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福間洸太朗 ピアノ・リサイタル|藤原聡

福間福間洸太朗 ピアノ・リサイタル ~トランスフォーメーション~

2016年6月1日 ヤマハホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fijiwara)
Photos by Ayumi Kakamu/写真提供:ヤマハホール

<曲目>
J.S.バッハ(E.ダルベール編):パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582
モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397(385g)
シューベルト:さすらい人幻想曲 Op.15,D760
グラナドス:組曲『ゴイェスカス-恋するマホたち』より
第1部より第4曲「嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす」
第2部より第5曲「愛と死(バラード)」
スケルトン:『ジョニーが凱旋するとき』の主題による25の変奏曲
(アンコール)
サティ(福間洸太朗編):ジュ・トゥ・ヴ
シャリーノ:アナモルフォシ
リスト:パガニーニの主題による大練習曲第6番「主題と変奏」
同:愛の夢

実に端正な、それでいてスケールの大きいダイナミックな音楽を奏でるピアニストだと感じた。福間洸太朗のこの度のピアノ・リサイタルではアンコールも含め実に多彩なレパートリーを繰り出してくれたが(それゆえ変容を意味する「トランスフォーメーション」をサブタイトルとしたのだ)、共通する大きな印象は冒頭の通り。また本当に達者である。女性客を中心にチケットは完売、福間の人気のほどが伺い知れる。

バッハのパッサカリアとフーガが1曲目。もとより原曲がオルガンであるためピアノでの声部の弾き分けは至難の業だと思われるが、ここでの福間は非常に明快なテクスチュアで聴かせ、それ自体が賞賛に値する。これだけ「弾ける」ピアニストもそう多くはないだろうが、その反面、迫力で押したとも言え、いささか「味わい」には不足した感もある(これは編曲自体にも由来するだろう)。

2曲目はモーツァルトの幻想曲。個人的にこの曲について感じるのが、後半その音楽はニ長調へと変わるのだが、前半の重々しいニ短調の世界からすると空々しいようないきなりの快活な明るさであり、どこかにこれ見よがしなわざとらしい気配があるのだ(そのわざとらしさが駄目だとか嫌いとか言っているのとは違う)。大体はどのような演奏を聴いても多かれ少なかれそういう印象が感じられるのだが―ポゴレリッチなどのひたすら重々しい物体がのろのろ這い進むような、曲頭から異常な演奏は別として―、当夜の福間の演奏は違和感がない。恐らくは音楽の流れがあまりに自然でさりげないので、自ずと説得されてしまうのだろう。個人的な好みからすればより「モーツァルトの例外的な異常性」「パトス」を感じさせるような演奏が好みではあるが、実に高水準の演奏だったのは疑う余地がない。

前半最後の曲はシューベルト。スケールが大きく健康的な演奏であるが、はっきりと書けばシューベルト的なロマン性や内面性はやや希薄である。しかし、まだ若い福間に今からあまりに老成されても逆に困るわけで、この溌剌とした「ピアニズムの極致」とも言いうる演奏には別種の魅力が詰まっている。

後半はグラナドスの『ゴイェスカス』からの2曲。これは掛け値なしの名演! 前半の古典派~初期ロマン派の楽曲たちでは、曲がシンプルであるが故に福間の技巧が技巧それ自体のために奉仕してしまう構造があったように感じるが(つまり、そのためにモーツァルトが逆に自然に聴こえたということだ)、グラナドスのように爛熟した多層的テクスチュアを持つ曲では、その技巧を発揮することがイコール曲の精神世界をかなりの深さで表出することとなる。恐らくこれらの曲に元々思い入れもあるのだろうが、表情の濃厚さと彫りの深さ、激情、どれをとっても最高(に近い、と敢えて控えめに書いておく。本当の「最高」はより円熟した未来の福間に出るだろうから)。

最後の曲がまたレアである。スケルトンの『ジョニーが凱旋するとき』の主題による25の変奏曲。スケルトンはミシガン州立大学のピアノ科教授で、ピアニストで作曲家とのこと。楽譜は未出版で、スケルトンと親交のある福間が直に譲り受けたのだという。作曲年は1988年。パンフレットの道下京子氏の解説によれば「このメロディ(『ジョニーが凱旋するとき』:筆者補足)を主題とし、25の変奏が繰り広げられる。変奏は、主題を反復するなどシンプルに始まり、半音階を組み込んだり、同じ和音進行による変奏、さらに音型の拡大や鏡像カノンなど、様々な変奏技法によって展開してゆく」(作曲者の念頭にはジェフスキの『不屈の民』変奏曲があったような気がしてならないが)。

この曲がまた滅法面白く、演奏も福間の魅力ここに極まれり、という感じである。曲中にはカノン、シチリアーノやブルース、ジャズなど用いられているが、これらを板に付いた形で音化、最高の切れ味を誇る技巧でいとも鮮やか、かつリズミカルに次々とクリアしていく様はほとんど痛快ですらある(途中、フィンガースナップの音があまり出なかったのはご愛嬌)。当夜の白眉はグラナドスとこれ。

アンコールは大サービスの4曲。中では「6月で梅雨の季節ですが、雨が降りませんね…」との前フリから飛び出した曲、ラヴェルの『水の戯れ』のアレンジかと思いきや『雨に唄えば』が登場、この2曲を再構成してこねくり回したシャリーノの『アナモルフォシ』が愉快(しかしシャリーノがこんな小粋な小品を書いていたとは)。

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