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評論|西村朗 考・覚書(14) ヘテロフォニー(I)|丘山万里子

評論|伊福部昭―独り立てる蒼鷺―7.間奏曲~『アリオーソ』に導かれて|齋藤俊夫

Dialogue entre compositeur et interprète | VI. Réflexions des survivants du Covid | Alexandre Damnianovitch et Yoko Kaneko

Дијалог између композитора и извођања VI | Размишљања оних који су преживели корону | Александар Дамњановић и Jоко Канеко

カデンツァ|松村禎三交響作品展で|丘山万里子

プロムナード|真夏の挽歌|大河内文恵

タンペレゆるゆる滞在記|3 バーベキューしながら少子化に思いを馳せる|徳永崇

特別寄稿|作曲家と演奏家の対話・V|『記憶』|ダムニアノヴィッチ&金子

村木厚子元厚生次官

パリ・東京雑感|「運命共同体」時代の官僚|松浦茂長

評論|被爆ピアノと記憶の継承(2)|能登原由美

評論|西村朗 考・覚書(13)『ケチャ』(1979)|丘山万里子

特別寄稿|私のフランス、私の音|再会の夏・フランス・2021|金子陽子

小人閑居為不善日記|ネット時代の贖罪について――《ブラック・ウィドウ》《プロミシング・ヤング・ウーマン》《竜とそばかすの姫》|noirse

Dialogue entre compositeur et interprète | V. La mémoire | Alexandre Damnianovitch et Yoko Kaneko

五線紙のパンセ|・・・そのように聞こえるので仕方がない。移動ド聴取、あるいは機能ド聴取・・・|横島浩

Разговор између композитора и извођача : V. | Сећање | Јоко Канеко и Александар Дамњановић

カデンツァ|三井寺〜うたの邂逅 雑感|丘山万里子

プロムナード|世紀転換期ウィーンの音楽と向き合う|佐野旭司

ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス|終章 子どもの領分|秋元陽平

タンペレゆるゆる滞在記|2 白夜の真っ只中|徳永崇

特別寄稿|作曲家と演奏家の対話・IV|『インスピレーション』|ダムニアノヴィッチ&金子

パリ・東京雑感|アメリカのルネッサンス 疫病の破壊力がもたらすもの|松浦茂長

小人閑居為不善日記|アメリカン・ユートピア――デヴィッド・バーンの旅の終わり|noirse

評論|西村朗 考・覚書(12)『慧可断臂』(1976)と『華開世界』(2020)|丘山万里子