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新国立劇場 《ローエングリン》|藤堂清

ローエングリン新国立劇場 《ローエングリン》

2016年6月23日 新国立劇場
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)

<スタッフ>
指揮:飯守泰次郎
演出:マティアス・フォン・シュテークマン
美術・光メディア造形・衣裳:ロザリエ
照明:グイド・ペツォルト
衣装補:レナーテ・シュトイバー
舞台監督:大澤 裕
唱指揮:三澤洋史

<キャスト>
ハインリヒ国王:アンドレアス・バウアー
ローエングリン:クラウス・フロリアン・フォークト
エルザ・フォン・ブラバント:マヌエラ・ウール
フリードリヒ・フォン・テルラムント:ユルゲン・リン
オルトルート:ペトラ・ラング
の伝令:萩原 潤
ブラバントの貴族Ⅰ:望月哲也
ブラバントの貴族Ⅱ:秋谷直之
ブラバントの貴族Ⅲ:小森輝彦
ブラバントの貴族Ⅳ:妻屋秀和
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
協力:日本ワーグナー協会
芸術監督:飯守泰次郎

主役に人を得れば、他のことはまったく気にならなくなる。他の音楽分野に較べれば、オペラにはそんな<いい加減な>ところがある。

クラウス・フロリアン・フォークトが、白鳥のコンテナに乗って歌いながら降りてきた第1幕の後半から、身分を明かし立ち去る第3幕のエンディングまで、響きだけにおさえた弱声からどこまでいくのかと思うほどの強声という広いダイナミックレンジを活かした歌で、さらに言えば舞台映えのする姿で、この日の舞台全体を支配した。
エルザのマヌエラ・ウール、オルトルートのペトラ・ラングも、彼の音楽に引っ張られるように、活き活きとした表情を歌いだしていく。第3幕第1場での、禁じられた問いに至るローエングリンとエルザの緊迫したやりとりには圧倒された。

今回上演されたプロダクションは、2012年6月1日に新国立劇場で初日をむかえた。主役クラスでは、タイトルロールのクラウス・フロリアン・フォークトのみが共通で、エルザ、オルトルート、テルラムント、国王の4役は全員入れ替わった。指揮も、ワーグナー指揮者として知られるペーター・シュナイダーから、現音楽監督飯守泰次郎へと変わった。演出はマティアス・フォン・シュテークマン、今回の公演でも来日し、舞台作りに携わったという。 舞台背後の格子状の照明の色が場面に応じ変化していく、グループを衣装によって明示するといった<見た目>に美しい舞台は、演出の<謎解き>をする必要がなく、ストレスを感じずに音楽に専念できる。ただ、この演出家、集団の動きがまるで整列した児童のようで、少し工夫がほしい。第3幕の冒頭でローエングリンとエルザを導く女性たちの頭についているものが「せんとくん」のパクリとも見えたが、4年経ってみるとこのキャラクター、どこへいってしまったか・・・・その時その時の<はやり>を取り込んでしまうと、演出を継続して使うときに困難が生じることもあるし、<いまさら>、と見られるケースもある。再演というのも簡単ではない。

歌唱という点では今回の演奏、十分満足できるものであった。フォークトの声はどの音域でも明るく響く。また、言葉が鮮明でわかりやすい。昔風のヘルデン・テナーとは異なる味わいである。46歳の彼が、自分のスタイルを確立してきていることは間違いない。 マヌエラ・ウールのエルザ、第一幕の登場の歌「エルザの夢」では、後半の騎士に言及する部分もふくめ、メリハリに欠けるまだ<夢>の中にいるような歌い方であった。それが「白鳥の騎士」の登場以降、スイッチが入ったように明確なものとなる。彼女もフォークトと同世代の45歳、2005年にベートーヴェンの『レオノーレ』(新日本フィル)のタイトルロールで聴いて以来だからほぼ10年ぶり、良い時期の来日となった。ウールは演技の面で、言葉に自然に反応するのもよいところ。オルトルートの歌の間に、はっとする様子をみせたりとかなり細かい。
ペトラ・ラングは53歳、ワーグナー歌手としての地位を確立している。第2幕でのテルラムントとエルザを言葉の力だけで手玉にとる様子、敵役にふさわしい。
その他の男声が今回は力不足。テルラムントのユルゲン・リンはバイロイト祝祭歌劇場での実績もある歌手だが、声に張りがない。

いろいろ不満はあったが、フォークトという絶対的エースの存在で、結果オーライというところ。様々な要素がからみあうオペラではありがちなことで、良い印象が残った。

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