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ベトナム便り|ハノイで垣間見たイスラム社会|加納遥香

ハノイで垣間見たイスラム社会

Text & Photos by 加納遥香(Haruka Kanoh) :Guest

2025年の暮れ、1年以上行ってみたいと思っていたのにずっと行けていなかったハノイ市内のある場所をようやく訪れることができた。それは、マスジドである。マスジドとはイスラム教の礼拝堂を指すアラビア語で、英語ではモスクといわれる。素人の見聞記にとどまるものではあるが、今回はハノイのマスジドを訪れたときのことを綴ろうと思う。
その前に、私がハノイのマスジドに関心を持つようになった背景として、1年半ほど前の東南アジア各国旅行での体験を振り返らせていただこう。

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2024年7月、ベトナムでの勤務が始まって初めての夏休みに、ベトナム滞在中に絶対に実行すると決意していた東南アジア周遊旅行に行った。ベトナムも東南アジアの一国であるとはいえ、この地域はあまりにも多様なので、距離は近くともまったくの異世界に飛び込むようなものである。このとき選んだのは、マレーシア、インドネシア、シンガポール。理由はあまりにも単純で、マレーシアとインドネシアに友人が住んでいるから、そしてシンガポールを経由してベトナムに戻ると都合がよいから、だった。友人と予定をあわせて航空券を取り、大まかな旅程を決め、それから旅行に向けて具体的な計画を立てはじめ、ガイドブックなどを調べはじめる。すると、ちょうどその年の3月に刊行されたばかりの旅行ムック本(『TRANSIT63号 インドネシア・マレーシア・シンガポール 熱狂アジアの秘境へ』2024年、講談社)が、なんとこの3カ国を特集しているではないか。早速入手して中を読み進めると、歴史、社会、文化など、3カ国の類似性が少しずつ見えてくる。
実際に3カ国を回ってみて印象に残ったのが、どの国でも訪れたマスジドであった。私はこの旅行以前にマスジドを訪れたことがなかった。人生で初めて足を踏み入れたマスジドは、多民族国家マレーシアで友人に連れて行ってもらったマスジド・プトラとなった。1999年に完成した比較的新しいマスジドで、「ピンクモスク」という名前で知られた観光地にもなっており、私が訪れた日も観光客で溢れていた。入口の列に並んでフード付きの赤いマントを受け取り、それをすっぽりと被ってから、内装までピンク一色の壮大な建物の中を見学した。


マスジド・プトラ(2024年7月 筆者撮影)

翌日、クアラルンプールからバスに乗って向かったのは、マラッカである。夜に街中を散策していると、マスジド・カンポン・クリンという名前の小規模なマスジドに出会った。すぐ近くにヒンドゥー教寺院、仏教寺院もあり、多文化・多宗教の町であることを感じさせられる。次の日の日中に改めて足を運ぶと、非ムスリム向けに服装の注意点も書かれ、入口にはスカーフが用意されていたので、少し見学させていただいた。寺でも教会でもそうだが、前日訪れた大きなマスジドもあれば、人々の生活の中にあるような小さなマスジドもあるのだと、当たり前のことに気づかされる。


マスジド・カンポン・クリン(2024年7月 筆者撮影)


マスジドのすぐ隣に位置するヒンドゥー教寺院(2024年7月 筆者撮影)

次に訪れたのが、インドネシアの首都ジャカルタにあるマスジド・イスティクラルだ。が、観光客用に決められた見学時間を逃してしまい、中に入ることができなかった。落ち込みながら敷地内でぼーっとしつつ、人々が礼拝に来たり礼拝を終えて帰ったりする中で、屋外に流れてくるアザーン(イスラム教の礼拝の呼びかけ)の声に耳を傾けた。私には言葉の内容は全くわからないのだが、その音には心地よさを感じた。特に夕暮れ時の18時頃のことは忘れられない。空が刻々と表情を変えて赤紫色に染まりゆく中、マスジドの真向かいにそびえたつキリスト教の教会の鐘が響きわたったのである。その鐘の音とアザーンの声が重なり合った瞬間は、心に強く刻まれることとなった。


マスジド・イスティクラルの敷地内にて(2024年7月 筆者撮影)


マスジドから見た教会(左)と教会から見たマスジド(右)(2024年7月 筆者撮影)

3カ国目のシンガポールでも、マスジドを訪れた。マスジド・スルタンといって、荘厳で存在感のあり、観光客も多い。このときはムスリムの友人と一緒に行ったのだが、礼拝の時間と重なったため、友人は礼拝室でお祈りをし、私は観光客向けのスペースで待っていることとなった。イスラム教に関する紹介の展示もあり、観光客に説明するスタッフの方もいた。シンガポールには中華街やリトルインディアがあるが、マスジド・スルタンの正面にはトルコをはじめとする中東のショップやレストランなどが立ち並ぶアラブストリートがあり、中東にワープした気分も味わった。短い滞在だったものの、シンガポールの多文化性、そして人の移動の歴史を感じることができた。


マスジド・スルタンの外(左)と内部の観光客用エリア(右) (2024年7月 筆者撮影)


マスジド・スルタン前の通り(2024年7月 筆者撮影)

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この旅行を通して、人生で初めてマスジドを4か所も訪れ、そういえばハノイにはマスジドがあるのだろうか、という疑問が頭をよぎった。ベトナム人ムスリムは、主に中南部や南部に居住しており、特に少数民族の一つであるチャム族の人々に多い。一方でハノイでは、南アジアや中東、東南アジア出身とみられる外国人の居住者や観光客を街中で見かけるものの、ベトナム人のムスリムがいるのか、私は知らずに過ごしていた。
今のご時世は便利なもので、ネットで検索するとすぐに、ハノイにもマスジドが1つあることが分かった。ただ、観光地化はされておらず、ここに生活する人たちのための場所であることは明らかであり、一人で入る勇気もなく行けずじまいとなっていた。そしてようやく足を運べたのが昨年末。先述のムスリムの友人がハノイに遊びに来るというので、その機会に行ってみようよと誘い、一緒に行くことになった。

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マスジド・アルヌール(Thánh đường Al-Noor)は、ハノイの旧市街の北東部ハンルオック通り12番にある。旧市街はごちゃごちゃしていて、さらにマスジドの外壁の前にはそのあたりの行政区の大きな掲示板が立っていたり、その傍に路上散髪店があったりと、マスジドはすっかり旧市街の風景に溶け込んでいる。自分がこれまでにこの通りを歩いたことがあるか記憶が定かでないが、あったとすれば、私はマスジドの存在に気がつかずに通り過ぎていたということになる(ハノイの道は凸凹していて街路樹やバイクなどの障害物も多いために周囲を見る余裕がないということも理由の一つだが…)。


マスジド・アルヌールの外観(2025年12月 筆者撮影)

新聞『ハノイ・モイ』(ベトナム共産党のハノイ市党委員会の機関紙)の記事によれば、アルヌール礼拝堂はハノイで唯一のマスジドで、建設されたのはフランス植民地時代のこと。1885年に当時ベトナムに滞在していたムスリムのインド人商人たちがお金を出し合い、1890年から使用されるようになったという(ハノイ・モイ、2025年6月8日付)。
イスラム教の礼拝は1日5回で、そのうち4回目は日没の時間だ。私がアルヌール礼拝堂を訪れた日の日没は17時18分で、到着したのは17時すぎだったので、少しずつ人が集まろうとしていた。入口から少し奥に進むと男性用の礼拝室があり、その右手にある細い廊下を通って奥に行くと、女性用の礼拝室がある。マフラーをヒジャブ代わりにしてこちらに少しお邪魔してから入口の方に戻ると、男性用の礼拝室には人が集まり始めていた。ぱっと見た限り、ここに集まっている大半は南アジアや中東系の人のようであり、主にベトナムに住む外国人のためのマスジドであるのだろうと思われた。マラッカで訪れたマスジドのほうが大きいが、街中にある様子や建物の雰囲気はそれに近い。かつてインドの商人が建てたマスジドは、ハノイの一角で、今も外国人ムスリムの生活と信仰の場となっている。


女性用礼拝室の本棚に置かれたクルアーン。右側はベトナム語訳つき。(2025年12月 筆者撮影)

礼拝堂から外に出て通りを見渡すと、ムスリム向けにハラルフード料理(イスラム教において食べることが許されている食べ物)の店が建ち並んでいた。夕食として、マスジドのすぐ近くにあったハラル認証マークが掲げられたハンバーガースタンドで、ビーフハンバーガーをテイクアウト注文。お店はまだオープンして間もないそうだ。写真を撮るのをすっかり忘れてしまったのだが、ハンバーガーはずっしりとボリューミーで、ほどよくスパイスがきいた味付けがとてもおいしかった。ハノイには西洋人向けのおしゃれなハンバーガー屋さんもあるが、それよりもお値段も良心的で食べ応えもある。私の生活圏からは少し外れているのだが、近くに行った際にはリピートしたいと思っている。


マスジド近くに立ち並ぶハラルフード店 (2025年12月 筆者撮影)

お店でハンバーガーができあがるのを待つ間、ヒジャブをかぶった若いベトナム人女性の店員さんが、3年前にイスラム教に改宗し、今は友人の店を手伝っているのだと教えてくれた。あまり立ち入ったことは聞かなかったのだが、ムスリムの少ない北部でもイスラム教に改宗するベトナム人がいること、彼らがベトナムのイスラムの文化や社会の今を紡いでいる様子を垣間見られた気がした。
ハラルフードに関しては、最近ハノイでもよく見かけるようになった。ムスリムの友人はマスジドの近くでハラル認証つきの牛肉フォーの店を見つけて食べたと教えてくれた。また、マスジド周辺以外でも、欧米人が多く住む西湖エリアにも増えている。この地区にはレバノン料理のハラルレストランがあるらしく、近日中に行ってみようと思っている。ベトナムでは豚肉をよく食べるので、ムスリムにとっては住みにくいだろうとつくづく思っていたのだが、世界的にハラルフードへの関心が高まる中で、ムスリムにとっても住みやすい環境が作られつつあるのだろう。

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私のハノイ在住歴は、留学時から併せるとようやく合計5年を超えたのだが、ハノイの街中にもまだまだ知らない世界が溢れている。ひとつの景色、ひとつの出来事の背景にある歴史や社会についての勉強不足も身に染みる。いつまで経っても新しい発見はつきないだろうし、一度見た景色も、日に日に変わっていくことだろう。2026年も『Mercure des Arts』の場をお借りして、ハノイやベトナムのことを少しずつ書き留めていきたいと思う。

(2026/1/15)

*このエッセイは個人の見解に基づくものであり、所属機関とは関係ありません。
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加納遥香(Haruka Kanoh)
2021年に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士後期課程を修了し、博士(社会学)を取得。同研究科特別研究員。専門はベトナム地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。修士課程、博士後期課程在籍時にハノイに留学し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。著書に『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』(彩流社、2024年)。現在、専門調査員として在ベトナム日本国大使館に勤務している。