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ディートリヒ・ヘンシェル  バリトン・リサイタル|藤堂清

ディートリヒ・ヘンシェル  バリトン・リサイタル

2017年2月19日 トッパンホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)
岡原慎也(ピアノ)

<曲目>
シューベルト
  月に寄せるさすらい人の歌
  春の想い
  さすらい人
  野ばら
  孤独な男
  ガニュメート
  魔王
—————–(休憩)——————
シューマン
  リーダークライス op.39
————–(アンコール)—————-
シューマン
  二人の擲弾兵
  君は花のように
シューベルト
  ます
  セレナーデ
  孤独な男
  魔王
  音楽に寄せて

 

1967年生まれのディートリヒ・ヘンシェル、今年で50歳。1996年から1999年という彼のキャリアの初期には、日本で頻繁にリート・リサイタルを行っていたのだが、その後は本拠地での活動がいそがしかったためか、来日の機会が減ってしまった。前回の来日が2009年の東京・春・音楽祭であるから、8年ぶりということになる。
30歳代、40歳代の声が充実していたであろう時期に聴く機会が少なかったのは残念。ただ、今年は9月に再来日し、東京都交響楽団の定期公演、ハイドンの《天地創造》への出演が予定されている。

ヘンシェルの声は少し低めのバリトン、選択音では下を採ることもある。声自体は8年前と変わらず、つやがあり、ダイナミクスも大きい。ピアニストの岡原慎也は、初来日のときから共演を続けてきており、ヘンシェルとの呼吸もピッタリ。
この日のプログラムは、シューベルトとシューマンで編まれた。
前半のシューベルトは、音楽の流れに重きを置いた演奏。言葉も大切にした上で、作曲家が歌詞から読みだしたメロディーラインに丁寧に声を響かせていく。
たとえば、<さすらい人>の第3節の初めの二行、
  Wo bist du, (wo bist du,) mein geliebtes Land,
  Gesucht, geahnt, und nie gekannt,
前半はまったく同じ音形だが、二行目は違う言葉が当てられていることもあり、強めに歌われがちである。ここを、彼は言葉の響きを変えるだけで、その差を表現する。
有名な<野ばら>は、三節の詩を同じ旋律で繰り返す有節歌曲だが、”ein Röslein stehn,”、”Ich breche dich”という違いを、子音を強調するだけで、聴き手に分からせる。
ただ<魔王>では、歌う方向や声色を変えたりと、語り手、父親、子供、魔王という四者を、かなり意識的に歌い分けていた。

後半のシューマンの歌曲だが、彼がシューベルトよりも、詩の表面上の意味だけでなく、詩人が込めた政治的、社会的背景までをも抉り出して作曲していることもあり、演奏にあたり二面性を意識することも必要となる。アイヒェンドルフの詩によるリーダークライスも、ロマンティックな情景や心象風景の描写にとどまらず、自己や社会への分析的な目も感じられる。
第3曲の<森の語らい>、歌詞は森で出会った乙女(実はローレライ)と騎士の対話だが、彼自身が囚われているクララ・ヴィークへの愛、状況がよくならない結婚への道筋を反映している。
ヘンシェルの歌唱はシューマンの屈折した心理をよく表現していた。前半とはちがい、一つの言葉を強調したり、その中の子音を際立たせたりといった、細かな表現を行った。大胆なダイナミクスを付け、歌の表情も豊かであった。

聴衆の熱い拍手に応え、アンコールを7曲。<二人の擲弾兵>の語りの説得力、最後の盛り上げ方、圧倒的。<孤独な男>は「プログラムの中で歌ったが、大好きな曲なのでもう一度歌わせてほしい」、<魔王>は「岡原さんのすばらしいピアノをもう一度聴きたいと思いませんか?」といったコメント付きで歌われた。<音楽に寄せて>で、場内の興奮を鎮め、コンサートを締めくくった。