二つの「復興祈念」は何を音楽に託したか——いわきのモーツァルト、熊本のヴェルディ|内野 儀
二つの「復興祈念」は何を音楽に託したか——いわきのモーツァルト、熊本のヴェルディ
What They Entrusted to Music: Mozart in Iwaki and Verdi in Kumamoto
Reviewed by 内野 儀(Tadashi Uchino)
Photos(Iwaki)by 布施雅彦 /提供:いわきアリオス
Photos (Kumamoto) by 熊本地震10年ヴェルディレクイエム実行委員会 /提供:熊本地震10年ヴェルディレクイエム実行委員会
第13回NHK交響楽団いわき定期演奏会 
The 13th NHK Symphony Orchestra Iwaki Subscription Concert
2026年3月15日 いわき芸術文化交流館アリオス
2026/3/15 Iwaki Performing Arts Center “Alios”
〈プログラム〉
モーツァルト アダージョとフーガハ短調K.546
プロコフィエフ 古典交響曲作品25
モーツァルト レクイエムK.626
[アンコール曲] モーツァルト アヴェ・ヴェルム・コルプスK.618
[市内中学校・高等学校の合唱部の皆様と共に]
指揮:沖澤のどか
ソプラノ:松井亜希/メゾ・ソプラノ:小泉詠子/テノール:清水徹太郎/バリトン:加耒 徹
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:郷古廉
合唱指揮:米田覚士
合唱:いわき市民レクイエム合唱団 、東京混声合唱団(賛助)
熊本地震復興祈念ヴェルディレクイエム公演
Verdi’s Requiem Concert in Memory of the Kumamoto Earthquake Reconstruction
2026年4月5日 熊本城ホールメインホール
2026/4/5 Kumamoto Castle Hall Main Hall
〈プログラム〉
ヴェルディ レクイエム
指揮:沖澤のどか
ソプラノ:松井敦子/メゾ・ソプラノ:エリカ・コルテーゼ/テノール:笛田博昭/バス:佐久間伸一
合唱:熊本地震復興祈念ヴェルディレクイエム合唱団
管弦楽:熊本地震復興祈念ヴェルディレクイエム管弦楽団
合唱指揮:岩尾健弘、佐久間伸一
管弦楽指揮指導:重松真央
コンサートマスター:栗巣野美
この春、ベルリン在住の指揮者・沖澤のどかは、文字通り、八面六臂の活躍ぶりを日本で示すことになった。昨年末、常任指揮者を務める京都市交響楽団の恒例の第九公演2回に加え、これまた大晦日恒例の東京・Bunkamuraオーチャードホールでのジルベスターコンサート(東京フィルハーモニー交響楽団)を指揮してからしばらく時間をあけ、3月5・6・7・8日に「N響大河ドラマ&名曲コンサート」(東京、大宮、所沢、松本)、翌週の3月15日には第13回NHK交響楽団いわき定期公演、その次の週の3月20・22日は、京響による演奏会形式でのモーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』(京都・福山)があった。ひきつづき、3月29日には同じ京響でオーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」の第4回「歌と楽器と音楽と」、4月に入ると5日に熊本地震復興祈念ヴェルディレクイエム公演、翌週の10・11・14日には京響との同交響楽団創立70周年及びサントリーホール40周年記念コンサート(京都・東京)、19日には「ロームミュージックフェスティバル2026」、25・26日は「びわ湖の春 音楽祭2026」、29日は「京響70周年記念友の会Special Thanksコンサート」、さらに5月に入ると京響との今シーズンのシリーズ企画「プロコフィエフの陣「壱」」(3日)―プロコフィエフの交響曲を1年かけて全曲演奏する―まで続いた。
業界に詳しくないわたしでも、このスケジュールがいかに過密であるかは理解できる。しかも「豊臣兄弟!」オープニング曲(木村秀彬作曲)から大河ドラマの「河」つながりでのヴァーグナーの「夜明けとジークフリートのラインへの旅」まで、はたまた、3時間を超える演奏会形式のオペラから、矢代秋雄のチェロ協奏曲(ソロはサントリーホール館長の堤剛)とR・シュトラウスの『家庭交響曲』を組み合わせたヘヴィなプログラムまで、実に淡々とこなしていった感がある。そこにはまた、音楽的充実だけが尺度にはなりえない特別な意味を与えられたコンサートがあいだにはさまっていた。
東日本大震災から15年の復興祈念としてモーツァルトの『レクイエム』が演奏された第13回NHK交響楽団いわき定期演奏会(いわき芸術文化交流館アリオス)と、熊本地震から10年の復興祈念としてのヴェルディの『レクイエム』特別演奏会(熊本城ホール)である。ともに「追悼」と「記憶の継承」を前面に掲げた演奏会だったが、実際に聴かれたものはかなり異なっており、沖澤の類いまれな技量の大きさだけでなく、その底知れぬ探究心と共感力がいかんなく発揮された現場を間近で目撃するよい機会となった。
その差を生んだのは、モーツァルトとヴェルディという作品の違いだけではない。追悼をどのような制度と音響環境の上に成立させるのか、その設計思想の違いが、二つの公演の聴こえ方を決定的に分けていたのである。いわきはN響の13回目の定期演奏会として、市民合唱団172名(合唱指揮:米田覚士、東京混声合唱団が賛助で出演)が暗譜の歌唱で参加しi、沖澤は全曲をタクトなしで指揮し、10型の小編成とウィーン・モデルの古典ティンパニが用いられた。熊本は、公式案内によればii、熊本県民を中心とした公募メンバーに被災地からの参加者を加えた132名の合唱団、地域主体で組織された中編成の管弦楽団(71名、12型)、4人の独唱者(松井敦子、エリカ・コルテーゼ、笛田博昭、佐久間伸一)による復興祈念公演であり、「鎮魂と祈り、そして記憶の継承」が企画の中心に置かれていた。
いわきのプログラムは、『レクイエム』だけで完結していたのではない。「いわき民報」が伝える主催者の声によればiii、冒頭のモーツァルト『アダージョとフーガ K.546』は、まず震災15年に捧げる献奏として置かれ、続くプロコフィエフ『古典交響曲』は、この街の在りし日のあたたかな記憶を呼び覚ます位置を与えられていたという。つまり、献奏、追想、そして鎮魂へ――前半二曲は、そのまま後半への心理的な導入として機能していたのである。
いわきでまず印象的だったのは、沖澤が指揮棒を持たなかったことである。両手だけで音楽を運び、身振りの大きさで外面的な劇性を煽るのではなく、呼吸と入りを整え、祈りの時間を内部か
ら組み立てようとしていた。しかもオーケストラは10型の古典的小編成で、ティンパニまで古楽寄りの音色を備えていた。震災から15年という重い文脈を背負いながら、響きの作り方そのものはむしろ苛烈なまでに透明で、古典的だったのである。
音楽ジャーナリストの池田卓夫の評がすでに指摘しているようにiv、これは「小編成のオーケストラに巨大編成の合唱」という、もともと均衡の難しい組み合わせだった。それでもN響の応答の速さと密度が、市民合唱の量感を受け止め、合唱団の前に立つかたちで配置された独唱者陣
(松井亜希、小泉詠子、清水徹太郎、加耒徹)とともに、音量的なバランスを保ちながら、過剰な重量感に流れずに全体を支えていた。つまりいわきでは、共同体の祈りは、まず職業的な演奏制度の精度によって支えられていたのである。追悼の理念が音楽的完成度を曖昧にするのではなく、むしろ音楽的完成度が追悼の公共性を成立させていた、と言ってもよい。
これに対して熊本のヴェルディは、最初から別の論理で構想されていた。そこでは、何よりもまず、地域が自ら追悼の主体になることに意味が置かれていたように思う。公式の案内にもあるように、この公演は熊本地震10年の節目に、犠牲者への追悼と震災の記憶を未来へ伝えるために企画され、公募で集まった熊本県民中心の合唱団は、石川、宮城、福島、兵庫などの被災地からの参加者も加わる形で構成されていた。さらに、小中学生と保護者の招待席が設けられていたことからも明らかなように、ここで前景化していたのは「誰がこの追悼を担うのか」という問いであって、演奏会としての純度そのものではなかった。沖澤が呼ばれたのも、比較的均質な職業団体をさらに磨き上げるためというより、不均質な編成を「祈り」のための一つの流れにまとめるためだった、と考えるほうが自然である。
その意味で、熊本の演奏をいわきと同じ物差しで測ることはできない。それはもともと、異なる論理で設計された演奏会だったからである。少なくとも私が会場で聴いた限り、そこでの音楽は、ヴェルディ特有の、怒りと祈り、恐怖と慰撫が一つの大きな呼吸のなかで転化していく感覚よりも、その巨大な作品を地域の力で抱えようとする意志と緊張として聴こえた。オーケストラも合唱も、作品の振幅をすべて掌中に収めていたわけではない。それはこの公演の設計思想からして当然の帰結であり、ここで問われていたのは演奏の完成度というより、地域が自ら追悼の主体となることの意味だったからである。そのエネルギーは、演奏のすべての襞を含み込んで―たとえば、繰り返される有名な「怒りの日」の濁りのない強靱さ―確かに会場に満ちていた。
そしてこの公演には、聴き手の体験を音響だけに還元させない仕掛けが組み込まれていた。舞台の左右には移動式の音響機材が置かれ、背後にはプロジェクションマッピングとともに歌詞字幕が映し出された。主催者側も事後報告で、「映像と共に映し出される字幕」によって歌詞内容がリアルタイムで目に入り、感動が増したと述べている。さらに熊本城ホールのメインホールは、約2300席を備え、「文化催事や市民主体のシンポジウム、地区大会等」にも用いられる空間として案内されている。したがって、この公演で提示されていたものは、クラシック専用ホールにおける無媒介の『レクイエム』というより、視覚的補助に加え、聴覚面での補助も示唆する公共イベントとして組み立てられていたと言うべきだろう。会場で私が体験した、音像が前にせり出してくる感覚や、純音響的にだけでは測りきれない聴こえ方は、演奏者の技量という以上に、ホールの性格と受容の仕組みそのものに由来していた部分が大きい。熊本で前景化していたのは、共同体参加を優先した追悼企画を、音楽と空間と技術の条件がいかに支えるか、という設計上の問いでもあったのである。
こうして見ると、いわきと熊本は、同じ沖澤のどかが指揮した二つの復興祈念公演でありながら、追悼を支えるモデルが対照的だった。いわきでは、棒を置いた沖澤が、小編成と古楽的な響きの中で、職業的演奏制度の精度をもって市民の祈りを受け止めた。熊本では、沖澤はまず共同体的な企画そのものの成立条件として招かれ、不均質な編成を一つの流れにまとめ上げる役を担った。前者では音楽が祈りを支え、後者では祈りが音楽を駆動した、と言ってもよい。二つの『レクイエム』の差は、作品の違い以上に、追悼を誰がどのように担うのか、その制度と媒介条件の違いとして聴かれるべきだったのである。
この春に聴かれた二つの公演は、復興祈念の演奏会とは何か、という問いをあらためて突きつけた。レクイエムという作品を選べば、それだけで追悼が成立するわけではない。いわきが示したのは、職業的な演奏制度が共同体の祈りを音楽として支えるモデルであり、熊本が示したのは、共同体が自ら追悼の主体になるとき、音楽的完成度、ホールの音響、字幕や映像を含む技術的媒介がどこまでその重みを支えられるかという、より直接的な問いだった。この問いに、答えはない。あるのは、それぞれの選択がはらむ固有の尊さと、固有の困難だけである。追悼の大義が、音楽そのものをどこまで変質させ、あるいは支えうるのか——その難問を、熊本はよりあらわな姿で差し出していた。それは欠陥ではなく、ある種の誠実さだったと、私は今も思っている。
(2026/5/15)
[註]
i. 2026年5月8日にYouTubeにアップされた公式動画「東日本大震災から15年 レクイエムにかけた想い|2026.3.15 沖澤のどか指揮 N響いわき公演 モーツァルト「レクイエム」」(https://www.youtube.com/watch?v=WhvL_Yo0MzY)によれば、合唱団の人数は172名である。なお、当日配布プログラムには、東京混声合唱団(賛助)として、14名の名前がクレジットされている。動画中、楽譜をもっての歌唱は同合唱団の賛助メンバーだと思われる。
ii. 例えば、以下を参照のこと。「熊本地震から10年 ヴェルディ「レクイエム」特別公演 熊本地震被災者への鎮魂の祈り そして 記憶の継承」(クラウドファンディングのためのサイト、https://www.glocal-cf.com/project/verdi)。なお、参加人数は当日配布のプログラムに記載されたメンバー表による。
iii. 「レクイエムで鎮魂の思いを NHK交響楽団いわき定期演奏会 市民合唱団が共演」、いわき民報、2026年3月17日(https://iwaki-minpo.co.jp/news/2026/03/311292/)。
iv. 池田卓夫「沖澤のどか指揮 第13回 NHK交響楽団 いわき定期演奏会 『東北に生きる』思いをモーツァルトの「レクイエム」に託して〜」、CLASSICNAVI 2026年3月16日(https://classicnavi.jp/newsflash/post-40635/)。
Iwaki:
[Performers]
Conductor: Nodoka Okisawa
Soprano: Aki Matsui
Mezzo-soprano: Eiko Koizumi
Tenor: Tetsutaro Shimizu
Baritone: Toru Kaku
Orchestra: NHK Symphony Orchestra
Concertmaster: Sunao Goko
Chorus Conductor: Satoshi Yoneda
Chorus: Iwaki Citizens’ Requiem Chorus
[Program]
Wolfgang Amadeus Mozart: Adagio and Fugue in C minor, K.546
Sergei Prokofiev: Symphony No. 1 in D major, Op. 25 (“Classical”)
Wolfgang Amadeus Mozart: Requiem in D minor, K.626
[Encore]
Wolfgang Amadeus Mozart: Ave Verum Corpus, K.618
(with members of local junior high and high school choirs)
Kumamoto:
[Performers]
Conductor: Nodoka Okisawa
Soprano: Atsuko Matsui
Mezzo-soprano: Erika Cortese
Tenor: Hiroaki Fuefuki
Bass: Shinichi Sakuma
Chorus: Kumamoto Earthquake Memorial Verdi Requiem Chorus
Orchestra: Kumamoto Earthquake Memorial Verdi Requiem Orchestra
Chorus Conducters: Takehiro Iwao, Shinichi Sakuma
Orchestra Conducting Instructor: Mao Shigematsu
Concertmaster: Mika Kurisuno
[Program]
Giuseppe Verdi: Requiem
