パリ管弦楽団|藤原聡
2025年6月18日 ミューザ川崎シンフォニーホール
2025/6/18 MUZA Kawasaki Symphony Hall
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 池上直哉/写真提供:ミューザ川崎シンフォニーホール
〈プログラム〉 →Foreign Languages
サン=サーンス:交響曲第3番 ハ短調 op.78『オルガン付』
ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14
※アンコール
ビゼー:歌劇『カルメン』〜前奏曲
〈演奏〉
指揮:クラウス・マケラ
管弦楽:パリ管弦楽団
2022年の10月以来、2年8ヶ月ぶりのマケラ&パリ管弦楽団の来日公演。その際はストラヴィンスキーの『春の祭典』『火の鳥』(全曲版)をメインに据え、それぞれの前半にドビュッシーとラヴェルを並べるというまさにパリ管の得意とする直球名曲プログラムが用意されていたが、今回はサン=サーンスの『オルガン付』とベルリオーズの幻想交響曲を一晩で披露するというハンバーグ定食のあとにカツ重かという重量級のプログラムが1つ、さらにムソルグスキー=ラヴェルの『展覧会の絵』とラヴェルの『マ・メール・ロワ』『クープランの墓』が1つ、つまりは今回も変化球なし。皆がこのコンビで聴きたいのはチャレンジングなプログラムではないだろうし、誰もが知る名曲だからこそその差異に注目することができる。とはいえ個人的には少し捻ったプログラミングが好ましいけれど。筆者が聴いたミューザ川崎公演、チケットは完売。
最初に演奏されたのはサン=サーンスの『オルガン付』。マケラは局所的にユニークな表現を聴かせる指揮者との印象が筆者にはあるのだが、この日の本作品の演奏ではそういった方向性ではなく、全曲を落ち着いたトーンで一貫させ―ただしスケルツォはかなりの快速調―、それゆえフィナーレでもコケ威し的な高揚に陥らずにあくまで品格がある。注文を付けるとすれば、ポコ・アダージョの箇所においてのさらなる深み、静謐さ、陶酔感。これは今後のマケラの成長により解決されると期待したい。オルガン(奏者はルシル・ドラ)はリモートコンソールによりステージ上手での演奏。オケとのバランスは絶妙、ホールの豊かさとクリアネスが共存した響きは全体を飽和させてカオス化させない。よりスペクタキュラーな演奏もありえようが、この日のマケラ&パリ管の演奏は極めて模範的なものだったと評せよう。
後半に演奏された幻想交響曲。筆者は来日公演の直前に発売されたばかりの録音で聴いており、それは非常に「面白い」演奏であったが、この実演においても同様の解釈、もちろん聴衆を前にしているだけにより躍動感と勢いが増す。第1楽章の序奏における漸次的なダイナミクス変化の付け方、主部の少し前の木管和音の音価の独特さ、提示部においてその反復時に1度目と違った表情をつける、などとその多彩な表現の繰り出しにこちらもその都度ニヤリとさせられる。第2楽章のワルツは意外に軽やかではなくリズムが浮き立たないのもユニークだし、第3楽章ではイングリッシュホルンとオーボエの掛け合い(後者は3階?上手客席後方か通路で吹いていた? いずれにせよイングリッシュホルンとの音とあまり遠近が感じられず、これは狙ったのかどうか、個人的にはいささか疑問)の中で最初に登場するヴィオラのトレモロを強調したり。だが楽章最後の2対のティンパニは存外普通であったりとどうもマケラの意図が読みにくい。第4楽章では響きの重さが格段に増す中で、ヴァイオリンの主題にノンヴィブラートのピリオド的な―まるでガット弦のような―響きを出させていたのはマケラ以前のいかなる演奏でも聴いた試しがない(もちろんはなから楽器の違うガーディナーは別)。異様に雄弁なファゴット4人、バストロンボーンによるドローン的な低音強調による猟奇性の表出、金管行進曲主題のフレージング変更、コーダの「ギロチン斬首」直前のヴァイオリン群、まさに身を挺した捨て身の進軍―コンサートマスター、アンドレア・オビソの猛烈なボディアクションとそれに負けじと食らいつく後ろのトゥッティの音圧/演奏姿はベルリン・フィルですら真っ青だ―、ベテラン、パスカル・モラゲスの斬首ソロの断末魔の悲鳴、いまさらながらパリ管にはなんたる名手が揃っていることか、溜息の連続。であれば終楽章の阿鼻叫喚ぶりは推して知るべし。楽章終盤近く、ロンド主題とディエス・イレーが合体する箇所に至る弦楽器群のレガートとスル・ポンティチェロを効かせた気味の悪い表現もまた忘れがたい。コーダは言わずもがな、テンポを上げての大団円…。
なるほどオーケストラを聴く快感を存分に味わったコンサートには違いないが、先に筆者の記した「局所的にユニークな表現を聴かせるマケラ」との表現。これを逆に捉えれば「大局観に欠ける」ともなる。例えば第3楽章、案外全体としては表現が平板で、それゆえこの楽章に潜む不安感の表出が弱く、であるから後続楽章とのドラマ的対比が弱くなる。心理的な納得感が得られにくいと、ラストの高揚も取ってつけた感が出る。この辺りは2023年にオスロ・フィルと来日した際のシベリウス演奏にも感じたが、これは依然解決されていない点と思える。しかし今年29歳の青年の音楽に老巨匠のようなフォルムの音楽を求めても仕方ない。今後のさらなる躍進を期待する方がはるかに健全であるに決まっている。アンコールは『カルメン』前奏曲。短い演奏時間の小品でマケラの才気が炸裂する。そのエレガンスとパッションの横溢。このパフォーマンスにどう文句を付けようというのか。つまり大絶賛しかない。秋のコンセルトヘボウ管との来日も楽しみに待つとする。
(2025/7/15)
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〈Program〉
Camille Saint-Saëns:Symphony No.3 in C minor,op.78,“Organ”
Hector Berlioz:Symphonie fantastique,op.14
※encore
Georges Bizet:“Carmen”〜Prelude to Act 1
〈Player〉
Klaus Mäkelä,Conductor
Orchestre de Paris-Philharmonie,Orchestra




