神奈川フィルハーモニー管弦楽団 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第404回|藤原聡
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第404回
2025年4月26日 横浜みなとみらいホール 大ホール
2025/4/26 Yokohama Minatomirai Hall Main Hall
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 藤本史昭
〈プログラム〉 →Foreign Languages
グラジナ・バツェヴィチ(1909-1969):弦楽オーケストラのための協奏曲
ショスタコーヴィチ(1906-1975):チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 Op.107
※ソリストアンコール
ブリテン(1913-1976):無伴奏チェロ組曲第2番 Op. 80〜チャッコーナ
ショスタコーヴィチ(1906-1975):交響曲第12番 ニ短調 Op.112『1917年』
〈演奏〉
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
指揮:沼尻竜典
チェロ:上森祥平
首席ソロ・コンサートマスター:石田泰尚
今年はショスタコーヴィチ没後50年というだけあってこの作曲家の作品によるさまざまなコンサートが開催されているが、交響曲第12番『1917年』が今回のコンサートで取り上げられたのは嬉しい。周知のように、この作品はショスタコーヴィチの交響曲の中では駄作、とまでは言わないにせよ体制迎合のための空虚な曲との見方が未だにあり、アニバーサリーイヤーでなければなかなか実演でお目にかかれない。チェロ協奏曲第1番、この日の注目は神奈川フィルの首席チェロ奏者であり、定期的に開催されているバッハとブリテンの無伴奏チェロ組曲全曲演奏会でも知られる上森祥平がソロを務める点だろう(ちなみに沼尻竜典は交響曲第12番とチェロ協奏曲第1番というプログラミングについて、かつてロストロポーヴィチと共演した際に前半でチェロ協奏曲第1番とチャイコフスキーの『ロココの主題による変奏曲』の指揮を自身が担当、後半ではロストロポーヴィチが交響曲第11番と第12番を指揮したコンサートがあり、ロストロポーヴィチとの思い出にちなんでそれを再構成したと語っている)。また、コンサートの冒頭にはポーランドのバツェヴィチの弦楽オーケストラのための協奏曲が置かれる。この作曲家の作品は近年ツィメルマンがたびたび取り上げているが、それにより一般的なファンにも知名度が上がってきているように思われる。とはいえまだまだ実演で聴く機会もそうそうない。そんなこんなでこのコンサートは注目点多数。
最初のバツェヴィチによる弦楽オーケストラのための協奏曲。作風は完全に新古典主義風であり、同じく弦楽オーケストラのための作品であるストラヴィンスキーのバーゼル協奏曲などと極めて親近性のある音楽。とは言えストラヴィンスキーの諧謔味は薄く非常に生真面目な音楽であり、1948年という戦後の作品ながら当時のポーランドの情勢からして未だ前衛というかメタ的な視線は希薄であったということか。作品はソロとトゥッティが交代するコンチェルト・グロッソの形式、全楽章での楽想、動機の統一の工夫など極めて技巧的に書かれる。両端楽章は非常に躍動感に満ちた音楽、反対に第2楽章は悲しく叙情的でその対比は実に効果的だ。沼尻&神奈川フィルの演奏は厚みのある響きながらエッジが立ち、5声部の対比、バランス構築が明瞭かつ巧みだからその動機の使い回し、変容などの構成の妙が際立つ。作品自体は飛び抜けて個性的というものではなくアルチザン的であるが、演奏の良さのためか非常に面白く聴けた。バツェヴィチは後年より前衛的な作風に転じたとのこと、それも含めいろいろと聴いてみたい欲求がおこる。
次にショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番は上森のソロが新鮮。その演奏は本作演奏でよくあるソリスティックな技巧を前面に出してオケと喧嘩腰に大音量でガシガシ弾くというものでは全くなく、渋い音色によるオケとの調和を感じさせるようなもの。それだけに第2楽章からカデンツァの部分に上森の持ち味がベストマッチしていた印象。両端楽章にはさらなる攻撃性が欲しい気もしたが、逆に新鮮な味わいもある。沼尻のサポートも上手い。ちなみにこの作品でチェロと同等に重要なホルン、音量、図太さ、音程全てが卓越していて驚いたのだが、奏者はゲスト参加の読響・松坂隼であった。カーテンコールでいきなりハッピを着て現れた上森―北斎の神奈川沖浪裏の柄! さすが神奈川フィルの名物首席チェロ奏者―、アンコールはブリテンの無伴奏チェロ組曲第2番からチャッコーナ(シャコンヌ)。ブリテンの暗さと渋い楽想は上森の内面的な演奏がよく合う。これは名演(申し訳ないが個人的にはショスタコーヴィチより感銘を受けた)。
後半はショスタコーヴィチの交響曲第12番。元来が大仰な作品ゆえ、沼尻&神奈川フィルがスタイリッシュに演奏してもそのくどさ(貶しているのではない)は相当なものだ。しかしスタイリッシュなだけが沼尻ではなく、強烈なデュナーミク―例えばアウローラ後半のあの激烈なトゥッティ―はリミッターが振り切れるような爆音。しかし決して野放図な音響の垂れ流しにはならずに統制されているのはさすがとしか言いようがない。裏にはスターリンに対する罵倒が込められているなどというような亀山郁夫の説もあり、未だに一筋縄では行かない謎を秘めている(と言われている)本作、しかしショスタコーヴィチは案外裏も何もなく単にロシア革命を描いただけだとも思えるし、そんな推測、裏読みを超えた地平で音楽的な効果を最大化したような沼尻&神奈川フィルの演奏はいかにも清々しい。作品としてはショスタコーヴィチの他の傑作交響曲に比べてやはり弱いとの印象は覆らなかったにせよ、演奏自体は今現在聴ける最高水準のものだったと思う。沼尻&神奈川フィルには他の交響曲演奏も順次お願いしたい。
(2025/5/15)
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〈Program〉
Grażyna Bacewicz:Concerto for String Orchestra
Dmitri Shostakovich:Cello Concerto No.1 in E-flat major,Op.107
※Soloist encore
Benjamin Britten:Cello Suite No.2 Op.80〜Ciaccona
Dmitri Shostakovich:Symphony No.12 in d minor,Op.112“The Year 1917”
〈Player〉
Kanagawa Phiharmonic Orchestra
Conductor:NUMAJIRI Ryusuke
Cello:UWAMORI Shohei
Principal Solo Concertmaster:ISHIDA Yasunao



