見よ東海の空明けて― 敗戦80年に問う戦時期の音|大田美佐子
2025年8月2日 旧東京音楽学校奏楽堂
2025/8/2 Sogakudo of the Former Tokyo Music School
Reviewed by 大田美佐子 (Misako Ohta)
Photos by 山口敦 (Atsushi Yamaguchi)
〈出演〉
寺嶋 陸也 (指揮・ピアノ)、大塚 雅仁 (バリトン) 、コーロ・カロス (合唱)、五郎部 俊朗 (テノール) 、相川 陽子 (ピアノ)、山下 暁子 (ピアノ)、鈴木 絢子 (ピアノ) 、三門 柳 (浪曲師) 、三門 綾 (浪曲師)、広沢 美舟 (曲師)
〈演奏曲目〉
第1部: 戦時期の象徴
瀬戸口藤吉《愛國行進曲》
松田洋平《國民進軍歌》 鈴木絢子(ピアノ)
メドレー 古関裕而《海の進軍》/古関裕而《婦人愛国の歌》/明本京静 《戦い抜こう大東亜戦》(和田肇 編曲) 山下暁子 (ピアノ)
瀬戸口藤吉《愛國行進曲》(橋本國彦 編曲) 寺嶋陸也(指揮)、コーロ・カロス(合唱)
橋本國彦 《英霊讃歌 ―山本元帥に捧ぐ》寺嶋陸也(指揮・ピアノ)、大塚雅仁(バリトン)、コーロ・カロス(合唱)
第2部: 日常に寄り添う音楽①
信時潔《海ゆかば》
東辰三 《荒鷲の歌》
江口夜詩《月月火水木金金》
大内福三郎《学徒空の進軍》 寺嶋陸也(指揮)、コーロ・カロス(合唱)
江口夜詩 《轟沈》
万城目正《索敵行》 五郎部 俊朗(テノール)、相川陽子(ピアノ)
佐々木俊一 《大航空の歌》(橋本國彦 編曲) 寺嶋陸也(指揮)、コーロ・カロス(合唱)
第3部: 日常に寄り添う音楽②
浪曲 『軍國美談 兵士の父』 三門 綾(浪曲師)、広沢美舟 (曲師)
浪曲『唄入り観音経』 三門 柳 (浪曲師)、広沢美舟(曲師)
兵隊ソング 《軍隊小唄》《海軍小唄》《可愛いスーちゃん》
園部 為之 《大アジヤ獅子吼の歌》(佐々木すぐる編曲)
高木東六 《空の神兵》
古関裕而 《若鷲の歌》 寺嶋陸也 (指揮)、コーロ・カロス(合唱)
日本の8月は戦没者追悼をはじめ、彼岸を想う夏である。戦後80年を迎えた今年の8月には、上野の旧東京音楽学校奏楽堂という歴史的建造物で、「見よ東海の空明けて」と題された演奏会が開催された。「見よ東海の空明けて」とは、1937年に内閣情報部の公募で選ばれ、「敗戦まで大日本帝国を象徴する楽曲」であったという《愛國行進曲》の冒頭の一節である。主催と企画は2000年2月に発足し、今年で四半世紀を迎えた洋楽文化史研究会。
演奏会は三部から構成された。第一部は「戦時期の象徴」として《愛國行進曲》を軸に組み立てられ、第二部と第三部は「日常に寄り添う音楽」と題して、戦時に人々が聴いていた音楽を再現した。今となっては、ほとんどの作曲家が一般には忘れられた存在である。
「戦時期の象徴」として《愛國行進曲》を軸に構成された第一部では、あえて歌詞を歌わずピアノ演奏(鈴木絢子)で旋律を演奏したり、逆にアカペラで歌詞をじっくり聴かせたりという趣向が凝らされた。
興味深かったのは、東京音楽学校教授であった作曲家の橋本國彦が1943年4月に戦死した山本五十六を追悼して作曲した交声曲《英霊讃歌―山本元帥に捧ぐ》である。山本の訃報を告げる三番をクライマックスにして四番まで、朗誦、語り、混声合唱で歌われた。その音楽の様式は19世紀後半のドイツ、ブラームス、ワーグナー、はたまたオペレッタまでの雑多な幅広さを感じさせるが、《愛國行進曲》はここでも、山本の死を乗り越えようと鼓舞するラストに引用されていたのである。
第二部と第三部では「日常に寄り添う音楽」として、戦時に人々が聴いていた音楽を再現するため、具体的には、当時の雑誌『音楽文化』1944年11月号に掲載された「この一年の音盤」にランクインした楽曲をすべて演奏した。
ちなみにランクインした楽曲は、以下の12曲である。第一位 古関裕而《若鷲の歌》、第二位 江口夜詩《轟沈》、第三位は万城目正《索敵行》、第四位 佐々木俊一《大航空の歌》、第五位 倉若晴生《別れ船》、第六位 古関裕而 《暁に祈る》、第七位 高木東六《空の神兵》、第八位 園部為之《大アジヤ獅子吼の歌》、第九位 鈴木啓之作《唄入り観音経》、第十位 大内福三郎《学徒空の進軍》、第十一位 江口夜詩《月月火水木金金》、第十二位は第四位にもある《大航空の歌》(ビクター版)、第十三位 東辰三《荒鷲の歌》。ランクインした作品以外でも、第二部は、ラジオを通じた大本営発表の際に流されたという信時潔の《海ゆかば》で始まり、第三部では、ランキングの間に、替え歌などで戦時期の兵士や民衆の本音が透けて見える、軍隊小唄や海軍小唄などのシニカルな「兵隊ソング」も歌われた。
戦争が終わって80年経ち、時代が遠ざかるごとに、新たな戦争の現実が突きつけられても、どんどん歴史の記憶は薄れていってしまう。特に、戦時期の音楽は懐メロとしてのノスタルジーを超えて、時に懐古的、好戦的な意図を持ってさえ好まれることもあると認識していたので、実際にどのような演奏会になるのかも興味津々であった。しかし今回、この熟考されたプログラムによって戦時期の響きに実際にどっぷりと包まれて感じたのは、戦争の時代を牽引していった音楽が、演奏家の生の演奏で現代に立ち上がる時、言葉と音楽が織りなす「儀式性」を持ってリアルに語りかけてきた、という事実である。それは、例えていうならば、藤田嗣治の戦争画『アッツ島玉砕』を実際に眼前にした際、供養碑のように鎮魂の意を込めて当時その絵に向き合った人々の想いに触れるような、「戦時」の特異性が腑に落ちた感覚と通ずるものだったのかもしれない。特に、ランキングの一位と二位を占めた古関裕而の《若鷲の歌》の長短の調性の揺れや、高木東六が作曲した《空の神兵》の音楽の不自然に響くほどの朗らかさに実際に触れてみると、戦時に生きた作曲家の苦悩も垣間見えた気がした。
そう感じてひとつひとつの歌の背景について、30ページ超の充実したプログラムをじっくり読み直してみる。「この連綿と続く戦争の時代から敗戦後に、音楽文化と社会はどのように関わってきたのか」を研究して多くの成果を上げてきた洋楽文化史研究会が、主体となって掘り起こした戦時期の音楽は、演奏会の後もまさに「時代の証言者」となって迫ってきた。本公演のプロデューサーである戸ノ下達也は、公演の趣旨について、プログラムで「戦時期に本公演で取り上げる作品が創作され、演奏され、聴かれていたことは『事実』である。その事実を封印するのではなく、時代背景を考察した上で、その意味を考えることが歴史に対峙することであろう」と語っている。
本公演の趣旨は、その演奏の時代様式や高い質からも感じることができた。国民歌から絶妙な音楽性を引き出した指揮とピアノの寺嶋陸也、混声合唱団のコーロ・カロス。戦時の英霊へのレクイエムを蘇らせたバリトンの大塚仁、戦時歌謡の高揚と憂いの表現が見事だったテノールの五郎部俊朗、当時の人々の好みをその粋な風情に感じさせた浪曲の三門柳、広沢美舟の三味線など。
こうして再現されたパフォーマンスは、さまざまな記憶と結びつき歴史的空間を想起させる。「国民歌」の旋律の親しみやすさと、歌詞に刻まれる時代精神のなんともいえない居心地の悪さをそのまま受け止めつつ、時代の音の響きに分け入って体感するプロセスこそ、音楽が可能にした人と歴史との付き合い方なのかもしれない。この演奏会によって、過ぎ去った時代をもまさに生きている自分に気づかされた。
(2025/9/15)






