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前田妃奈 ヴァイオリン・リサイタル <久末航を迎えて>|林昌英

前田妃奈 ヴァイオリン・リサイタル <久末航を迎えて>
HINA MAEDA  WATARU HISASUE Duo Recital

2026年2⽉20⽇ 東京文化会館 小ホール
2026/2/20 Tokyo Bunkakaikan Recital Hall
Reviewed by 林昌英(Masahide Hayashi) :Guest
Photos by 松尾淳一郎/写真提供: AMATI

<演奏>
前田妃奈(ヴァイオリン)
久末航(ピアノ)

<曲⽬>
F.プーランク:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ FP.119
I.ストラヴィンスキー:ディヴェルティメント バレエ音楽「妖精の口づけ」より(S.ドゥシュキン編曲)
C.ベリオ:バレエの情景 作品100
C.フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調 FWV8

(アンコール)
C.ベリオ:セレナーデ

 

2022年のヴィエニャフスキ国際コンクール優勝で大きな注目を集めた、ヴァイオリンの前田妃奈。結果自体がすばらしいことはもちろんだが、ファイナルを弾き終えた瞬間の会心のポーズと満面の笑みがあまりに鮮烈で、演奏とキャラクターの両面で注目せざるを得ない存在になった。
その前田の2月のリサイタル。共演のピアノは、2025年のエリザベート国際コンクール第2位受賞で、一躍時の人になった久末航。それ以前から久末の繊細でエゴのない音、それでいて一瞬で曲の世界を作り上げてしまう演奏は、デュオでさらに魅力を発揮していると感じられることが多く、やはり注目の存在だった。その前田と久末は、これまでも共演を重ねてきて、CDも作成している。

この日の会場で、まず驚かされたのは、ほぼ満席の客席。東京文化会館の小ホールがここまで人でいっぱいになるのは近年あまり記憶がないほどで、両者の人気ぶり(特に昨年の久末のエリザベート2位はインパクトが大きかったようだ)を客席の熱気で体感できた。
また、前田妃奈による挨拶文とプログラムノートにも思わず唸らされた。明るくフランクな語り口のイメージを残しながら、自らの体験によるコメントと、心の裡に浮かんだファンタジーの描写と、共演者や曲目についての適切な距離感の解説とが絶妙に成立している。演奏家が文章をうまく書ける必要があるとは全く考えないが、要点がわかりにくかったり、まとまらずに異様な長文になることもなく、「前田妃奈らしさ」が文章で成立していることは、彼女の演奏にも繋がるものとして特筆したい。

そして演奏。1曲目のプーランクのソナタから前田は最大出力で臨む。冒頭から強靭で強烈な音塊をぶつける。1936年にスペイン内戦の中で銃殺されたスペインのガルシア・ロルカに捧げられた作品で、プーランクとしても異例となる、怒りのような感情が顕れた音楽。楽曲中には「荒々しく(暴力的に)」という指示もある。とはいえ、さすがに美感を損ない過ぎるきらいもあったが、それも前田の覚悟の表れと受け止められた。そのギリギリの表現を成立させるのは、前田のテンションを受けとめながら落ち着きも忘れぬ、久末の絶妙な差配だ。

続くストラヴィンスキー『ディヴェルティメント』は、ストーリーの描写を大切にしながら、技巧は冴え、一つひとつのフレーズの表現が大きい。前田は攻めるときは躊躇なく攻めるし、フレーズの終わりを思いきり弾き切ることも厭わない。一歩間違えると乱暴な印象も与えかねないが、前田は実に様になっていて気持ちが良いし、そのように弾き切る世界的ソリストも多く、前田が見据えているのはその次元なのだろう。

後半のベリオ『バレエの情景』は、そういった前田の特長と意図が十全に活かされた、この日の白眉ともいえる会心の演奏だった。19世紀ベルギーのベリオの楽曲は、ヴァイオリン学習者にはある程度知られているとはいえ、通常の演奏会で取り上げられる機会は稀少。そこに注目した前田のアイディアは、有意義かつ理想的な成果をあげた。冒頭のコードこそ気負い過ぎにも感じられたが、序奏の長い旋律線は濃密にして流麗な歌になり、思わず引き込まれる。主部は圧巻で、前田の硬質な音が、東京文化会館小ホールの音響とも相まって、実に輝かしく響き渡る。その音色での超絶技巧の数々も気持ちよく決まる。そうなると演奏姿自体が「バレエの情景」のような趣きになっていく。
なにより前田の音楽には変な含みがなく、スパッと明快で気持ちが良い。もしかすると19世紀のヴィルトゥオーゾというのは前田妃奈のような存在だったのかもしれない。もちろん久末はただの伴奏に甘んじてはおらず、前田のまっすぐな表現に膨らみを与え、方向性をコントロールしていく。両者が細かいフレーズをユニゾンで弾く箇所は、完璧なタイミングかつ遊び心もたっぷりと。
メインはフランクのソナタ。ベリオからベルギーの作曲家を繋げる流れがよく、「19世紀のヴィルトゥオーゾ」という観点からも発見が多い。前田のヴァイオリンはフレーズを大きくとらえ、長く豊かな歌があふれる。本作のピアノは難曲として知られるが、久末はペダルを抑制して使うことで、クリアで硬めな響きでしっかり作り込み、楽曲の構造を明らかにしていく。
第1楽章での力強いカンタービレ、第2楽章でのたくましい構築が際立ち、フランクの魅力を満喫。1と2はほぼアタッカで繋げて、2から4は各楽章の間をしっかり取ったが、その判断も納得できる。また、第3楽章、最初のピアノのフレーズが終わってもヴァイオリンはすぐに入らず、澄んだピアノの響きが減衰してから弾き始め、その瞬間の美しさに思わず息をのむ。わずかな間だが効果の高い、むしろ作品の必然とすら思わせてしまう、感覚の冴えと冷静な判断。これぞ前田の本領だろう。第3楽章で確かな感性をもって悲痛な情感を表した後、フィナーレは期待通りスケールの大きな構えで明るく歌い抜いた。
プログラム終了後は、カーテンコールに応えて前田がトーク。屈託なく明るく、よく笑うMCぶりに、客席の空気も和らぐ。久末にもマイクを渡し、穏やかな語り口がまた演奏のイメージ通り。そしてアンコールはベリオの『セレナーデ』。ここでも前田は明朗で健全なカンタービレを聴かせる。

現時点の前田は、楽曲から「暗い内面」や「艶(つや)」を引き出すタイプではないかもしれないが、楽器の魅力を明らかにし、19世紀ヴィルトゥオーゾの何たるかを現在に伝えてくれる、稀有なヴァイオリニストであることを示した。いや、むしろ私たちはいつの間にか、楽曲の裏の意図や陰の側面などを、必要以上に読み取ろうとし過ぎているのかもしれない。そんなことまで考えさせられる、出色のヴィルトゥオジティだった。
久末もアンサンブルでのバランス感覚と、そこに留まらず楽曲の世界を作り出せる名人であることを改めて確信できた。このコンビであれば、古典もラテンも現代も、どんなレパートリーも面白いものになりそう。今後にも期待したい。

(2026/3/15)

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林昌英(Masahide Hayashi
出版社勤務を経て、音楽誌制作と執筆に携わり、現在はフリーライターとして活動。「ぶらあぼ」等の音楽誌、Webメディア、コンサートプログラム等に記事を寄稿。オーケストラと室内楽(主に弦楽四重奏)を中心に執筆・取材を重ねる。40代で桐朋学園大学カレッジ・ディプロマ・コース音楽学専攻に学び、2020年修了、研究テーマはショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲。アマチュア弦楽器奏者として、ショスタコーヴィチの交響曲と弦楽四重奏曲の両全曲演奏を達成。