ヤノシュ・オレイニチャク〜エスプリ・ショパン〜|丘山万里子

ヤノシュ・オレイニチャク〜エスプリ・ショパン〜

2017年2月1日 王子ホール
Reviewed by 丘山万里子( Mariko 0kayama)
Photos by 横田敦史/写真提供:王子ホール

<曲目>オール・ショパン・プログラム
ノクターン 第20番 嬰ハ短調 遺作、第19番 ホ短調 Op.72-1
マズルカ イ短調 Op.17-4 、 ト短調 Op.24-1、 ハ長調 Op.24-2
バラード 第1番 ト短調 Op.23
ワルツ 変イ長調 Op.69-1、 ホ長調 WN18 、 嬰ハ短調 Op.64-2、イ短調 Op.34-2
スケルツォ 第2番 変ロ短調 Op.31
〜〜〜〜〜〜〜
「軍隊ポロネーズ」イ長調 Op.40-1
ノクターン 第13番 ハ短調 Op.48-1
マズルカ ホ短調 Op.41-1 、イ短調 Op.68-2 遺作 、 嬰ハ短調 Op.30-4 、 変イ長調 Op.17-3
前奏曲 イ長調 Op.28-7 、 ハ短調 Op.28-20 、ホ短調 Op.28-4
「英雄ポロネーズ」変イ長調 Op.53

<アンコール>
ピアソラ:オブリビオン
クープラン:恋の夜鳴き鶯
ショパン:ワルツ 変ロ長調 Op.64-1
ドビュッシー:前奏曲集 第2集 より「水の精」

 

2002年度アカデミー賞を受賞した映画『戦場のピアニスト』でピアニストの手と演奏をになったポーランドのピアニスト、ヤノシュ・オレイニチャクの7年ぶりの来日。
オール・ショパンで、サロンの演奏の即興性そのままに、曲目、曲順は適宜変更との告知がロビーに。

私は映画も見たし、本『ザ・ピアニスト』(2000年/春秋社)も読んだが、オレイニチャクは初めて。銀髪の美しい気品ある姿で、まずさらりとピアノの音を確かめるように下から上まで鳴らしてみて、取りかかったのが、ノクターン遺作。たいていのピアニストが、ここぞ、みたいなところで弾く曲。それを・・・。指先が静かにキイに沈む、その重さに応えて響き上がる和音一つ一つの、翳りを帯びた音色の移ろい。呼吸。そうして、いつ聴いても、魂を震わせるあの歌が虚空から降りてくる。中間部を経て、また、の時は、いっそう敏感に。最後の最後の、右手の音階の上下行の4回をどんな風に弾いたか。吐息、にもこんなに違う色々な想いが込められているんだ、と知る。

それからマズルカ3曲。後半でも4 曲あったけれど、これらのマズルカは特別だった。ウィンナ・ワルツに特別な感覚があるように、ショパンのマズルカは、えも言われぬ左手の放物線がある。独特のタッチが生む弾みと、宙を舞う音形のしなやかなライン。
たった1,2,3のリズムのことだけれど、なんて微妙にオレイニチャクはそれらを弾き分けたことだろう。それに、その上にのって行く旋律線も、私はポーランド語を知らないけれど、ああ、ポーランド語で歌う、語る、つぶやく、ささやく、叫ぶというのは、こういう感じなんだろうな、と思った。
例えば、「0p.24-1」。冒頭アウフタクトから付点音符に触れ、主音からオクターブ昇って、そこから装飾音みたいに降りるまでのフレーズと左のリズムの揺れ具合。

オレイニチャクのショパンには、誇張とか、思い入れとか、小細工とか、演出とか(なんと多くのピアニストがそれらでショパンを塗りたくることか)が一切なくて、必要最小限のことしかしない。音は硬質で、時にそっけないくらい。それが全部、必然的であって、それ以上でも以下でもない、というところで鳴っている。実に端正。裸形のショパン。
2つのポロネーズも、抑制された激昂が音の内圧となって現れる。
『英雄ポロネーズ』の前に置かれた3つの前奏曲の中でも、「Op.28-4」は左の和音連打の色合いの変化につれて浮かぶ寂寥の調べが無類だった。

アンコールになったら、雰囲気が一変。
ピアソラはものすごく甘くて、ちょっとセンチメンタルで、同じピアニストとは思えないくらい。クープランは思い切り装飾音やトリルの波を愛らしく聴かせ(フルフルと貴婦人の帽子の羽根飾りが風に揺れる感じ)、弾き終えたら、いい子だね、というようにピアノを軽くポポンと叩いた。なんてチャーミング!(彼はショパンの装飾音やトリルも格別に綺麗に鳴らしたから、こういうのが好きなんだろう)
驚いたのはドビュッシーで、その音色の変幻自在、スーラの点描画に水をひと刷毛滑らせたみたいなあわあわした色調で、さっきまでの黒曜石を思わせるショパンの音との違いにびっくり。

そうか、今夜はショパンのサロンだった、と、ちょっと華やいだ気分になって夜の銀座を歩いた。一方で、排他的傾向を強める世界の動向の中、ポーランドという国の過酷な歴史と、望郷を胸にパリに没したショパンの位置について、オレイニチャクのピアノにもろもろ考えることがあったのも確か。