パリ・東京雑感|カテドラルの誘惑|松浦茂長
カテドラルの誘惑
text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
初めてパリのノートルダムを見たときの驚きは鮮やかに記憶に残っている。目の前に黒い異様な塊が立ちはだかり、不気味な威力で迫ってくる。まるで絶滅したはずの恐竜に町中で出会ったみたい。生まれて初めて日本を出た学生を、空港に迎えてくれた神父さんが何の説明もなくいきなりノートルダムの前に立たせたのだから心臓が止まるほどびっくりしたのも無理なかった。高村光太郎は「おうノオトルダム、ノオトルダム、岩のような山のような鷲のようなうずくまる獅子のようなカテドラル」と詠っている。光太郎は「毎日一度はきっとここへ来るわたしです」と告白しているが、カテドラルには人をおびき寄せる霊的引力が備わっているらしく、僕も通学の途中必ずノートルダムの前を通らずにいられなかった。
パリのノートルダムは13世紀半ばに完成したゴチック建築だ。この時代、豊かな町は天まで届けとばかりライバルの町のより高いカテドラルを建てようと競い合ったから、野心に技術が追いつかず、ボーヴェのように半分崩れたまま中途半端な姿で教会の役割を果たしているのさえある。崩れずに高い塔を建てたとしても、すべて途中で息切れだ。シャルトルには9つの鐘楼、アミアンには7つの鐘楼が立つ計画だったそうだし、フランスを代表するカテドラルは実はどれも未完成なのだ。だとすると、ゴチック教会は外から見ても中に入っても落ち着きのない建物に見えても不思議はない。光太郎は「うずくまる獅子のようなカテドラル」と雄姿を讃えたが、ミサに出る信者の身としては、天井が高すぎて暖房が全く効かないから、零下10度の日曜のミサなどはシベリア出張用のコートを着ても震えがとまらない。無限上昇の情熱にとりつかれた13世紀人がうらめしい。口の悪い日本の女性大学教授は「男根の林立するゴチック」とこき下ろした。彼女は中世美術の大ファンなのだが、ぼくが「ロマネスクだけでなく、ゴチックにも魅力がある」とメールしたらフェミニスト的糾弾の返事がきたわけだ。限りなく高く、空間を征服し続けるゴチック精神は、世界を支配した西欧の拡張衝動の前兆のように受け取れるのだろう。
ゴチックの異様さは12世紀のロマネスクと較べるとはっきりする。パリに来て8ヶ月、学生生活に疲れが出た頃、クレルモンフェランのドミニコ会修道院に泊めて貰い、「お前はロマネスク教会を見ると良い」と勧められた。朝早くバスに乗って山の中のサン・ネクテールという小さな教会にたどり着いた。薄暗い席に座ると心が落ち着く。リズミカルな天井のアーチ、高すぎない天井、薄暗がりの堂内に祭壇の向こうの小さな窓から射す光。窓は採光という実用のためにあるのではなく、精神に直接語りかける記号と化し、この窓を通過した光は、もはや自然光の性質を失っている。何もかも実に気持ちよく心が洗われるようだ。柱頭には聖書のシーンや奇妙な生き物が彫ってあり、どの顔も邪気がない。地獄に堕ちる連中も無邪気な顔で堕ちて行く。じっと座っているうちに、こちらの心もつまらない欲や心配が消えて行くような気がする。ロマネスク建築空間の圧倒的な感化力だ。サン・ネクテールへのバスは1日2往復だから、夕方まで時間をつぶさなければならない。聖書の言葉がいつになくすんなり頭に入るような気がして、寒い聖堂に座り込んでいたら、夜になって高熱を出してしまった。
ロマネスク空間が心に及ぼす力といえば、こんな経験がある。フランス中部にフォンゴンボーというベネディクト会の修道院がある。軽い気持ちでのぞいてみたらちょうどミサが始まったところだった。ソレムにくらべ素朴なグレゴリオ聖歌だ。5分も聞いたらピクニックに出かけるつもりだったが、リュックを背負う気にならない。とうとう聖体拝領まで付き合ってしまった。妻が言うに、「神父さんの目がうるんでいたね」。そう、神父さんだけでなく、僕も妻も他の信者も皆泣いたあとが歴然としていた。あの司祭がカリスマの持ち主だとか、涙もろい信者ばかり集まったとか特別の条件が重なったのではなく、ロマネスク空間と、グレゴリオ聖歌と、祭壇の向こうの窓から射す朝の光、パンと葡萄酒がキリストの体に変わる聖変化の沈黙の間にかすかに聞こえる鳥のさえずりが必然的に涙を誘うのだと思う。きっと中世人はミサの最中大いに泣いたのだろう。彼らの建てた教会、彼らの作った聖歌のせいで中世人の情感が伝染してきたのだ。
さて、ロマネスク教会が人を落ち着かせ、内面の深みに心を向かわせるとすると、ゴチックは人の心をどこに向かわせるだろう。美術史のケネス・クラークはシャルトル・カテドラルの堂内を「世界で最も美しい2つの屋内空間のひとつであるだけでなく(もう一つはコンスタンチノープルの聖ソフィア大聖堂)、人間の心に特異な効果を与える空間」と書いている。西日の射す頃入れば、宝石のような青のステンドグラスを通過した光が床を青く染め、海底遊泳の気分になる。尖塔が霧に隠れる秋の日に行けば、すらっと伸びる高い柱も尖ったアーチも重力を失い、建物全体が宙に浮いているようだ。12世紀末の技術革命によって建物の重みは壁によって支えられるのではなく、天井の尖ったアーチまで一気に伸びる柱に全重量が委ねられ、さらに壁の外に無数のつっかえ柱がまるで森のように立ち並び、カテドラルが外へ向かって崩れないようふんばる構造になった。前時代のロマネスク教会の方はいかにも頼りになりそうなどっしりした厚い壁に囲まれ、柱も柱頭の彫刻がよく見える程よい高さで並んでいる。壁は重みを支えなければならないから大きな窓は開けられない。その安定した重量の印象が人に安心感を与え、リズミカルな柱とアーチの連続が良い音楽のような静けさをもたらす。対照的にゴチックは重力に挑戦する冒険だ。質量を失った巨大な石は私たちを不安にする。異次元空間に迷い込んだような、目のくらむような感覚だ。友人の建築家は「はじめてノートルダムに入ったとき、震えが止まらなかった」と回想していたが、ゴチックは私たちを混乱に陥れ、同時に私たちの理解をはるかに超えた体験を予感させる。
数年前フランス中央部ブルジュのカテドラルを再訪した。祭壇奥のステンドグラスがどれも中世のままの良い状態を保っており、説明を読むと中央左は「放蕩息子の帰還」。教会に入り真っ先に目に入る大事な窓がキリストの生涯か最後の審判のような教義の中心テーマでなく、なぜたとえ話なのだろうと気になった。ところが翌朝同じ所に立つと、放蕩息子の窓が目のくらむ金色に輝いている。きのうは散文的な黄色だったガラスが朝の太陽をまともに受けてメタモルフォーゼした。燃えるような金色は、できの悪い息子が戻ったのを、全宇宙が歓喜して迎えるかのようだ。これで納得できた。ブルジュのカテドラルを建てた人は、彼自身の体験した「全宇宙的歓喜」を表現したかった、「放蕩息子の帰還」はそのために最もふさわしい物語だったのだ。
作家アンドレ・マルローは「ゴチック的驚嘆」とか「目くるめく自己放棄」という言葉を使い、ロマネスクの「礼拝」から、ゴチックの「交感」への転換を強調する。ロマネスク教会の入り口扉の上には最後の審判か黙示録の厳かなキリストが彫ってあり、ここは神キリストを「拝む」、言い換えれば近づきがたい聖なる方の前にひざまずく場所だと教えてくれる。それに対し、ゴチックは目のくらむ驚嘆の世界を「拝む」のではなく、その世界に入り、その喜びを共にする「交感」へと私たちを招いている。キリストによって変容され、すみずみまで愛に輝く歓喜の世界を、13世紀人は垣間見、その驚きを伝えることが出来ると信じた。マルローによれば「ゴチックは神の都の最初の啓示である」。そして最初に神の都にあげられたのが聖母であり、だから、「聖母の戴冠」が、全ゴチックの象徴となったと言う。
ロマネスク教会はたいてい交通不便な所にあるのに、必ず熱心に鑑賞する日本人に会う。仏像を拝む喜びを知る日本人にとって神キリストを拝むのは難しくないからだ。ところがゴチック・カテドラルは「世界」なのだ。美術史のエミール・マールによると「野原のごとく森のごとく…その大ばら窓は、…夕方には太陽そのもののごとくに見え、それがすばらしい森林の外れに没してゆくかのようである。ただしこれは姿を変えた世界なのであって、そこでは現実界の光よりさらに眩しい光が輝き、影も一段と神秘的である。そこでは私たちは…天上のイェルサレムの中央に佇むような感じをもつ」。でも「現実界の光よりさらに眩しい光」に耐える力が僕にあるだろうか。はつらつとした「交感」の霊感は遠い昔に失われ、エミール・マールとともに、「芸術の分野で、フランスがかつてこれ以上偉大なものを何も作らなかったということを、いったい人はいつ理解するだろうか。」とつぶやくくらいが精々だ。