NHK交響楽団 第2041回 定期公演 プログラムC|藤原聡
NHK交響楽団 第2041回 定期公演 プログラムC
NHK Symphony Orchestra, Tokyo
the 2041st subscription concert Program C
2025年6月21日 NHKホール
2025/6/21 NHK Hall
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
写真提供:NHK交響楽団
〈プログラム〉 →Foreign Languages
コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
※ソリストアンコール
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ イ短調 作品27〜第4楽章『復讐の女神たち』
マーラー:交響曲第1番 ニ長調『巨人』
〈演奏〉
NHK交響楽団
指揮:タルモ・ペルトコスキ
ヴァイオリン:ダニエル・ロザコヴィッチ
コンサートマスター:郷古廉
フィンランド指揮界の名伯楽として名高いヨルマ・パヌラに学び、ハンヌ・リントゥ、サラステ、サロネンらの指導を受けた今年25歳のタルモ・ペルトコスキ。2022年の1月にはドイツ・カンマーフィルの首席客演指揮者に抜擢、そして5月にはラトヴィア国立響の音楽監督兼芸術監督に、9月にはロッテルダム・フィルの首席客演指揮者、さらにはトゥールーズ・キャピトル国立管の音楽監督就任が発表された。この年齢で早くもこれだけのキャリアを築くなど前代未聞であるが、そのペルトコスキがドイツ・カンマーフィルとグラモフォンに録音したデビューアルバムを聴くとなるほど異才だと納得させられる。独特のフレージングや装飾音の付加、ダイナミクスのユニークさ。録音当時22歳の若者がここまでやるか、と瞠目するような演奏なのだ。かような才能の持ち主に世界が注目しないわけもないが、このたびN響はそのペルトコスキを客演に呼ぶことに成功した。もちろん日本初登場である。コルンゴルトの協奏曲でソロを弾くダニエル・ロザコヴィッチは24歳、N響定期にこれだけ若いコンビが登場することもそうあるまい。
最初の曲目は先に記したコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。爛熟したロマン主義的かつウィーン世紀末的な色彩が極めて濃厚な作品だが、ここでのペルトコスキとロザコヴィッチはそういった華美さ/過剰さを抑制し、非常にシャープな造形で作品に切り込んだ印象だ。特に第2楽章のロマンスはペルトコスキとロザコヴィッチ共々弱音にこだわった音楽作りが意識され、新ウィーン楽派を連想させるような斬新さすら感知させる瞬間も(思いの他ベルク的?)。結果としてともするとアナクロニズムと評されがちなこの作品の印象を刷新するかのような表現が成し遂げられていた。単に作品の譜面づらをなぞったような演奏をするのではなく、いきなりN響相手にこのような演奏を実現させるペルトコスキとロザコヴィッチは逸材と頷くしかない。ロザコヴィッチはアンコールにイザイを弾いたが、これがクリアの極み、ボウイングは滑らかで技巧的難度を聴き手にまるで意識させない。どんな難所でも音程はクリア、重音の精度も完璧。あまりに易々と弾いているように見えるので実は簡単な曲なのではないか、と思ってしまうような出来。少なくとも筆者が聴いたことのある演奏の中では最高水準。ロザコヴィッチ、初聴きであったが今後は常に注目するべき存在と確信(余談だが、このアンコール時にペルトコスキがさりげなくスルッとステージに現れ空いた席で聴き入っていた)。
後半の『巨人』でもペルトコスキの鬼才ぶりが遺憾なく発揮される。第1楽章の冒頭からいつ振り始めたのか全く分からないような指揮動作の中、徹底的に音量の抑えられたヴァイオリンのフラジオレットが鳴り始める。まさにsempre ppp。いわゆる「楽音」ではなく、自然の音をそのままつまみ上げて解き放ったかのような出だし、ほとんどサウンドスケープ。当時の聴衆が感じたであろう斬新さを追体験させられるようだ。主部の提示部反復での表情の微細な変化や展開部の思念的な静謐さ、それと対比されるコーダの爆発、とにかく表現が考え抜かれていて勢いに任せて振る箇所が皆無。第2楽章では冒頭主題5小節目のスビト・ピアノから驚かされるし、第3楽章では第1楽章冒頭と共通するかのような抑えに抑えた表現。マーラーの「最初から全てのパートをクレッシェンドなしで均等に演奏する」という指示にとことんこだわった演奏。もちろんどんな指揮者であれそれを意識して演奏するには違いあるまいが、ペルトコスキほど徹底させようとしていることが伝わる演奏もなかろう。中間部の主題も非常な弱音で儚く影のように歌われ、結果として背後の管楽器群が浮き上がる。第1楽章からここまで総じて弱音=内省的な表現に注意を払った演奏だが、それゆえ第4楽章冒頭のオケの解放には度肝を抜かれるし効果も生きる。したたかな計算。第2主題はただ甘美なだけではなく内声を浮き立たせる配慮があるので音楽が単純化しない。再現部の陰影ある表情からコーダに至るまでのテンポや音量設計も巧み、Triumphal(練習番号56)以降のテンポの落とし方も堂に入っている(ホルン1本、スコア指示のオプショントランペット、トロンボーン各1本補強。ホルン本隊7本含め指定通り起立)。文字通りNicht eilenでPesanteである。ラストの高揚も強烈、ここでようやくペルトコスキは最大音量をオケに求めた感、今までの山あり谷ありの工夫や起伏があるから唐突感もなく納得できる。なるほど、聴き手によっては手練手管を繰り出しまくりで小賢しいなどの意見は出ようが、それができるのも傑出した才能ゆえ。技術的な意味では傷もあったし、指揮者とオケの意思疎通が十分ではないと思われる箇所もあるにはあったが些細な瑕疵だ。
ちなみにペルトコスキと同じヨルマ・パヌラ門下のクラウス・マケラ、ちょうど同じ時期に来日したこともあり両者をどうしても比較することになるが、徹底的に陽性、今のところ細部の工夫が全体に奉仕せずいささか単調なマケラに対してペルトコスキの方が音楽に繊細さ、複雑さと奥行き=表現の多彩さ、先の読めない底知れなさがある。ともあれ、ペルトコスキは継続的にフォローすべき逸材なのは疑う余地がない。
(2025/7/15)
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〈Program〉
Erich Wolfgang Korngold: Violin Concerto D Major Op.35
※Soloist encore
Eugène Ysaÿe: Sonata for Solo Violin A Minor Op. 27〜Ⅳ“Les furies”
Gustav Mahler: Symphony No.1 D Major,Titan
〈Player〉
NHK Symphony Orchestra, Tokyo
conductor: Talmo Peltokoski
violin: Daniel Lozakovich
concertmaster: Sunao Goko



