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パリ・東京雑感|<結婚>に尊厳を回復してくれた同性カップル|松浦茂長

<結婚>に尊厳を回復してくれた同性カップル
Same-Sex Spouses Feel More Satisfied with Their Partners Than Heterosexual Ones

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

欧米では正式な結婚に三種類の組み合わせがある:男同士、男と女、女同士。このうちどの組み合わせが一番満足度が高いか?「もちろん男と女」と答えたくなるが、男と結婚した女性は、実は一番心理的苦痛が大きいのだそうだ。(苦痛の訴えが最も少ないのは同性カップルの男)。アメリカでも「主婦=家事」という性別役割分業の期待が生きているらしく、驚いたことに、シングルマザーより夫のいる母親の方が家事に費やす時間が多いし、同棲の母親にくらべても結婚した母親はレジャータイムがずっと少ない。
ただし、男女の結婚の場合でも、家事を平等に分担しているカップルでは、妻の苦痛は幾分小さい。「皿洗いが全面的に女性の負担になっている」家庭の妻の41パーセントは、「夫婦関係がごたついている」と答え、24パーセントが「別れ話が出た」と答え、14パーセントは「身体的な喧嘩になった」と破局目前の様相なのに対し、「皿洗いを平等に割り振っている」家庭の妻は20パーセントが「ごたつき」、14パーセントが「別れ話」、「体を張った喧嘩」はたった1パーセントと、忍耐の限度内に収まっている。
同性カップルの場合、家事の分担はどうやって決めるのだろう。僕の知っているゲイカップルは、作曲家のヘンツェさんも、デザイナーのカレさんも、画商のフルニエさんもパートナーの方が情熱的に家事を独占し、彼ら(いずれも有名人)が厨房に入るのを許さないようにすら見えた。友人のジルは料理の腕がプロ並みなので、パートナーは野菜を刻んだり、食器を並べたり、下働きに甘んじている。
マイケル・ガルシアの調査研究によると、男女カップルは育児・洗濯・皿洗いなどを妻の仕事というワンパッケージの1パートと見なすのに対し、同性カップルは男の仕事、女の仕事といった範疇にとらわれずに、それぞれ好みや技量にそって選択するという。育児のように難しい仕事となると、74パーセントが二人でシェアー。男女カップルの場合のシェアー率38パーセントを大きく引き離している。しかも、同性カップルの男はそれぞれが、男女カップルの妻とほぼ同じ時間を育児に費やす。その結果は?男女カップルの子供が親と過ごす時間が平均2時間半なのにくらべ、ゲイカップルの子が親と過ごす時間は3時間半もあるのだそうだ。
妻の不幸は皿洗いや育児だけではない。女性にとってパートナーの精神状態を気遣い、サポートするのが当たり前の義務とされていて、毎日テーブルに食事を用意するように、夫の様子に注意を払い、心のケアを怠らない。しかし、夫の方は妻が自分を支えてくれていることすら気づかないし、まして妻が精神的支援を必要としているのではないか、心のケアを求めているのではないか、など考えたこともない。
同性カップルの場合は、こんな性別役割分業は適用したくてもできないから、男もパートナーの悩み・苦しみを気遣い、必要に応じしっかりサポートするケースが多く見られる。ただ、女同士となると、お互い相手への感情移入と情緒的サポートに莫大なエネルギーを注ぎ合うので、素晴らしく親密なカップルができあがることも多いが、エネルギーが高いだけに、ストレスと失望で破綻するリスクもゲイカップルより大きいという。
どうやら、同性カップルの結婚生活には、男女婚の弱点を見なおすためのヒントが沢山見つかりそうだ。

アメリカで同性結婚の合法性について最終的な判断を下した2015年6月26日の連邦最高裁判決は、ほとんど宗教的な結婚讃歌だ。

「いかなる結びつきも結婚以上に深遠なものはない。なぜならそれは愛情と貞節と献身と犠牲とそして家族の、最高の理想を具現したものであるからだ。結婚の結びつきを形にすることで、2人の人間はかつての自分たちよりもさらに偉大な何者かになる……結婚は死を超えてさえ生き残り得る愛の表現形である。」と結婚を讃えたうえで、同性のカップルの願いは「文明の最古の制度から排除されないことであり、アメリカ憲法は彼らのその権利を当然のものとする。」と確認している。

振り返ってみると、1960年代ごろから、サルトルとボーヴォワール、あるいはヒッピーを先頭に、男女は結婚という束縛を捨て、自由な結びつきを模索するようになり、結婚は耀きを失い続けた。そこへ、意外にも同性カップルが結婚の崇高な意味の再発見に貢献したのである。
しかし、この最高裁判決を勝ち取るまでにどんな闘いがあったかを僕らはほとんど知らない。ゲイを公言しながらサンフランシスコの市政執行委員に当選し、暗殺されたハーヴィー・ミルクの感動的な伝記映画によって、かろうじてその闘いの片鱗に触れた程度だった。さいわい「LGBTヒストリーブック」(サウザンブック社)が、ジャーナリストの北丸雄二氏によって翻訳出版され、この100年の革命的な展開を見渡すことが出来るようになった。

1970年5月ミネアポリスでジャック・ベイカーとマイク・マコーネルが、裁判所に結婚許可証を申請する。同性婚禁止に対する異議申し立て第1号だ。続いて、フロリダ州、コネチカット州など全国でゲイカップルが結婚窓口に並び始めるが、すべて門前払い。71年9月、ジャックとマイクの2人は、再挑戦し成功する。ジャックが名前をパット・リンに正式に改名していたため、担当者が女性と思いこみ、見事結婚許可証を入手。それを持って牧師に「ハズバンドとハズバンド」の結婚式を挙げて貰う。この模様は世界に報道された。

ハーヴィー・ミルク

1978年ハーヴィー・ミルクが公職に就いた直後、カリフォルニア州では同性愛の教職員は解雇するという提案が住民投票にかけられることになり、世論調査によると賛成が反対の倍もあり簡単に成立しそうだった。提案した議員の言い分は「ホモセクシュアルたちはあなたの子供が欲しいのだ。子供たちや若者をリクルートできなければ、連中はすぐに死に絶えてしまう。連中は次の世代を補充する術がない。だから連中は教師になりたがるのだ」
ところがミルクは、路上生活者から証券マンまで数万人のボランティアを動員し、流れを変えることに成功した。自分がゲイであることを隠していた仲間たちに、ミルクは「戦いに勝つためにはまず親に告白しなさい」と要求する。

「最も重要なことは、全てのゲイがカムアウトしなければならないということだ!どんなに難しくとも、どんなに辛くとも、みんな自分の家族に言わなければならない。友人たちに、隣人に、一緒に働いている人たちに、いつも買い物をする店の人たちに言わなければならない。そして、その人たちが、ひとたび私たちが本当に彼らの子供たちであると気づいたならば、かつ、私たちが本当にどこにでもいるのだと分かったならば、すべての神話、すべての嘘、すべての揶揄や嫌みの言葉はたちどころに永遠に破壊されるのだ」

1980年代はゲイ受難の時代だ。エイズがおびただしい数の命を奪っただけでなく、この恐ろしい病気を同性愛者に対する神罰とみなす保守勢力のバッシングが勢いづいた。後に教皇ベネディクト16世となる神学者ラツィンガーは、同性愛には「多かれ少なかれ本来的に道徳的邪悪に向かう強い傾向」があると残酷な追い打ちをかける。
しかし同時に、エイズはカムアウトを一気に進める。カムアウトなど絶対に望んでいなかった者も、エイズのせいでゲイと告白せざるを得ない。彼らは会社を首になり、家族から勘当され……。ゲイカップルは家族と見なされないから、病院に大切な人を見舞うことすらできない。
医者や看護婦もエイズを恐れ、病室に入るのを拒む者もいた。そんなとき患者に手を差し伸べたのがレズビアンの看護婦たちだ。レズビアンは70年代には二度と男なんかと口を利かないと言っていたのに、男たちの車椅子を押し、下着を替えてやるようになった。

晩餐会でレーガン大統領夫妻とポーズをとる
ロック・ハドソン(3週間後にエイズの診断が下る)

1985年夏ロック・ハドソンがゲイでHIV陽性であると公表し、秋に死亡。あんなに男らしい男がゲイだったのかと、アメリカ人のゲイ認識を変える。友人のレーガン大統領が、公の場で初めてエイズという単語を口にする。
1987年10月11日ワシントンで65万人の大行進。毎年この日は全米カミングアウトの日と決められる。

2003年には2つの重要な判決が下される。
5年前ヒューストンの警察が、ジョン・ロレンスのアパートに踏み込み、彼がタイロン・ガーナーと一緒にベッドにいるところを発見。『同性愛行為法』違反の現行犯で逮捕した。2人は裁判で争うことを決意し、2003年6月26日、連邦最高裁が結論を出す。

「訴訟申立人には自分達の私的生活が尊重される権利がある。州は、彼らのプライベートな性的行為を犯罪とすることで彼らの存在を貶め、あるいは彼らの運命を差配することはできない」

同年11月18日マサチューセッツ州最高裁が、ゲイとレズビアンのカップルは、結婚する権利を有するべきであると判決し、州議会に、180日以内に州法を整備せよと命じた。翌年5月17日752組の同性カップルが結婚許可証を手にした。
(以下、たびたび攻守所を変える込み入った闘争、ご辛抱下さい)
2004年2月12日サンフランシスコ市長が同性カップルに結婚許可証を出すよう命ずると、噂を聞いて大勢が市役所に殺到。『愛の冬』とあだ名されるユーフォリアが29日間続き、4,037組が結婚したあと、最後は判事によって停止された。さらにカリフォルニア州最高裁が追い打ちを掛け、8月12日、サンフランシスコ市で同性カップルに発給された全ての結婚許可証は無効と判決する。
2006年までの3年間に23州が州憲法を改正して同性婚を禁止する。
でもゲイの人たちは、へこたれない。ヘイトクライムによる殺害やエイズの試練を経た人たちの底力だろうか。『愛の冬』の結婚が無効にされてしまったカップルが、違憲訴訟を起し、2008年5月15日カリフォルニア州最高裁が、州による同性婚禁止は違憲との判決。4,037組は再び<結婚>を取り戻す。

結婚した2人

今度は保守巻き返しの番だ。「結婚を男女間に限定し、同性婚を禁ずる」州憲法の修正提案(提案8号)を住民投票にかける大キャンペーンを展開、11月に52パーセント対48パーセントで保守の勝利。同性婚の権利は再再度奪い取られる。
翌年、二組のカップルが反撃に出て、連邦法訴訟を起こす。2010年8月4日、提案8号は法の下での平等に反し憲法違反との判決。2013年6月26日、連邦最高裁でもこの判断が確認される。
ご紹介したカリフォルニア州の7転び8起きの闘いはほんの一例で、全米で同じような、絶対に諦めない人々の闘争が繰り広げられてきた。そして、ついにアメリカ全体が国家としてゲイ・マリッジを禁止出来るかどうかを判断するときを迎える。ここに到るまでの苦難の歴史を振り返ると、2015年6月26日の連邦最高裁判決の高調したリリシズムにも納得が行くのではないだろうか。
ゲイの人々の闘いは彼らのためだけではなかった、ハーヴィー・ミルクの遺した言葉の通り、私たち人間すべての人権を守る闘いでもあったのだ。

(2020年2月28日)