしそれが、完成し成熟した芸術家の姿だと捉えられる事はなく、芸術家としての本当の成長は、その人となりの年輪を重ねて行く先に期待されるものだろう。
一方、合唱音楽にはそうした年齢値、経験値による絶対性とは異なる範疇で成立する表現の領域がある。ウィーン少年合唱団や教会聖歌隊などに見られる、所謂少年や少女の歌唱である。それが真の意味でのプロ音楽家の活動とは言えないかも知れない(興行収入という観点からすれば正しくプロである) が、10代の限られた年齢の声によってしか作り出せない響きにも価値が求められているのは確かなことである。
即ち、成人以上の大人の声による合唱が完成された唯一の合唱形態ではない。成人する前の年齢層の声、我が国の編成形態で言えば、児童、少年少女、中学生同声/混声、高校女声/混声/男声、など大人への過渡期の歌唱としてではなく、其々の年代の声によってしか実現し得ない響きがあり、この年齢の投げかけるリアリティーによってしか表出し得ない音がある。
これこそが合唱音楽の魅力を多層的に拡げる特異性であり、そこには音楽の、創作上の可能性が無限大に拡がっている。
彼等の活動の場は、日本ではNHK東京児童合唱団のように放送局に併設された組織や自治体及び私設の団体が主であるが、なにより、小・中・高の教育機関における部活動としての展開が圧倒的多数を占める。
私の合唱作品の作曲・創作も、こうした10代の声を対象としたものが多く、彼等の活動によって刺激され、触発を受けて成立した音楽は計り知れない。
20代の半ばから終わりにかけて2管編成のオペラ《オリザのねがい》’83 と《双子の星》’88 を書いた。其々2時間を有する作品だが、どちらも児童合唱がコロスのように持続を支配する部分が多い。このオペラを皮切りに私設の児童合唱団や放送局の児童合唱団のために組曲作品を作曲するようになった。
《みち》《モーツァルトの百面相》《森へ》《うれしいなクリスマス》《みみをすます》《イーハトーヴ組曲第1集》《5 songs of nonsense》《がっこうのうた》《朗詠譜》《じゅうにつき》《夢の木》で、無伴奏のものから管弦楽を伴うものまで編成は多様である。
この間、現在に至るまで中学校同声/混声の委嘱も受けて《7 songs of nonsense》《Tir na nOg》《幻の風・光の海》《梟月図》《サーカス》《古事記頌歌》《春と修羅》《薤露青》《とおく》を書いた。
さらに高校女声/混声/男声の委嘱にも応えて《女に第1集》《女に第2集》《古謡三章》《火へのオード》《詩篇》《恋歌秘抄》《譚詩頌五花》《うたの遊星》《源氏幻想》《五つのエレメント》《智恵子抄》《竹取物語頌》《カムイユカラ》《わたしは阿国》《ミサ曲》《和泉式部日記》《PSALMUS》《妖精の距離》《イエーツ・譚詩》《シェイクスピア・十二夜》《地上楽園の午後》《雨月物語・断章》《宇宙天》《内部への月影》を作曲している。
ここに大学合唱団、一般アマチュア合唱団、プロ合唱団のために書いた作品は含まれていないが、テキストに関しては母国語であっても現代詩・文語詩・古文・方言など対象は様々で、他にも楽想に応じて諸外国の言語を扱ってきた。10代の感性は柔軟性に富み、あらゆる言語を音楽を通して抵抗なく享受する。また、特に日々の部活動によって練磨された技術と表現には確かな説得性と比類なき実現力が備わっている。
独自の文化圏とも言える中高生の合唱が真の芸術的意味を有するには、その年代のために書かれた音楽がなければならない。その年代の声・響きによって演奏された音楽が、最も輝きを放つものでなければならない。10代のための音楽には、大人の目線から押し付けられた限定的で安易な素材ではなく、絶対音楽、純粋芸術としての価値を満たす本質的な作品が求められるのである。そこには難易度や表現上の壁も制約も存在しない。彼らは貧しい既成概念を打破し、全てを凌駕して自らのものとする力を持っているのである。
しかし、その能力を信じ、引き出すためには優れた指導者の音楽的才と高い志、的確な洞察力、そして絶対的な“耳”が必要である。そうした指導・指揮者の存在は、残念ながら決して多くはない。
青少年の可能性を伸ばして行くためには、何より指導力の向上、指揮者の育成が重要であろう。
中学生・高校生のために作曲した合唱曲は、毎年開催される全国規模の合唱コンクールを見据えての委嘱作品である。コンクールへの向き合い方には様々な価値観があるが、演奏技術や音楽的水準を高めて行くためには必要な事業だと私は考える。
しかし、順位や賞に強く拘るコンクール至上主義も一角を占め、音楽の本来在るべき姿が軽んじられる様な演奏も少なくない。
中高生の選曲や表現に向けられる審査・評価の目も未だ画一的な先入観と偏見によるものが多く、純粋で高度な演奏が正しく評価されない例は後を絶たない。即ち中学生らしさ、高校生らしさ、のような得体の知れない属性が求められ、浅薄なメッセージソングやポップスといった産業音楽の世界とボーダーレスなものが当たり前のように横行し、受け入れられている。
歴史と共に発展し、より高い芸術性を育んできた流れ、文化的志向に対して逆行するような現実が、そこには在る。
幸いにも、私は多くの秀逸な音楽家、指導・指揮者との出会いに恵まれ、活動を共にしてきた。コンクールに向けての作品委嘱も大きなリスクを伴うものであり、そこに合唱音楽の新たな地平を共に開拓して行こう、という貴い意志と自覚がなければ達成し得ない事であったと思う。その情熱と信念に対して、私は常に敬意と感謝を抱いている。
合唱音楽に携わるあらゆる立場の人間の、音を聴く“耳”、享受する“耳”、評価する“耳”がさらに高められ、音楽本来の進むべき道、理想の姿を追い求めて行く場として合唱の領域が純粋に機能し、豊かに成長して行くことを願っている。
★作品情報
CD:『鈴木輝昭 合唱の地平Ⅳ』(NARD-5052)
日本アコースティックレコーズより2017年6月21日リリース予定。
収録曲/無伴奏同声合唱のための《Agnus Dei》、女声合唱とピアノのための《内部への月影》、混声合唱とピアノのための《宇宙天》、同声合唱とピアノのための《とおく》、2群の童声合唱とパーカッションのための詩曲《遠野幻燈》
楽譜新刊:
《内部への月影〜女声合唱とピアノための〜》(全音楽譜出版社)萩原朔太郎:詩/鈴木輝昭:曲
<曲目>Ⅰ.内部への月影/Ⅱ.蒼ざめた馬/Ⅲ.夢
委嘱・初演:福島県立安積黎明高等学校合唱団
http://shop.zen-on.co.jp/p/719142
《スピリチュエル Ⅱ 》~チェロとピアノのための~(音楽の友社)
http://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?code=491557
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鈴木輝昭(Teruaki Suzuki)
1958年 仙台生まれ。桐朋学園大学作曲科を経て同大学研究科を修了。三善晃氏に師事。第46回(室内楽)および第51回(管弦楽)日本音楽コンクールにおいて、第1位、2位を受賞。1984年、日本交響楽振興財団第7回作曲賞。1985年および1987年旧西ドイツのハンバッハ賞国際作曲コンクール、管弦楽、室内楽両部門において、それぞれ1位を受賞。以後、管弦楽作品がヨーロッパ各地で演奏、放送される。
1988年、仙台において、オペラ「双子の星」(宮澤賢治原作)を初演。1990年、第16回民音現代作曲音楽祭の委嘱による、二群の混声合唱とオーケストラのための「ヒュムノス」が初演される。1991年、村松賞受賞。1994年、演奏・作曲家集団〈アール・レスピラン〉同人として、第12回中島健蔵音楽賞を受賞。2001年、宮城県芸術選奨受賞。日本作曲家協議会、同人アール・レスピラン等に所属。2007年より、邦人室内楽作品による公演〈Point de Vue 〉(視座)を主催。合唱作品の多くが出版、CDリリースされている。桐朋学園大学音楽学部教授。東京藝術大学作曲科講師。