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椎名雄一郎 J.S.バッハ「オルガン小曲集」全曲演奏会(コラール唱つき)|片桐文子

椎名雄一郎
J.S.バッハ「オルガン小曲集」全曲演奏会(コラール唱つき)

2017年6月16日 カトリック東京カテドラル関口教会 聖マリア大聖堂
Reviewed by 片桐文子(Fumiko Katagiri)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

〈出演〉
椎名雄一郎(org)
石川洋人(ten)
淡野太郎(br)

〈曲目〉
J.S.バッハ:「オルガン小曲集」全曲
 待降節と降誕節(クリスマス)BWV599-612
 年末・新年 BWV613-615
 マリアの潔めの祝日 BWV616-617
 受難節 BWV618-624
**休憩**
 復活節(イースター) BWV625-630
 聖霊降臨節(ペンテコステ) BWV631-632
 教会で歌われるコラール(カテキズム、キリスト者の生活) BWV633-644

 

足かけ11年にわたって《バッハ オルガン作品全曲演奏会》を開催、2015年に完結させた椎名雄一郎。各地で精力的に演奏活動をつづけ、オルガンの入門書も執筆・出版。録音もコンスタントにリリースしており、近年最も活躍しているオルガニストと言えるだろう。この日も、チケットは完売という盛況だった。

ルターによる宗教改革から500年という記念の年に、その宗教改革によって生まれ、歌いつがれた賛美歌<コラール>を元にしたオルガン曲を演奏する。しかも、コンサートホールではなく聖堂で。さらに2人の歌手を招いて、元になったコラールを「作曲された当時のリズムで」歌ってから、オルガン曲を演奏するという。メモリアル・イヤーにふさわしい企画である。コラールの歌い手は、定評ある石川洋人と淡野太郎。楽しみにして出かけた。
東京都文京区、椿山荘の前にある関口教会は、カトリック教会の大司教区のいわば総本山、司教座聖堂(カテドラル)である。丹下健三の設計で有名な聖堂(1964年竣工)は十字架の形をしており、コンクリート打ち放しの内壁に、天井が最も高いところで40m近くなるという建物で、残響が非常に長いことでも有名。

パイプオルガンは、以前はフェルシューレン社(オランダ)製の楽器だったが、2004年、聖堂再建40周年を記念して、新たにイタリアの製作会社マショーニのオルガンが導入された。教会に設置されたオルガンとしては、国内最大級と言われている。信者席(客席)の後方上部に据えられているので、聴衆の目に入るのは、正面の祭壇と巨大な十字架だけ。後方から聖堂全体に共鳴して響く歌とオルガンに聴き入ることになる。

会場と楽器の説明が長くなってしまったが、それは、聴き終わったとき、この聖堂で今回の演奏会がおこなわれた意義を深く感じたからだ。
残響が長いことは、オルガンには少々残念なところがあるにしても、歌には最適。石川・淡野が歌うコラールのなんと美しかったことか! 特に「復活節」の数曲で繰り返された「アレルヤ」の発音の美しさ、天上の神に向けた真摯な賛美の声は、今も耳の奥に残っている。時を超えて、遙か源流のグレゴリオ聖歌に思いを馳せる機会ともなった。代々のキリスト教の信徒は、各地の聖堂でこうした響きに包まれて信仰を育んでいったのだ。バッハもまた。

そして、コラールを歌で先に聴いておくことで、それを主題にしたバッハのオルガン曲がいかに手の込んだ作曲であるかがよくわかった。当時、バッハが奏楽をしていた教会で、信徒たちはどんな思いで彼のオルガン演奏を聴いたのだろう……素晴らしいと感嘆したか、複雑すぎて戸惑ったか。あのメロディがこんな曲に、と驚いたのは確かだと思うけれど。

オルガンにとっては残響が多すぎると書いたが、それは内声をもう少しクリアに聴きたいと思ったから。多声の音楽の各パート、特に内声が細かい音符で凝ったつくりになっていて面白いのでしっかり聴きたいのだが、長い残響で、どうしてもくぐもってしまう。その点はやはり惜しいなと思った。でも、椎名がこの大オルガンの多彩な音色を駆使して、バッハの作曲がいかに精緻な、工夫を凝らしたものかを伝えようとしていることは、よくわかった。プログラムの解説で椎名は、「この『オルガン小曲集』は『バッハの音楽言語の辞書』である」と言ったシュヴァイツァーの言を紹介しているが、この日の椎名の演奏は、バッハを弾くときのレジストレーションの見本と言えるかもしれない。経験の浅いオルガニストでは、この聖堂でここまで明瞭に各声部を聞かせるのは難しいにちがいない。そして、ある曲から次の曲へ、起伏に富む流れをつくって、飽きさせない。

聴いていて特に印象に残ったところ。
「降誕節」の一連の曲のうち、BWV605「かくも喜びあふれる日は」からBWV606「高き天より我は来たれり」への変化、続くBWV607「空から天使の群れが」からはコラール唱も斉唱からデュオになり、「甘い喜びのうちで」BWV608 で、救い主降誕の喜びが頂点に。
「年末・新年」の部では、365音で作曲されているという厳粛な「古い年は過ぎ去り」BWV614 から一転して、輝かしい新年の到来を賛美する「汝にこそ喜びあり」BWV615 への変化に、目の醒める思い。この曲が曲集の1つの中心となっていることを明確に示した堂々たる演奏。
「受難節」のBWV622「おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け」では最後のAdagissimo を、はっとするほど速度を落としてたっぷり歌っていた。
「復活節」はコラール唱で「アレルヤ」が繰り返されるなか、この曲集のなかでも特に輝かしく力強い曲が続く。「キリストは死の縄目に」BWV625、「キリストは蘇りたまえり」BWV627、「栄光の日が」BWV629。単独でもよく弾かれる有名曲が続くが、ハイライトは「聖霊降臨節」の「来たれ、創り主にして聖霊なる神よ」BWV631だろう。

……などなど、挙げはじめると切りがないのでこのくらいにしておく。
改めて思うのは、バッハの作曲の「引き出しの多さ」である。コラールという主題があっての対位法、数象徴……と、みずから課した厳しい制約のなか、よくもここまでの多様性を……と感嘆のほかない。バッハの宇宙の広がりと深さに改めて気づかせてくれる、貴重なコンサートだった。