アレクセイ・リュビモフ ソロリサイタル|大河内文恵
アレクセイ・リュビモフ ソロリサイタル
2025年4月17日 五反田文化センター 音楽ホール
2025/4/17 Gotanda Cultiural Center Music Hall
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種 (撮影:2023年4月11日 五反田文化センター 音楽ホール)
<曲目> →foreign language
ペルト:パルティータ
ヴォルコンスキー:厳格な音楽
ウストヴォルスカヤ:ピアノ・ソナタ第5番
シルヴェストロフ:Kitsch-Musik(1977)
~~休憩~~
モーツァルト:ピアノソナタ第9番 KV.311
ドビュッシー:前奏曲集第2巻より 枯葉、ヴィーノの門、妖精は良い踊り子、風変りなラヴィーヌ将軍、月の光が降り注ぐテラス、花火
ドビュッシー:喜びの島
アンコール
シューベルト:即興曲 Op.90-2
ショパン:舟歌
シューベルト:ワルツ Op. 18-6
ペルト:アリーナのために
リュビモフについては本誌では2度とりあげている(2019年、2023年)。2019年の時点では引退を宣言していたが、その後ロシアのウクライナ侵攻に抗議し、演奏活動を続けている。今回の来日ツアーが本当に最後になるとのことである。
来日ツアーは4月11日広島流川教会、4月13日鎌田御園教会、そして4月17日五反田文化センターでおこなわれた。また、主催者であるMCSのサイトには掲載されていないが、4月15日に名古屋のHalle Runde、4月18日に横浜緑園都市音楽祭2025でもコンサートがおこなわれた。プログラムは古典・ロマン派中心の回と、現代音楽を演奏した回があり、後者は広島と五反田のみであった。五反田のコンサートはチケット販売に苦労していたようだが、最終的には完売し、満員の客席での開催となった。
高齢のピアニストの来日というと、2018年のポリーニを思い出す。当時76歳だったポリーニよりも80歳を超えたリュビモフのほうが歳上になるが、歩く速度こそゆっくりめだが歩調はしっかりしており、ピアノの演奏も衰えを感じさせないものだった。
前半は現代音楽の部である。ではあるが、聞きながら「現代音楽って?」と疑問がわいた。20世紀以降、さらに厳密には第二次大戦終結以降に書かれた音楽をふつうは現代音楽と称する。今回のプログラムにおいて、ペルト:パルティータ(1959)、ヴォルコンスキー:厳格な音楽(1957)、ウストヴォルスカヤ:ピアノソナタ第5番(1986)、シルヴェストロフ:Kitsch-Musik (1977) はすべて厳密な意味での「現代音楽」に含まれるが、20世紀の音楽はすでに“クラシック(古典)”とみなしてよいのではないかと思えた。現代という言葉に含まれる、モダンという概念にもコンテンポラリーという概念にもこの演奏は当てはまらないからだ。それはとりもなおさず、リュビモフがこれらの作品をきっちり掘り下げて、自らの血肉として古典化させたからだ。もう「新しさ」に価値を見出す時代はとっくに終わっており、少なくとも20世紀の作品は「現代」ではなく、20世紀の音楽として相対化するべき時期に来ているのではないか。
ペルトのパルティータとウストヴォルスカヤのピアノソナタは、強い音が多用される曲だが、それらは一音たりとも「強いだけの濁った音」には陥らない。聴き手にも集中力を要する演奏である一方、それはわけのわからないものを必死に読み取ろうとする集中力ではなく、すでにリュビモフが形にしてくれているものを余すことなく受け取るために生じるものであった。ヴォルコンスキーの《厳格な音楽》はシェーンベルクのピアノ曲を彷彿とさせる。ロシアで十二音技法を初めて使用した作品ということで、さもありなん。
前半最後のシルヴェストロフのKitsch-Musikはどこまでも美しく感傷的な音楽だが、リュビモフは感情的にはならずに繊細な音を積み重ねていく。まるで感情的になることを拒むかのように。この曲を弾くときだけ胸ポケットから黄色と青色のチーフをのぞかせていたのは、ウクライナへ心を寄せていることのあらわれであろう。
後半はモーツァルトのソナタから。演奏が始まると、休憩中にピアノを入れ替えたのか?と一瞬ありえない考えが浮かんだ。まるでフォルテピアノで弾いているかのようなのだ。モダンピアノで演奏されるモーツァルトは、どれだけ音の粒を揃えて弾けるか選手権になることが多いのだが、そういった次元を超越してモーツァルトの本質に迫るものであった。装飾音のいれかたが古楽的アプローチというだけでなく、個々のパッセージのもっていきかた、それを他の部分とどう結びつけるかなど、計算し尽くされた演奏だった。こういうモーツァルトならいくらでも聴きたい。
続いてドビュッシーの前奏曲集第2巻より。プログラムに掲載されていた曲と若干入れ替えがあったため、上記には実際に演奏された曲を掲載した。透明感の強いキラキラした音で弾くのが上手なドビュッシーの演奏という先入観があったが、リュビモフの弾くドビュッシーにはそうした方向性は見られない。それなのに作品の内に秘められた芯の部分が聞こえてくる。こういうアプローチもあるのかと感嘆すると同時に、この作品はこう弾くべきという枠組みを疑うことで、途方もなく豊かな音楽世界が広がることを目の当たりにした。
アンコールはシューベルトの即興曲、そしてショパンの舟歌とシューベルトのワルツ。このラインナップからリュビモフ自身がピアノを弾くことを心から愛していることがひしひしと感じられた。最後はペルトのアリーナのために。映画で使われたことで広く知られるようになった曲だが、そうした感傷からは一歩退いて、むしろ鎮魂の心を感じさせる演奏だった。1部の終わりと最後を呼応させた見事なプログラムと演奏に、本当に引退してしまうのかもっと聴きたいという気持ちがむくむくとわいた。
(2025/5/15)
☆写真は、2023年の来日時に林喜代種さんが撮影されたものです。リュビモフ自身が気に入っていたとのことです。
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A.Pärt: Partita Op. 2
A.Volkonsky: Musica stricta
G.Ustvolskyaya: Piano Sonata No. 5
V.Silvestrov: Kitsch-Musik
–intermission—
W.A.Mozart: Piano Sonata No. 9
C.Debussy: Prelude book2
Debussy: L’Isle joyeuse
Encore
Schubert: Impromptus, Op. 90 No. 2
Chopin: Barcarolle Op. 60
Schubert: Waltz Op. 18 No. 6
Pärt: Für Alina



