音の始源を求めてNIPPON電子音楽70周年 Vol.4 Echoes of ’70 Pavilions & Environmental Music|齋藤俊夫
音の始源(はじまり)を求めてNIPPON電子音楽70周年 Vol.4
Echoes of ’70 Pavilions & Environmental Music
2025年9月17日 Artware hub KAKEHASHI MEMORIAL
2025/9/17 Artware hub KAKEHASHI MEMORIAL
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:大阪芸術大学音楽工学 OB有志の会
<スタッフ>
サウンドスーパービジョン:大石満
サウンドディレクション:日永田広
イマーシブサウンドエンジニア:磯部英彬
サポートスタッフ:べんいせい
主催:大阪芸術大学音楽工学 OB有志の会
協力:株式会社スリーシェルズ
<曲目(放送場所)>
黛敏郎:『オリンピック・カンパノロジー』(’70開会式Ver.)
三善晃:『トランジット』(日本館/3号館)
柴田南雄:『ディスプレイ ’70』(日本館/2号館)
一柳慧:『Music for Living Space(生活空間のための音楽)』(空中スペース)
松平頼暁:『おはようの音楽 Part2』(お祭り広場)
(アンコール)柴田南雄:『ディスプレイ ’70 _2』(未発表)
1970年大阪万博の来場者は丁度筆者の親世代に当たるわけだが、彼ら/彼女らは未来に何を夢見ていたのであろうか。
1970年前後というと、まだベトナム戦争は泥沼状態で続き、1972年には連合赤軍あさま山荘事件が勃発するなど、世界も日本も血と硝煙の臭いから逃れられてはいなかった。
そして1970年から55年後の未来の「今」、ウクライナ戦争とそれに伴う新東西戦争(もはや冷戦ではない!)にガザ虐殺、アメリカの独裁全体主義体制への雪崩により、1970年から20年後の1990年前後にはもしかすると見えていたのかもしれない「未来」の像は一気に濁ることとなった。どこに万博のスローガン「人類の進歩と調和」があった/あるのだろうか? どこで我々は道を誤ってしまったのだろうか? だがかつては確かに音に刻まれし「夢」があった。その「夢」の姿を顧みる、そんな音楽会に足を運んだ。
黛敏郎:『オリンピック・カンパノロジー』、ギーン、ゴーン、ガーン、ゴーン、グアアアーン、ドオーン、といった太い音の鐘の音の周りをやや小さめで音高が高めの鐘の音が駆け回る。だが太いのも小さいのも我々が通常聴く「鐘の音」とは異質な何かに聴こえる。果たしてこれは鐘の音なのか?と思いプログラムを読むと「鐘のアタック部分を西洋の鐘や電子的に作った音に置き換えるなど、音響実験を重ね」たとある。やがて多層になった「鐘の音」の「声部」が対位法的にテクスチュアを成す。『涅槃交響曲』以来、鐘に魅せられ続けた黛の真骨頂たる電子音楽であった。
三善晃:『トランジット』、鳥の鳴き声のような音、打楽器とも電子音ともつかぬ音、重い金属音に軽い金属音、数百本に及ぶ素材テープからテープ編集(もちろん手作業!)で作られた、囁くような微かな音から怪獣的な巨大な音響まで多種多様な音素材が拒絶しあうようでいて共鳴しあう。三善の戦争レクイエム3部作にも通じる音色とリズムのエクリチュールの迫力! 短い時間ながら背中に電気を流されたかのように身動きが取れなくなる音楽であった。
柴田南雄:『ディスプレイ ’70』、日本の横笛の音にマリンバと、竹を割ったような高音の電子音が交錯する。序盤はこの横笛の音が音楽をリードして、電子音はそれを飾るよう。日本の伝統音楽と西洋最先端の電子音楽の新たなる出会いか。と思っていたら、ホワイトノイズが会場中で渦を作って響き渡り、まさに音宇宙といった広大なフィールドが具現化する。さらに場面は突如として変わり、シロホン、マリンバといった打楽器などの即興的な可愛らしい楽想が現れる。さらにさらに、多重録音によるシロホンの乱打に水の音(もしくは水の音に似た電子音)が流れ出し、電子変調を伴った横笛が金属的な電子音と共に現れ、終わりを迎える。これは凄いものを聴かされた。
一柳慧:『Music for Living Space(生活空間のための音楽)』、プログラムによると「京都大学電子工学部によるコンピューター合成音声」らしいが、筆者には「ボーカロイド『KAITO』発売36年前の原型だ1)」と思われてならなかった。本当に似ていたのだ。黒川紀章、粟津清、川添登のテキストの朗読と『時には母のない子のように』やグレゴリオ聖歌が『KAITO』そっくりの声で歌われる。本作を聴いているときは素直に「自分は万博の夢の世界線上の未来にいるのか」と思えた。
松平頼暁:『おはようの音楽 Part2』、何の音だ?コウモリか?西洋の鐘の音?カモメ?スズメ?カラス?軍靴のような大人数の足音?「グーテンモルゲン」「グッドモーニング」「ハロー」「ブエノスディアス」「ナマステ」「ボンジュール」等々世界各国の挨拶などなど、大量の音素材が一聴して脈絡なく並べられ、重ね合わされる。さっきまで前景を為していた音が次の瞬間後景に退き、今、これまで、これからの音の意味、音の本質が一瞬にして変貌・逆転・異化される松平ならではの論理迷路的音楽。これが「お祭り広場」に流れていたというのだから、70年万博の冒険心たるや⋯⋯!
アンコールのボーナストラック的な柴田南雄:『ディスプレイ ’70 _2』、これは間違いなく日本の電子音楽上記念碑的傑作だった。『ディスプレイ ’70』よりも具体音は後景に退き、より抽象的な電子音が前面に出されているのだが、その電子音が自由自在に動き回り、響き渡るのが圧倒的に気持ち良い。ピイイイイイードゴオオオオ、クワアアア、ゴーーー!キューーグオーグオーシャアーーードドドドキュワーーーン。大量のノイジーな電子音が大波小波の大海嘯を形成して襲いかかってくる! その崇高さたるや! だが最後には横笛とヴィブラフォンでしめやかに、そして厳粛に終わりを迎える。
今では最早裏切られし「夢」の姿を追う、胸踊ると共に寂しい体験でもあった。それでも我々は過去・現在・未来のいずれにも属さない「永遠の未来」を夢見たい。その「夢」のProject(企画・投企)こそがこの永遠の未来派音楽としての「音の始源を求めて」なのであろう。
(2025/10/15)