NHK交響楽団 第2047回 定期公演 Cプログラム|秋元陽平
NHK交響楽団 第2047回 定期公演 Cプログラム|秋元陽平
NHK Symphony Orchestra 2047th Subscription Concert
2025年10月24日 NHKホール
2025/10/24 NHK Hall
Reviewed by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
写真提供:NHK交響楽団
〈プログラム〉
ブラームス/ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83
[アンコール曲]ショパン/24の前奏曲 ― 第8番 嬰ヘ短調 作品28-8
ブラームス/交響曲 第3番 ヘ長調 作品90
〈演奏〉
独奏ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス
アンスネスはこの不世出の協奏曲にうってつけのピアニストだ。ごつごつとした岩の積み重なった崖をクライミングするような和音塊の連続から、絶景を見下ろす男の叙情的な独白といった風情のパッセージまで、どうもただ音響や音色を磨くだけでは再現できない、ブラームス独特の語りの実直なリアリティを出せるピアニストは少ないからだ。そのイメージを形作ったバックハウスの名盤が念頭にあるこの曲において、アンスネスはしかしより柔らかく、同時に伸びやかにストレートなタッチで、ブラームスの奥ゆかしいエレガンスに対して正面からその内実を打診する。
座って指揮をする98歳——N響とほぼ同年齢だ!——のマエストロ・ブロムシュテットの姿は私の席からはピアノの蓋に隠れてまったく視認できなかったが、塗りが薄く滞りない進行は健在だ。雄大な山脈だけでなく、裾野の花々を眺める余裕があるくらいの速度で走る登山列車に乗ったように、わたしは今まで気づかなかった同曲のさまざまな細部を発見し、ブラームスの作曲の巧さに改めて感じ入った。指揮者がオーケストラをきびきびと先導して引き締めることはさすがになくなってきてはいるのだが、この協奏曲は内部にじつに豊富なリズム資源を埋蔵しているということもあり、それらを賦活させるだけで音楽にめりはりがつき、推進力を失わない。リズムの形をくっきりと把握しながら丹精を込めて和声を鳴らしていくアンスネスと、ブロムシュテットのこのレイト・スタイルは、ブラームスの途方もなくロマンティックな魂をあらためて浮き彫りにする。思えば彼はこれを完成させたとき40代の終わりである。
わたしにはその年齢の男の心理状態をまだ想像できないが、しかしその形式が洗練されていればいるほどに、ブラームスの根底にある、あられもないほどに純真な理想への憧憬がわたしの胸を打つ。アンスネスも、そして生誕から一世紀を迎えようとする指揮者もまた、この練り上げられた純真さに共鳴するのだ。
ブラームスの第3番。要所要所でヘミオラやリズムの変化などを鋭く反映させる点、色彩の点では緩徐楽章のクラリネットの弱音のフォーカスなど、N響のアンサンブル能力の助けもあって音楽は張りを失っておらず、みごとな生彩を見せる場面も多々あった。こうして私が指揮者とともにブラームスに親しんだ者のひとりとして万感の思いをもってこの演奏を聴いたことは確かだが、それで評文を埋め尽くしてしまうのは役割を果たしたことにならないだろう。
今ここで起こっている音楽を指揮者がすぐに打ち返し、音楽に独特の緊張を与える、あのライヴ感覚はやはり薄れてきているように思われた。しかし美しい。それはいわば、さまざまな思い出のうちに弛緩していく美しさだ。一世紀を生きようとする音楽家の積み重ね、そして楽員と共有してきたさまざまな音楽的記憶が、演奏家たちの自発性を通じて、その場でじわじわと流れ出ていくようだった。その音楽は聴衆を鮮烈さで釘付けにすることはなく、むしろ浸らせる。
時間の彫刻であったはずの楽曲が、タペストリーのように広がって、その美しさのまま静止し、その細部がひとつひとつ丁寧に撫でなおされるようだ。つくづく音楽は生きており、その年齢ごとの音楽がある。巨匠から受け取るべき学びは、若い後続世代にしかできないことをやらなければならない、ということだろうか。
(2025/11/15)