ジャン=クロード・ペヌティエ(ピアノ)|秋元陽平
ジャン=クロード・ペヌティエ(ピアノ)
Jean-Claude Pennetier (Piano)
2025年12月4日 TOPPANホール
2025/12/4 TOPPAN Hall
Reviewed by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
Photos by 藤本史昭/写真提供:TOPPANホール
〈プログラム〉
シューマン:子供の情景
ブラームス:6つの小品 Op.118
ショパン:夜想曲 第3番 ロ長調 Op.9-3/第6番 ト短調 Op.15-3
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
〈演奏〉
ジャン=クロード・ペヌティエ(ピアノ)
わたしは2人の小さな子どもたちによく絵本を読んで聞かせているが、彼らは物語の作者が誰であるかを一向に気にしない。また、異なる物語のあいだの切れ目も気にしない。まるでシンデレラに出てくるお城と、日本の民話に出てくる農村が地続きであるかのように。想像力は飛翔し、わたしたち語り手もまた、自由にその中へ入ったり出たりする。
もしかすると老境に達した音楽家にも同じようなところがあるのかもしれない。ペヌティエが曲目間の拍手をしないよう観客に頼んだのも、この切れ目のない、そしてまた確固たる創造主のいない、解き放たれた地平を伸びやかに旅するためだったのだ。『子どもの情景』はこうして、心のおもむくままに数々の思い出を再訪し、しかじかの細部(あのときあなたはこう言った…そのときの表情と言ったら!)を思う存分語り直す。付された小題のひとつひとつは確かに個別のムードを持ったエピソードを指示するとしても、連作をつうじて眼差しは自由に飛び交う。それは童心というよりも、回顧の闊達さだ。
ついこの間までそうでなかったと思うが、技術的にはそこここに綻びを感じる。引退を決断した一因であろう。
ブラームスの間奏曲集はあたかも青春時代から壮年期にかけての浪漫的な回顧といった趣だが、情熱の迸りとともに、対位法の数珠の糸が切れたかのように諸声部の連なりがばらけてゆく。だがペヌティエの語りがそれでもひとを引き込んで離さないのは、和声のめくるめく展開を、縦の連なりをしっかり捉えているからではないか。この点、古楽から古典派に通暁したピアニストだということをしっかり感じさせ、またブラームスの作曲技法の妙にも改めて感じ入る。
しかしペヌティエの真骨頂は、やはりというべきか、ベートーヴェンの32番であった。とりわけ第二楽章は、わたしがこれまで触れてきた演奏のなかでも最も説得的なものの一つとなった。
しんみりした思いや、巨匠ぶった出し惜しみはない。むしろ、新しい道を踏み出すひとの、瑞々しく、静かだが力強い足取りだ。晩年様式などと言われるが、むしろピアニストが若返ったようではないか。ベートーヴェンの長きにわたるピアノ・ソナタ作曲史の驥尾に、変奏曲というこの奇妙な形式が選ばれたことの意味も、ペヌティエに改めて教えられたように感じる。そこには線的に展開する物語や、重力に導かれてたどり着くような目的地はない。つまり、全ては同じ道の延長であり、それでいて全てが新しい。ピアニストは自らの職業生活をこうして締めくくるのだ——わたしはこれからどうすべきだろうか。ほとんどそのようなことを素面で考えた。聴くひとの背中を押す音楽を、わたしは確かに受け取った。
(2026/1/15)

