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オペラシアターこんにゃく座 オペラ『遠野物語』|齋藤俊夫

オペラシアターこんにゃく座 オペラ『遠野物語』

2019年2月12日俳優座劇場
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 前澤秀登/写真提供:こんにゃく座

〈演目〉
オペラ『遠野物語』

台本:長田育恵
作曲:吉川和夫、萩京子、寺嶋陸也

〈出演〉
柳田国男:髙野うるお
佐々木喜善:北野雄一郎
水野葉舟:島田大翼
ノヨ(喜善の祖母):梅村博美
闇、万蔵(喜善の祖父)、坊主、政の親父 他:大石哲史
闇、猟師の村田、茂助、福二 他:佐藤敏之
闇、タケ(喜善の母)、奈津 他:鈴木裕加
闇、老女(喜善の曾祖母)、姑 他:彦坂仁美
闇、少女、姉、女 他:西田玲子
闇、人買い、貞吉 他:沢井栄次
闇、座敷童 他:沖まどか
闇、車掌、馭者 他:壹岐隆邦
闇、芳公、太助 他:金村慎太郎
闇、柳田家の女中、狂女、美緒 他:大久保藍乃
闇、長者の娘、みよ 他:鈴木あかね
闇、オクナイサマ 他:冬木理森

〈演奏〉
フルート:岩佐和弘
チェロ:朝吹元
打楽器:高良久美子
ピアノ:服部真理子

〈スタッフ〉
演出:眞鍋卓嗣

美術:伊藤雅子
衣裳:山下和美
照明:金英秀
振付:伊藤多恵
舞台監督:八木清市
舞台監督助手:後藤恭徳
音楽監督:萩京子
方言指導:しままなぶ
演出助手:花島春枝
宣伝美術:網代幸介(画)、片山中藏(デザイン)

 

「オペラ好きと自他ともに認めていた私だが、それがずいぶん狭いものだったと思わずにはいられない。こういうオペラがありうるとは考えさえしなかった。強いショックを受けた。
 もっとも、最初は正直言うと、こんなのはオペラじゃないと思った。抵抗があった。が、いつの間にか舞台にひきつけられてしまっていた。」(林光『日本オペラの夢』岩波新書、193-194頁、オペラ『白墨の輪』観客の感想)

オペラシアターこんにゃく座『遠野物語』は「これはオペラではない」と論難されるかもしれない。確かに、もはやこれはクラシカルなオペラではないのかもしれない。だが、本作品によって、オペラシアターこんにゃく座は自らのレゾン・デートルを改めて獲得したのだ。

まず、その音楽と言葉について。

西暦1600年頃のオペラ誕生時に、オペラにおいては全ての劇が音楽と共に進行すべし、という格律が形成された。無論400年以上の歴史の中で、この格律に反抗するもの、それを逆手に取り逆ねじをくらわすものもあったが、本作品ほど「演劇」に限りなく近づいたものは管見する所では見当たらない。主人公格の佐々木喜善と柳田国男に加え、キーパーソンの水野葉舟など、登場人物のほとんどが歌よりも演劇のように語る部分が多いのだ(筆者の記憶では、柳田国男に至っては歌が全くなかったかもしれない)。
だが、その「言語に対する誠実さ」は類を見ない。岩手弁が文字で表記できる部分だけでなく、高低アクセント、「し」が「す」と「し」の中間になる、「かきくけこ」が鼻濁音の「(ん)が、(ん)ぎ、(ん)ぐ、(ん)げ、(ん)ご」になる、などの聴かねばわからず、また実地に学ばなければ身につかない部分まで忠実に再現されていた。
それゆえ、本作品が「遠野」と「東京」の物語であるという主題が明確かつリアリスティックに表されており、さらに要所要所で現れる「地ならし歌」(大石哲史の貫禄!)「おばあのアリア」(梅村博美の至芸!)などの歌が真に迫ってくる。

そして、その台本、演出、主題の「劇」としての完成度と思想の深みについて。

本作品、オペラ『遠野物語』が、柳田国男「遠野物語」に書かれた事をただ舞台上に現した劇ではなく、「遠野物語」の作者である柳田と、語り手である佐々木喜善を中心とした、〈「遠野物語」を巡る物語劇〉であることに驚かされた。
佐々木喜善が小説家になるべく遠野から上京し、柳田国男と水野葉舟に出会い、喜善の語る物語を柳田が「遠野物語」として出版し……という物語の中、舞台上で彼らのいる「現実」と「遠野物語の世界」が交錯する。
「闇」たる遠野物語の世界から、喜善が「光」たる柳田の東京へと赴き、しかし光に拒絶され、あるいは彼が光を拒絶し、闇に帰る。もしそこ(つまり第16場面)で物語が終わったならば、筆者は目を潤ませはしていたが、「ただの感動」で済んでいただろう。
その後、第17場面の盂蘭盆会で鹿(しし)踊りと共に「闇」が喜善のもとを去り、そして、「光」の世界からはじき出され遠野の喜善を頼った水野葉舟にはやはり「闇」の姿は見えずとも、喜善とある種の和解をし、そして2人は宣言する。

「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」

これは柳田「遠野物語」の序の一節であるが、この書の巻頭にはさらにこう書かれている。「この書を外国(とつくに)(*)に在る人々に呈す」と。
これらが「外国」から「平地人」が住まう「中つ国」への「宣戦布告」でなくてなんであろうか。もはや闇に帰ることも光に照らされることもなくなった喜善と水野は平地人ならざる「むき出しの人間」としてこれを宣したのだ。

そして闇の住人が残した饅頭のかじり跡に水野が気づいて終幕。
幻想美と理想主義とリアリズム、裏切りと別れの残酷さと悲しさを通り越してやっと辿り着く決意に、この饅頭のかじり跡という優しさを残す。なんという劇作であろうか。

小さな舞台と人数の限界を越えて活かした演出、衣裳、美術、照明によって描かれた光と闇のこの劇には、従来のオペラ以上の「音楽」が全編に渡って感じられた。
こんにゃく座という、あらゆる面で小さな力しか持たない団体が、自らの属する世界を「外国」と見極めて、この「中つ国」の中心で新たな狼煙を挙げた記念すべき公演であった。

(*)「外国(とつくに)」とは「中つ国(なかつくに、または、うちつくに)」、つまり日本の中心部(古くは畿内)の外を指す。また、「遠野物語」には、アイヌ民族文化の痕跡をとどめる東北地方の地名などが多数記されていることにも注意されたい。

(2019/3/15)