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4月の1公演短評|齋藤俊夫

4月の1公演短評
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ 第46回演奏会
芥川也寸志生誕100年記念 畏敬・諧謔・鎮魂
2025年4月27日 紀尾井ホール         →曲目・演奏

まず何よりも驚き悲しんだのはプログラムを開いたらオーケストラ・ニッポニカ活動休止の挨拶が突然に述べられていたことである。ニッポニカと言えば「日本人の交響作品を積極的に演奏していくこと、内外の埋もれた作品に光を当てて紹介していくこと」を目指しての2002年の設立以来、私的な思い入れ以上の公的な意義を認めて追い続けてきた集団だ。まだ聴きたい、知りたい作曲家・作品は沢山沢山いる・ある。コロナ禍を乗り越えてもまだ難しかったか……と何故か悔しい思いでいっぱいである。
「芥川也寸志メモリアル」と団体名に付けられているニッポニカの最後の演奏会をオール芥川也寸志プロで締めるのは最高のもてなしなのかもしれない。それにしても副題の「畏敬・諧謔・鎮魂」とはニッポニカの20余年の活動をアイロニカルに象徴してはいまいか。邦人作曲家・作品へ光を照らすことは言うまでもなく「畏敬」の念がなくてはならず、それが音楽作品である以上「諧謔」精神を持ち合わせなくてはならない。そして埋もれていた作曲家・作品を掘り起こすことはそれを正しく「鎮魂」することに繋がらないだろうか? 広義には「鎮魂」とは「たましずめ=魂を落ち着かせ鎮めること」と同時に「たまふり=活力を失った魂を再生すること」をも意味する語なのだから。
今回の演奏会は、これまでずっと沢山の音楽の「魂」を「しずめ」「ふるい」続けてきたニッポニカのラストステージにふさわしく、芥川音楽の真髄を表してくれた。『蜘蛛の糸』でのスペクトル楽派も真っ青なオーケストレーションと伊福部昭のような怪獣的音響、『コンチェルト・オスティナート』のソリスト・佐藤晴真の渋い音が朗々と鳴り響きつつ疾走するというチェロの妙技、これぞ芥川の諧謔精神の真骨頂といった風情の『証城寺の腹づつみ』、ショスタコーヴィチやプロコフィエフを彷彿とさせながらも芥川自身の土俵に聴いている者を引きずり込む『交響曲第1番』。芥川の「感動と言うのは精神の風車を廻すことである」という至言が心を打つ。
この拙い短評で、ずっと楽しませ驚かせ続けてきてくれたオーケストラ・ニッポニカへの筆者なりの「畏敬・諧謔・鎮魂」が伝わって頂ければ幸甚である。

<演奏>
指揮:野平一郎
チェロ:佐藤晴真(*)
独奏ティンパニ:菅原淳
管弦楽:オーケストラ・ニッポニカ
ゲスト・コンサートマスター:伊藤亮太郎
<曲目>
(ソリスト・アンコールを除き全て芥川也寸志作曲)
舞踊組曲『蜘蛛の糸』
チェロとオーケストラのための『コンチェルト・オスティナート』(*)
(ソリスト・アンコール)カザルス:鳥の歌
『証城寺の腹づつみ』~オーケストラと狸のための~
交響曲第1番

関連評:本誌のこれまでのオーケストラ・ニッポニカ評