セイジ・オザワ 松本フェスティバル 2025 ブリテン:《夏の夜の夢》|能登原由美
セイジ・オザワ 松本フェスティバル 2025
ブリテン:「夏の夜の夢」
全3幕 原語(英語)上演/日本語字幕付き
〈フランス・リール歌劇場のプロダクションを使用〉
Seiji Ozawa Matsumoto Festival 2025
Britten: A Midsummer Night’s Dream
Opera in three acts
Sung in English with Japanese supertitles
[Production owned by Opéra de Lille, France]
2025年8月17日 まつもと市民芸術会館・主ホール
2025/8/17 Matsumoto Performing Arts Centre, Main Hall
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 大窪道治、山田毅(写真ごとに記載)/提供:セイジ・オザワ松本フェスティバル2025
〈スタッフ〉 →foreign language
指揮:沖澤のどか(OMF首席客演指揮者)
演出・装置・衣裳:ロラン・ペリー
照明:ミシェル・ル・ボーニュ
装置補:マッシモ・トロンカネッティ
衣裳補:ジャン=ジャック・デルモット
チーフ音楽スタッフ:デニス・ジオーク
合唱指揮/副指揮:根本卓也
アソシエイト・プロデューサー:彌六、大橋元子
〈キャスト〉
オーベロン:ニルス・ヴァンダラー
タイターニア:シドニー・マンカソーラ
パック:フェイス・ブレンダーガスト
シーシアス:ディングル・ヤンデル
ヒポリタ:クレア・プレスランド
ライサンダー:デイヴィッド・ポルティーヨ
ディミートリアス:サミュエル・デール・ジョンソン
ハーミア:ニーナ・ヴァン・エッセン
ヘレナ:ルイーズ・クメニー
ボトム:デイヴィッド・アイルランド
クインス:バーナビー・レア
フルート:グレン・カニンガム
スナッグ:パトリック・グェッティ
スナウト:アレスデア・エリオット
スターヴリング:アレックス・オッターバーン
児童合唱:OMF児童合唱団
管弦楽:サイトウ・キネン・オーケストラ
原作:ウィリアム・シェイクスピア
台本:ベンジャミン・ブリテン/ピーター・ピアーズ
初演:1960年6月11日 ジュビリー・ホール(イギリス オールドバラ)
ロラン・ペリーによる演出と装置がこのプロダクションの鍵を握っていた。夜と昼、妖精と人間、夢と現(うつつ)、加えて視覚と聴覚。対比や異質性を顕にするのではなく、全ては繋がり、交わり、溶け合っていることを示す。「境」を取り払った世界の提示は、音高や調性の狭間を行き交い、垣根を融解させるブリテンの音楽にもシンクロする。
冒頭からその企てにすっかりはめられてしまった。暗闇の舞台に小さな白灯が点在する。全音音階上で下りつ上りつする声とともに、やがて宙を飛び始める。児童合唱によって演じられる妖精たちだろうか。遠目にはよくわからない。ゆえにオペラグラスを使う。半月のように照らし出された顔は、リアルともイリュージョンとも見分けがつかない。ピット内で上下動するポルタメントの波にも揺られ、しばし方向感覚を見失った。
からくりはやがて明らかにされた。彼らの頭や体につけた丸い白色灯が幻像を醸し出していたのだが、第2幕の中程であっただろうか、ステージの後部一面を占める巨大な鏡が姿を現したことでようやく目の前の焦点が結ばれた。逆にいえば、これに気づかない間はただ、漆黒の闇の奥深くまで無数の生き物が浮遊しているような、「錯覚」に囚われていたのである。
錯覚。まさにこれがペリーの狙いの一つであったに違いない。その仕掛けはもちろん、妙薬によって恋する相手を違えてしまうというこの物語のテーマにも連なるわけだが、曖昧模糊とした響きとその漸次的な変化を、それとは気づかせないほど自然に作り出す沖澤のどかのバトン・テクニックも大きな役割を果たしていた。
もちろん、人々が白昼夢に惑わされる様子を、シェイクスピアが狙ったように「滑稽に」描き出すには歌手兼役者の力が重要だ。その点、妖精の女王タイターニアを演じたシドニー・マンカソーラは見事であった。なんといっても、夫オーベロンと張り合う際の威厳と美麗を備えたその声で、ロバ頭のボトムに嬌態を見せるあたりは抜群だ。当の相手は半獣になった自らの姿も知らずにすっかりその気になるのだが、職人たちを取り仕切る生真面目な人柄が上手く表現されていただけに、その変貌ぶりには愛嬌もわく。薬の魔力に翻弄される4人の男女のドタバタ劇も、相互の応酬がテンポよくなされ爽快であった。ただ一人、重要なキャラクターでもあるオーベロンだけはその性格づけに当初迷いが見られた。イギリスの若手カウンター・テノール、ニルス・ヴァンダラーが担ったが、一連の騒動を作った張本人でもあるこの妖精王の性格づけが弱く、印象が今ひとつ薄くなった。
もっとも魅力を発揮していたのはパックだ。アメリカのダンサー、フェイス・ブレンダーガストによって演じられたこのトリックスターは、表情豊かな演技と軽業師的な立ち回りで、現れるたびに場の空気を一転させていく。物語の一部でありながらも語りによって我々を現実の世界へと引き戻すが、その舞台と客席の橋渡し的役柄も器用にこなす。登場とともに聞こえてくるトランペットや太鼓の響きも軽快で小気味よい。跳梁する悪戯妖精の特徴をよく捉えていた。
唯一の心残りは、大公の婚礼の場で村人たちが披露する「劇中劇」が精彩を欠いていたこと。一見喜劇の体をなすが、ブルジョアと下層市民とのコントラストが、シェイクスピア=ブリテンにより前面に押し出される決定的な場面でもある。ペリーによる演出も含め、あらゆる境界をなくしたかに見える本作だが、階層間の断絶までは払拭できないことを示した点は、セリフや場面構成などを見ても明らかだ。この皮肉じみた暗黙のメッセージを浮かび上がらせるべく、演奏においてももっと細部がデフォルメされても良かったのではないか。上品に整いすぎて、シニカルにもコミカルにも受け取れない中途半端なものに終わってしまった。
それにしても、あのステージ背後の鏡は実に効果的だ。全てを倍増させるだけではない。普段は決して見ることのできない舞台上の人や物の背後まで照らし出し、白日の下に晒す。例えば、職人たちの後ろ姿はなんとも垢抜けないもので、だからこそ一層人間味を駆り立てる。何よりも、指揮者の顔や腕を中央にその背後に広がる客席の鏡像は圧巻。我々もドラマを構成する装置の一部というわけだ。まさに「この世は舞台」を実感させるものであった。
(2025/9/15)
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〈Staff〉
Conductor: Nodoka Okisawa (OMF Principal Guest Conductor)
Stage Director / Set Designer / Costume Designer: Laurent Pelly
Lighting Designer: Michel Le Borgne
Associate Set Designer: Massimo Troncanetti
Head of Music Staff: Dennis Giauque
Chorus Master / Assistant Conductor: Takuya Nemoto
Associate Producers: Miroku, Motoko Ohashi Harley
〈Cast〉
Oberon: Nils Wanderer
Tytania: Sydney Mancasola
Puck: Faith Prendergast
Theseus: Dingle Yandell
Hippolyta: Clare Presland
Lysander: David Portillo
Demetrius: Samuel Dale Johnson
Hermia: Nina van Essen
Helena: Louise Kemény
Bottom: David Ireland
Quince: Barnaby Rea
Flute: Glen Cunningham
Snug: Patrick Guetti
Snout: Alasdair Elliott
Starveling: Alex Otterburn
Chorus: OMF Junior Chorus
Orchestra: Saito Kinen Orchestra








