プロムナード|ハルシネーションということば|秋元陽平
ハルシネーションということば
Le mot « hallucination »
Texte by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
「牛の卵は健康に良い」と自信満々に言ったのはマクロン大統領の肝煎りで開発されたフランス発の生成AI、 Lucieだ。言った、というよりも、彼女は自身が大量に飲み下した言語データから、統計的なプロセスにしたがって勤勉に文字を並べたに過ぎない。ともかくフランス内外のネチズンたちの笑いものになったのちに、哀れなリュシーは一旦公開停止の憂き目を見たという。それから時は流れ、大学で働く研究者たちはいまや、毎日学生のレポートのうちに、査読依頼された論文のうちに、この「牛の卵」に出くわすことになった。あるはずのない文献への指示は、まったくもって日常茶飯事だ。
ところでまたたく間に定着したこのハルシネーションということばだが、たとえばイリュージョンと比較しても、本邦では日常用いられるカタカナ語としてはさほど聞き慣れない単語ではなかっただろうか?精神医学史をひもとけば、この二つの術語の持つ意味の根本的な違いに気づく。狂気を治癒可能な病として捉え直した始祖フィリップ・ピネルの衣鉢を継ぎ、精神医学の制度化に尽力したジャン=エティエンヌ=ドミニク・エスキロール(1772‐1840)は、このハルシネーションに一家言ある専門家のうち最古参のひとりだろう。この時代を画する知の殿堂たるパンクック医学事典(Dictionnaire des sciences médicales)に寄稿した同項目(vol.20, 1817年)において、彼は次の点について注意喚起している。感覚のイリュージョンillusion des sensが、枯れ尾花を幽霊と思い込むように外的知覚の誤認に基づくとするならば、ハルシネーションhallucinationは外的要因なし——つまり枯れ尾花というトリガーすらなしに——自身の内側からあらわれて、ありもしないものを存在するかのように知覚するのだ。イリュージョンはその異常さで見るひとを驚かせ、あわてふためかせる。この点、語の定義の限界を十分に踏まえた上でこう言ってよければ、ハルシネーションはより「正常」であり、それゆえにこそまた、より「異常」である。正常というのは、立ち現れた対象を現実と思い込むイリュージョンと異なり、ハルシネーションはたとえひとつないし複数の感覚器官に取り憑いたとしても、その他の感覚器官によってその現実的存在を否定されるからだ。自殺しろと耳元で絶えず囁く声がしても眼はその声の主を捉えないし、絶えず自身につきまとう兵士の姿が視界にうつってもそれに手を触れることはできない。このことはたいていの場合、患者自身がよく理解している。だが、それだけにいっそう、そこには精神機能の注目すべき「異常」がみとめられる、とエスキロールは示唆する。イリュージョンの場合、幽霊はそれを見るものにとってまったく現実に存在しているのだから、それに怯えることはある意味で合理的である。だがこの精神科医aliénisteいわく、ハルシネーションの患者たちは知覚の著しい不整合を気にとめた上でなお、その声だけの、姿だけの、はたまた匂いだけの存在を静かに、淡々と、深く信じている。そうです、私にだけは見えるんです。消えてくれるように頼んだんですけども、しつこいんです…。
つまり、彼らはそこに「部分的狂気」と呼ばれるものの典型、白と黒と、狂気と正常とを横断する裂け目を探り当てたのだ。ここから20世紀の精神分析psychanalyseに至るまで、「狂気」を人間精神の基本構造に置き直す壮大な試みが連綿と続くこととなる。エスキロールはさきほどの辞書項目において、いくつかのテクニカルな指摘ののちに、不意にあっさりと、よく考えてみると相当に革新的なことを書き付ける。「もっとも理性的なひとでさえ、よく自身を観察するならば、その精神のうちにしばしば、最もとっぴなイメージや観念が、最も奇妙な仕方で連合していることに気づくだろう。
日々の仕事、精神のつよい集中が、これらの観念やイメージから気を引き離してくれていたのである」とすると、生成AIが「牛の卵」のような大法螺を吹いて、苛立った使用主に追及されてしれっと訂正するときのあの平坦な言葉遣いにわたしたちが覚える索漠とした感情は、草創期の精神医学者たちが患者のハルシネーションを診たときの当惑に近いのだ。不気味なものは近さと遠さの両方からやってくる。牛の卵は、私たちの言葉との付き合いの一側面をみごとに言い当てており、それゆえに笑い飛ばすしかないのだろうか?ところで読者諸賢におかれましては、わたしがさきほど引用した辞書は実在しているか確認していただきたい。なるほどその手間を省こうとおもうなら、たしかに人工知能は答えてくれるだろう、雌牛の体内からぬるりと排泄される卵の、そのてらてらとした皮膜に包まれた殻よりもなおつるりとした、あのあどけない顔貌で…。
(2025/12/15)
