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ミケランジェロ弦楽四重奏団 ベートーヴェン全曲演奏会第4回・第6回|藤原聡

micheミケランジェロ弦楽四重奏団 ベートーヴェン全曲演奏会(全6回)Vol.4~6

第4回 2016年2月16日 王子ホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ミケランジェロ弦楽四重奏団
ミハエラ・マルティン(第1ヴァイオリン)
ダニエル・アウストリッヒ(第2ヴァイオリン)
今井信子(ヴィオラ)
フランス・ヘルメルソン(チェロ)

<曲目>
弦楽四重奏曲第5番 イ長調 Op.18-5
同第9番 ハ長調 Op.59-3
同第12番 変ホ長調 Op.127

♪第6回 2016年2月20日 王子ホール

<曲目>
弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 Op.18-6
同第13番 変ロ長調 Op.130「大フーガつき」

やはり弦楽四重奏というものは聴き手のみならず、プレイヤーにとっても途轍もない魅力を持った世界なのか。我らが今井信子がそれぞれソリスト、教育者、室内楽奏者であるミハエラ・マルティン、ダニエル・アウストリッヒ、フランス・ヘルメルソンと2003年に結成したミケランジェロ弦楽四重奏団。昨年2月に王子ホールで全6回完結のベートーヴェン:弦楽四重奏曲全曲演奏会の第1回~第3回が行なわれたが、今年2月には第4回~第6回が行なわれた。そのうち、筆者は第4回、第6回を聴くことができた。

第4回(2月16日)のプログラムは『第5番』、『第9番<ラズモフスキー第3番>』、『第12番』だが、この中では『第5番』の演奏が最も優れていたと感じる。彼らは各パートのメリハリを強調するという解釈の方向性は取らないようで、細部にもあまり拘泥しない感じで4本の楽器を一体化させたマッスの響きと流れを優先しているような感覚があるが、それが初期の明朗で古典的な楽想を持つ第5番にはよく合っている。<ラズモフスキー第3番>においても、素晴らしい推進力を発揮した快演と言うに相応しい出来栄え。曲が求めているものに演奏が完全に一致している。

第6回(2月20日)は『第6番』と『第13番(大フーガつき)』。ここでも『第6番』では16日の『第5番』と概ね同様の印象の演奏だったが、いささか引っかかったのが16日の『第12番』、そしてこの20日の『第13番』。端的に言うならば、「流れが良過ぎる」。後期だからより「勿体ぶった」演奏をして欲しい、という事ではないけれども、例えば『第13番』。この曲は中期ベートーヴェンまでの、ソナタ形式によるいかにも弁証法的展開の極みとでも言うべき原理から離れて、全6楽章がまるでアフォリズムのように無造作にポン、と配置されているような不思議な曲で、それは第1楽章の冒頭のアダージョとアレグロの妙な交代からも明らか。彼らはこういう部分の対比をあまり生かさず、いかにも自然な流れで進めて行く。「ドイツ舞曲風」の第3楽章の主題提示もそうだし、第5楽章の「カヴァティーナ」では、突然別世界に迷い込んだかのような中間部の「beklemmt」(息が詰まるように)の箇所でも気分が変わらない。大フーガの気迫と力感はさすがに見事なものだったが、初期では生きた彼らの流れの良さが後期では逆にその特異性を殺いで必ずしも生かし切れていないように聴こえる。さらに言えば、初期曲では気にならない第2ヴァイオリンとチェロの音量と主張の若干の弱さが、マルティンの第1ヴァイオリンが非常に雄弁なだけに中期曲以降で気にならない、と言えば嘘になる(今井信子のヴィオラは、音量こそやや小さいもののそれを補う雄弁さがある)。

後期曲について筆者が先述したような傾向が、彼ら4人が常設団体ではないことによる「踏み込みの甘さ」に由来するものなのか、あるいは彼らの解釈がそういうものなのかはまだ判別し難い。しかし、この名手4人ならばさらに踏み込んだ演奏が可能という気がしてならない。あくまで、既に大変な高水準にある演奏だと喜んで認めた上、でのお話。

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