ベトナム便り|~めざせブロードウェイ!|加納遥香
ベトナム便り ~めざせブロードウェイ!
Text by 加納遥香(Haruka Kanoh):Guest
写真提供:Duong Cam Art
2025年6月、韓国オリジナルのミュージカル「Maybe Happy Ending」が「演劇界のアカデミー賞」と言われるトニー賞で6冠を飾った。当初は韓国の小さな劇場で韓国語で上演されていたこの作品は、2024年にブロードウェイ化され、人気を博していたそうだ。『パラサイト~半地下の家族』のアカデミー賞、Netflixドラマ『イカゲーム』のエミー賞での受賞に続き、昨年は作家ハン・ガン氏がノーベル文学賞を受賞、そして今年、ミュージカルが受賞するに至った。受賞という制度におけるアメリカの存在感の大きさを考えさせられる一方で、そこに食い込み、グローバルな地平で台頭する韓国の勢いは止まらない。
ベトナムでも近年、オリジナルのミュージカルの創作が盛んになっている。私は拙著『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』(彩流社、2024年)で、20世紀後半以降のベトナムが、ヨーロッパ発祥の文化としてのオペラにどう向き合ってきたのかを論じたのだが、そのなかで近年の動向として、オペラとの関係という観点からミュージカルに触れたのだが、実を言うと、ベトナムでミュージカルを観る機会を得られないでいた。
ようやく機会を得たのが今年の3月。この月にはベトナムオリジナルの大規模なミュージカルが2作品上演された。1つは、3月15、16日に越ソ友好労働文化宮という大きな劇場で初演された《大地からの炎(Lửa từ Đất)》。これは共産党ハノイ支部設立95年を記念して、ハノイ市と国立の演劇団である青年劇場が制作した作品だ。舞台は1925年から1930年ごろ、初代ハノイ市党委書記グエン・ゴック・ヴーを主人公に、彼が党委書記に就任し、ベトナムの独立を訴え、フランス軍につかまって投獄され、拷問され、獄中死したという実話を描いている。フランスの植民地支配からの解放のために命を懸けた人物を、彼を支える家族や友人との絆と併せて描く作品である。共産党関連の記念日のために作られた共産党員についての政治色の強い作品ではあるが、国の独立に命を懸ける人びとの姿を描くステージは、《レ・ミゼラブル》を想起させる内容、演出であった(私は映画版しか見たことがないのだが)。
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私が観に行ったもう1つのミュージカルは、民間の音楽プロデュース会社ズオン・カム・アートとハノイ市のタンロン歌舞楽劇場による、《チー・フェオの夢(Giác mơ Chí phèo)》。初演は2024年12月だったのだが、私は2025年3月上旬の2度目の上演の際に初めて鑑賞し、さらに6月上旬にも再演されたので、再度観に行った。事前に手元に届いたチケットは、夢の世界に連れて行ってくれそうなキラキラとした素敵なデザインで、どんな舞台だろうとわくわくさせられた。会場は2023年にオープンしたホーグオム劇場。当日、劇場のロビーには、キービジュアルを基にした大きな本の形のオブジェが設置され、来場者が楽しそうに写真を撮りながら、開演までの時間を過ごしていた。
原作は、20世紀前半に生きた作家ナム・カオ(Nam Cao, 1915-1951)が1941年に発表した短編小説『チー・フェオ(Chí Phèo)』だ。封建時代の農村で底辺に陥れられながらも一度希望を抱いた人間が、再び絶望へと突き落とされる悲劇である。学校でも教えられる小説のため、ベトナム人であれば誰でも知っている物語といえる。
物語の舞台であるヴーダイ村は、ハノイの南に隣接するハナム省にあるナム・カオの故郷の村がモデルとなっている。知人の故郷がこの近くだったので、5月の連休に連れて行っていただき、ナム・カオの墓や記念館、さらに『チー・フェオ』の登場人物である村の役人バー・キエンのモデルとなった実在した人物の家「バー・キエンの家」も訪れることができた。
小説のあらすじ紹介はごく簡単に留めるが、みなしごとして生まれたチー・フェオは、ある日冤罪で投獄され、7,8年後に村に帰ってくる。その時の姿は「頭はつるっぱげ、歯は白く磨き上げられ、顔は黒くてごつごつ、目つきは見るものを威嚇するように鋭く、気味が悪い!」ものであった。人生が一転し、酒に溺れるチー・フェオは、村の権力者バー・キエンに手なずけられて取り巻きとなることで、村人から恐れられるようになる。
しかしある日、「昔話に登場する上の空のたわけのようで、悪魔すら顔をしかめるほど醜い女」のティ・ノに出会う。体調を崩したチー・フェオにねぎの入ったお粥を作るなどしてまっすぐな愛を注ぐティ・ノを前に、チー・フェオは彼女とともに生きようと心新たにするのだが、ティ・ノの叔母の反対により二人の仲が断たれる。再び孤独になったチー・フェオは自分から人間性を奪ったバー・キエンに会いに行き、「俺は善良な人間になりたいんだ」「誰も俺を善良な人間でいさせてくれない」「もう善良な人間になることはできない、わかるか? 唯一の方法は…」と訴え、バー・キエンをナイフで刺し、そして自害する。(”Truyện ngắn NAM CAO” 2024, Nhà xuất bản Kim Đồng)
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ミュージカル版は90分程で、小説『チー・フェオ』に基づきつつ、チー・フェオとティ・ノの愛に焦点を当てている。タイトルに「夢」とあるように、夢と現実が交錯しながら展開し、私は、どこが夢でどこが現実なのか、見ていてよくわからなくなってしまったのだが、それでも、歌、ダンス、舞台演出で十分に楽しむことができた。この作品のトレイラーはこちらである。
さて、いくつか私の印象に残った点を紹介しよう。まず、先ほどきらきらとしたデザインのチケットの話に触れたが、その高揚感を裏切らない舞台であった。中でも見どころは、ダンサーによるチー・フェオとティ・ノの踊りのシーンであろう。ライティングが非常に美しく(6月の公演では照明の美しさがパワーアップしていたようだった)、恋に落ちた二人の純粋なときめきと幸福感が多分に表現されていた。歌手タイ・フォンが演じるティ・ノの独唱も、心に直球で響く美しいメロディと歌声であった。
印象に残った歌では、ティ・ノの独唱以外に2つある。ひとつはチー・フェオとティ・ノが「私たちは普通の人間になりたい」と歌うデュエットである。「普通」に生きたいのに社会がそれを許してこなかった2人が心を通わせて歌う切実な場面だと思うのだが、軽快なリズムとメロディで歌われる。2人はそれだけ幸せと希望に満ちているということだろうか。
一方、チー・フェオとバー・キエンが対面する終盤では、赤い照明が暗い舞台を照らす不気味な雰囲気のなかで、チー・フェオが「俺は善良な人間になりたいんだ」と痛切な願いを歌いあげる。チー・フェオを演じる歌手ゴック・ヒュウの歌声は歌と叫びの境界にあるような声で、社会に対する怒りや憎しみ、苦悩が前面に表されていた。ティ・ノによるのびのびとしてハッピーな独唱とは対極にあるものの、どちらも感情を直接的に表現し、心にまっすぐに刺さる場面であった。
この作品には、いわゆる「ベトナムらしい」音楽も取り入れられており、特に冒頭では、音楽に合わせて物語を語るハット・サム(Hát xẩm)という芸能者が登場し、伝統的な様式で歌う。一方で、私が聞いて感じた限りでは、上で紹介した歌をはじめ、「ベトナム」にこだわらずに作曲したと思われる音楽、歌も豊富であった。また、序盤と終盤では、村人でにぎわう市場の様子をラップで表現する場面があり、歌い手たちはラップに慣れていないのであろう、なんだかリズムが乗り切れておらず重く感じられたのが惜しくはあったが、表現としては面白かった。
音楽監督のズオン・カムによれば《チー・フェオの夢》は、「ブロードウェイ色の濃いミュージカル作品でありながら、国内文学作品から着想を得たもので、『メイド・イン・ベトナム』のミュージカルを夢見るベトナム人の願いを満たす」ものだという(人民新聞 2024年12月6日付記事)。ベトナムの観客の様子からは、老若男女を問わず、親しみある文学作品の物語が華やかに繰り広げられた舞台を満喫し、歓迎しているように思われた。そして、私が鑑賞した公演では外国人の姿はあまり見られなかったが、英語字幕があることを鑑みれば、制作側が外国人の観客を意識していることもわかる。《Maybe Happy Ending》のブロードウェイ化とエミー賞受賞をうけて、まだはじまったばかりのベトナムのミュージカルのこれからが、ますます楽しみである。
(2025/7/15)
*このエッセイは個人の見解に基づくものであり、所属機関とは関係ありません。
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プロフィール
加納遥香(Haruka Kanoh)
2021年に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士後期課程を修了し、博士(社会学)を取得。現在、同研究科特別研究員。専門はベトナム地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。修士課程、博士後期課程在籍時にハノイに留学し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。著書に『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』(彩流社、2024年)。現在、専門調査員として在ベトナム日本国大使館に勤務している。










