Books|チェルノブイリの祈り|藤堂清
スベトラーナ・アレクシエービッチ著
松本妙子訳
岩波現代文庫 2011年6月出版
1040円+税
text by 藤堂清(Kiyoshi Tohdoh)
ストックホルムでは、12月10日に例年どおりノーベル賞の授賞式が行われた。今年のノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチの著作、今の日本でこそ読まれるべきものだろう。彼女への授賞理由は、”for her polyphonic writings, a monument to suffering and courage in our time”、「ポリフォニー」という音楽用語を借りた記述方法、さまざまな視点からの意見や立場の異なる人の考え方を重ね合わせることで、一つの事象―この本ではチェルノブイリの原発事故―を多面的に描き出している。
突然銃を突き付けられ村を追われた人、原子炉の初期消火に従事した消防士の妻、強制疎開させられた村に残った人、事故の処理のため強制招集された兵士、農村の准医師、ベラルーシの核エネルギー研究所の実験室長。こういった人々の事故後10年の重い発言。状況がわからないまま家族を急性放射線障害で亡くした人、被曝後に誕生した子供の障害や甲状腺の高い放射線量、物理学者や医師といった専門家たちへの情報秘匿圧力。それらが、整理され、抽象化された「歴史」ではなく、個人の体験、思いの積み重ねとして訴えかけてくる。
彼女は言う。「最初はチェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだとわかると、くちを閉ざしてしまったのです。」「訪れては、語り合い、記録しました。この人々は最初に体験したのです。私たちがうすうす気づきはじめたばかりのことを。」「何度もこんな気がしました。私は未来のことを書き記している・・・・・・。」
この本が書かれた時点でベラルーシで起こっていたことが、福島やその近傍でも起こりうるのではないか。事故後5年目を迎えようとする今、急増している甲状腺がんの患者数。一方で、公式には因果関係が証明できないとされている循環器系の疾患との関連、低線量被曝による健康被害、甲状腺以外のがんの増加といった問題への研究、調査は進んでいない。
スベトラーナが福島の事故直後に寄せた文、「チェルノブイリから福島へ」の最後はこのように締めくくられている。「テレビをつけると日本からのレポート。福島ではまた新たな問題が起きている。わたしは過去についての本を書いていたのに、それは未来のことだったとは!」
彼女がチェルノブイリ事故の後考えていたであろう、「チェルノブイリ以前に戻ることはできない」と同じように、多くの日本人も「福島以前にもどることはできない」と感じていただろう。それが今では、「福島復興のために早期帰還」「原発再稼働」へと逆もどりしつつある。放射性廃棄物の「中間」貯蔵施設を建設し、30年後には撤去するというが、30年という年月が一人の人生でどれほどのものか考えれば、「ブルドーザーで追い出し、恒久的な基地を建設する」こととあまり違わない。
個人個人の置かれた状況やその気持ちにどれほど寄り添い、彼らの問題解決に向けたサポートができるかが問われている。
復興支援ソング『花は咲く』のあまりの気楽さと較べ、シルバー・フォーク・グループ影法師による
『花は咲けども』(Orignal)
『花は咲けども』(全世界バージョン) Even Though the Flowers Bloom -Fukushima’s calling you-
の方が課題に立ち向かう姿勢があり、スベトラーナの問いかけに応えるものではないだろうか。
「福島の未来」、それが北野慶の『亡国記』に描かれるものとならないように努力していきたい。