ドイツ便り| バイロイト音楽祭で |藤井稲
バイロイト音楽祭で
Text & Photos by 藤井稲(Ina Fujii) : Guest
ミュンヘンに住んで1年半が経った。石畳の道、古い建物、爽快に走る自転車、行き交う人々のドイツ語の話し声、犬を連れて散歩したりジョギングしたりしている近くの広い公園。ここで生活していて見える景色が、未だ現実ではない気がする時がある。現在私がこうしてドイツに住んでいること、音楽に携わっていること、教員として働いていることは自分で選んできた道だと思っていたが、父がドイツ関係の仕事をしていたこと、保育園で働いていた母がよく足踏みオルガンを家で弾いていたこと、好きな音楽をカセットテープで送ってくれ、ピアノのすばらしさを教えてくれた叔母をはじめ、今まで出会った人たちの思いを受け継いでここにいるような気がしてならない。そして、年を重ねて40代後半でのドイツ生活再スタートは、20代でベルリンに留学した頃とは違い、常に過去と現在を交差させている自分がいる。
夏休みに入る前に、職場の同僚から「バイロイト音楽祭のチケットが1枚余っているから行かないか」と誘ってもらった。 ベルリン留学時代にはワーグナーの音楽を聴きに行ったのはほんの数回しかなかった。彼の音楽がナチス政権に好まれていたということや民族主義、保守的なイメージが離れず、私はあえて遠ざけていたのかもしれない。あれから十数年たって今の自分がワーグナーの音楽を聴いてどう感じるのだろうか。そんな興味もあり、ワーグナーの楽劇へ足を運ぶことにした。
バイロイトまではミュンヘンから電車で約3時間半。ニュルンベルクで乗り換えがあり、しばらく待ち時間があったのでそこでお昼を食べた。駅構内には3つの大型ファーストフード店のほか、お寿司からベトナム料理、ソーセージ屋まで賑やかにところ狭しと並んでいた。ケバブ屋でお腹を満たした後、バイロイトに向かう電車に乗った。
バイロイト中央駅は小さな駅で、バイロイト音楽祭を宣伝する目立ったポスターや飾りはなく、雨が降っているせいか盛り上がっている雰囲気はなかった。ホテルで一旦荷物を置き、会場へ向かった。中央駅から人通りの少ない車道沿いをひたすら歩き、本当に劇場に近づいているのだろうかと心配になりながら急ぎ足で向かった。
しばらくして劇場前の坂道が見え、登っていくと正装した大勢の人だかりとあの有名な祝祭劇場が見えた。ちょうど劇場の2階のバルコニーでは金管楽器奏者が開演前を知らせる演奏をはじめていた。ドイツ、ヨーロッパからだけでなく、日本人や韓国人らしき来客も目立っていた。毎年ここに来る人が言うには、以前は数年待ちとも言われたバイロイトのチケットを取ることは、今やそんなに難しくなくなったそうだ。
今回の演目は「パルジファル」。上演時間が休憩も含めて6時間。そもそも「パルジファル」はバイロイト祝祭劇場で上演するために作曲され、この劇場以外での上演は禁じられていたぐらい、ワーグナーにとって重要な作品であると言われている。もったいない話だが、特にワーグナーを好んで聴いていなかった私が、6時間という長時間堪えられるだろうかと不安になりながら客席についた。
しかし、開演し幕が開くと、前奏に誘われるように静かにゆっくりと舞台にくぎ付けになっていった。第一幕の後半ではすっかり音楽の中に引き込まれ、男声合唱、女声合唱、歌手の歌声が合わさる迫力に、涙が出るほどだった。そして第二、第三幕とすすむにつれて気持ちがきれることなく、休憩中もその余韻に浸りながら次の幕を待ち遠しく感じる私がいた。このホール特有の響きなのだろうか、歌手の歌声はもとより柔らかい豊かなオーケストラの響き、舞台後方から聴こえてくる神聖に響き渡る合唱。その音楽のすべてがまるでひとつの教会のミサを聴いているような感覚になった。今までの数少ない私のオペラ鑑賞の中で、最初から最後まで高まる気持ちで鑑賞したのは初めてだった。
第三幕が終わり、地響きのカーテンコールが続いた。祝祭劇場を後にしてからもしばらく第一幕に出てきた旋律「聖餐の動機」が頭からはなれず、余韻にひたっていた。
この日の舞台で何が良かったのかを考えていて、ふと気づいたことがある。これまでどこのホールでもそうだったが、私はコンサート開演直前の、会場に響く観客の話し声が好きで、特にそれがドイツ語となると音楽のように心地よく、開演前の期待感を一層高めてくれる。バイロイト祝祭劇場という独特なホールとなるといつもより一層開演直前のその響きは格別なものだった。そしてドイツ語のあたたかみや深み、美しさを最大限に舞台芸術で表現していたのが、ワーグナーの楽劇なのかとさえ思った。
次の日、バイロイトにあるワーグナー博物館を訪れた。まずワーグナーが住んでいたヴァ―ンフリートと呼ばれる建物を見学した。その隣にナチズムとワーグナー家に関する常設展示場となっているワーグナーの息子が建てたジークフリート・ワーグナーハウスがある。バイロイト音楽祭の地でこの問題を扱うのは難しく、さぞかし読む展示の量も多いだろうと思いながら建物に入ると、意外にも広い部屋がいくつかあるものの展示がびっくりするほど少なかった。
そしてその広い部屋で最初に目に入ったのが、小さな電子展示板に紹介されていたヒトラーの言葉“Aus Parsifal baue ich mir meine Religion(パルジファルからわたしの宗教を築き上げる)”であった。
まさに昨日私が肌で感じた「神聖な」音楽が、人々を戦争へ向かわせる大衆扇動のひとつの道具となったことを伝えていたのだ。しかし、その言葉について何の解説もなく、ナチズムとワーグナーの音楽に関する展示はそれだけであった。ワーグナーの音楽を愛する人々が集う場所だからという理由もあるだろうが、音楽の「負の歴史」が現在もなお扱いにくい問題としてあることをこの伽藍洞の部屋で感じずにはいられなかった。
(2025/10/15)
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藤井稲(Ina Fujii)
大阪音楽大学ピアノ科を卒業後渡独。フンボルト大学ベルリンで音楽学と歴史学を専攻。同大学マギスター(修士)課程修了。留学当初よりナチス強制収容所の音楽について関心を持ち、修士論文ではアウシュヴィッツのオーケストラについて研究を行う。帰国後は大阪府の公立学校教員として勤務。2024年4月よりドイツの日本人学校に勤務。




