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9月の2公演短評|齋藤俊夫

9月の2公演短評|齋藤俊夫

♪オペラシアターこんにゃく座公演 オペラ『変身』
♪日本フィルハーモニー交響楽団 第256回芸劇シリーズ

♪オペラシアターこんにゃく座公演 オペラ『変身』→演奏:演目
2025年9月20日 KAAT神奈川芸術劇場大スタジオ

正直、第1幕を観劇している最中は違和感を拭えなかった。虫になったグレゴール(本オペラでは冒頭から時折挟まれる朗読会の朗読者「K」がグレゴールとの二役を演じる)を巡って、「家族愛」「兄妹の絆」といったベタベタの紋切り型がテーマの妹のエレジーやグレゴールと妹のデュエットを聴きつつ、そういった紋切り型の建前を脱臼させるのが演劇の使命なのではないか、いわんやカフカにおいてをや、と思い続けた。
しかし第2幕の終幕間近で第1幕での失望は覆された。
第2幕終幕間近、第1幕からグレゴールの一番の理解者を演じていた妹は、彼女の弾くヴァイオリンの音に誘われて人の前に姿を現したグレゴールに向かって「追い払うのよ、これを追い払わなければ!虫けらよ!虫けらよ!」と絶叫するのだ。
そして家族皆に追い払われ死を間近にしたグレゴールがピアノとリリカルで実に美しいディアローグを歌い「さい、ごの、い、き、が、、、」と死に至る。絶望的なのに美しいというなんと残酷な劇作であろうか。
「K」が「小さな物語の主人公が、今、死んだ」と朗読を終わり、ザムザ家の3人が路面電車に乗ってのハッピーエンド(なのか?)と見せかけた後、舞台上の全員で旅行鞄を持ち、「出発できていたら、出発できていたら」とリフレインするのは、原作が書かれた後の時代のユダヤ人を待っていた惨劇の隠喩であろうか。これもまた、残酷な劇作だ。
糖衣に包まれた残酷な劇、しかも途中でプラハの美しい街並みの歌や河童の歌やら全員踊り狂ってのポルカなども混じってくる贅沢な劇、これはこんにゃく座にしか不可能なのではないだろうか。今回も大いに楽しませてもらった。

♪日本フィルハーモニー交響楽団 第256回芸劇シリーズ→演奏:演目
2025年9月21日 東京芸術劇場コンサートホール

カーチュン・ウォンは、同時的なオーケストレーションのプロポーションと経時的な音楽構築のプロポーションという2方向のプロポーションにおいてかつてないほどの名匠であると改めて認識した。
今回の『SF交響ファンタジー第1番』のみならず、伊福部作品とその解釈には常になんらかのマニエリスムがまとわりついてしまっていたが――特に本作のように「伊福部ファンの愛情」ゆえのマニエリスムが濃くまとわりつく作品では――本演奏会ではそれが全く感じられなかった。
だからといって伊福部の野趣が薄れて都会的でシステマティックな音楽に傾いたりするようなこともない。正確無比なプロポーションが保たれつつもあくまで土の匂いを感じさせる伊福部とゴジラ、キングコングら怪獣たち。作曲者と彼の遺したSF映画音楽の登場人物(?)たちへの憧憬と共感なくしてはありえない、蛮性と理性と聖性の輝けるアマルガム。これまで筆者が生演奏や録音で聴いて来た『SF交響ファンタジー第1番』のなかでも一等と言っても良いであろう名演であった。

ラヴェルは華美に走ることの多い独奏者と黄金比を求めるカーチュンの音楽との齟齬が其処此処で感じられたことは否めなかったが、それはそれでラヴェル的な軽やかな優美さを楽しめたことも否めない。

ドヴォルジャーク『新世界』もまたカーチュンの完璧なプロポーションの魔術により、伊福部作品同様、聴いている間中、懐かしいが存在したかどうかもわからない故郷への郷愁に誘われ、そして最後のクライマックスのカタルシスと余韻がたまらなく心地よい。「通俗名曲」などと呼ばれることもあろうが、改めて生で聴くと、いや、素直に名曲ですなあ、などと通人ぶった感想を心の裡に持ちつつ帰路についた。

このカーチュン・ウォンと日フィルの完璧なプロポーションの蜜月こそ、今聴いておくべきであると太鼓判を押そう。

♪オペラシアターこんにゃく座公演 オペラ『変身』
<スタッフ>
原作:フランツ・カフカ
台本:山元清多
作曲:林光
演出:上村聡史
美術:長田佳代子
衣裳:宮本宣子
照明:阪口美和
振付:山田うん
舞台監督:大垣敏朗
音楽監督:萩京子
宣伝美術:画:溝上幾久子 デザイン:片山中藏
<キャスト・演奏>
K:北野雄一郎
父:髙野うるお
母:鈴木裕加
妹:入江茉奈
支配人:沢井栄次
女中1:豊島理恵
女中2:熊谷みさと
女中3:西田玲子
下宿人1:沖まどか
下宿人2:泉篤史
下宿人3:金村慎太郎
クラリネット:橋爪恵一
ファゴット:前田正志
ヴァイオリン:山田百子
ピアノ:寺嶋陸也

♪日本フィルハーモニー交響楽団 第256回芸劇シリーズ
<演奏>
指揮:カーチュン・ウォン
ピアノ:髙木竜馬(*)
日本フィルハーモニー交響楽団
<曲目>
伊福部昭:SF交響ファンタジー第1番
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調(*)
(ソリスト・アンコール)シューマン:子供の情景より『トロイメライ』(*)
ドヴォルジャーク:交響曲第9番《新世界より》 ホ短調 op.95 B.178

(2025/10/15)