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クリストフ・コワン チェロ・リサイタル|丘山万里子

第557回日経ミューズサロン
クリストフ・コワン チェロ・リサイタル

2025年4月18日 日経ホール
2025/4/18 Nikkei Hall
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)

<演奏>        →foreign language
クリストフ・コワン(チェロ)
金子陽子(ピアノ)

<曲目>
メンデルスゾーン:協奏的変奏曲 作品17 ニ長調
メンデルスゾーン:チェロ・ソナタ 第1番 作品45 変ロ長調
〜〜〜
J.B.グロス:セレナード ハ長調
ブラームス:チェロ・ソナタ 第1番 作品38 ホ短調

(アンコール)
ヨーゼフ・ヴェルフル:チェロとピアノのための二重奏曲 ニ短調 作品31より 第2楽章

 

アーノンクール、ナヴァラらに学び、古楽器とモダン楽器を自在に操るフランスの名手のリサイタル。1985年にピリオド楽器によるモザイク弦楽四重奏団を結成、1991年にはリモージュ・バロック・アンサンブルを主宰、17世紀〜19世紀にかけてのレパートリーを研究、探求する知性派で、今回披露されるJ.B.グロスもその成果の一つ。現在パリ国立高等音楽院でチェロとヴィオラ・ダ・ガンバを指導。金子陽子は桐朋学園卒、パリ国立高等音楽院でイヴォンヌ・ロリオ・メシアン、ベロフ、インマゼールらに学び、パリを拠点にモダン・ピアノとフォルテピアノを弾きこなし室内楽、ソロに活躍するピアニスト。

冒頭、メンデルスゾーン『協奏的変奏曲 作品17』のピアノの響きに驚く。スタインウェイとのことだが、なんともノーブルな気品に満ち、楽器も人でこうも変わるか、と衝撃だ。コワンの、こちらも清廉かつ適度なロマン香る典雅なチェロの響き。特有の晴朗なメンデルスゾーン節がすっきりと歌われる。協奏にふさわしく両者の歌い交わしが絶妙で、メンデルスゾーンの耳あたり良い歌声が、時折見せるほんの少しの翳り、あるいは睫毛の上に微かに震えるような寂寥を含んで流れてゆく。その多彩な変奏の妙を、実に新鮮に聴いた。とりわけチェロの低音がホール全体を底鳴りさせるようであること、ちょっとしたフレーズの収めかたの微細、あるいは互いの走句の受け渡しの見事さも、その理由だろう。モダンとピリオドをないまぜに、そこはかとなく立ち昇るエレガンス。これがこの二人の協奏の美の世界か。
改めて思う。メンデルスゾーンはいろいろな意味で立ち位置の難しい音楽家と思え、筆者にとっては可もなく不可もなく的な存在だが、こういう演奏で聴くと、何かしら深いところで胸に届いてくるものがある。コワンは相変わらずまるきり演出味のない淡々たる弾きぶりなのが、余計そのことを伝えるのであった。そういえば2018年、筆者は彼の楽器アルペジョーネでシューベルトの『アルペジョーネ』を聴いたのだが、この時もそのさっぱり加減に感嘆したものだ。背筋の伸びた楷書の演奏は変わらない。

が、筆者が当夜最も刮目したのは後半、コワンの研究成果たるグロス『セレナード ハ長調』であった。グロスはメンデルスゾーンと同年に当時の東プロイセンに生まれたチェリストであり作曲家。コレラに罹患、早世したがメンデルスゾーンやシューマン夫妻とも親交があったそうで、シューマンの幻想性と内的沈潜世界を思わせるリリシズムとポエジーに富んだセレナードと聴いた。アンダンテでの切々たるメロディの描く弧線の美しさは、まさにコワンの独壇場。ピアノは伴奏的に書かれているが、流れを底支えする金子の阿吽の呼吸とニュアンスの繊細こそが全体を生き生きと息づかせており、筆者はふと、コルトーに学んだ遠山慶子を思い出した。ウィーン・フィルのコンサートマスターだったW・ヒンクとのデュオなど、共演者を常に幸福にするこの稀有なピアニストに金子が重なったのだ。とりわけアンダンテからアレグロへ、さらにアレグロからアンダンテへ回帰する際の音の架け橋、うつろいには、シューベルトの息遣いをさえ聴くようで、筆者はぞくっとし、両者の音楽作りの精妙をつくづく知ったのである。
コワンはグロスの魅力を全世界に広めんとしているらしいが、筆者も大いにこの作品を楽しんだ。そして思った。世の中には、いつでも、どこにでも時代を象徴する「スター」を世に押し出す人は居るのだ、と。そして彼らがいてこそ、メンデルスゾーンもブラームスも輝きを放ち、時代を変えてゆく「顔」になるのだ、とも。
コワンの眼は、そういうところを見ているのではないか。
ちなみにアンコールで弾かれたヨーゼフ・ヴェルフルはライバルであったベートーヴェンにピアノの「決闘」で打ち負かされたピアニスト。楽曲も残しており、このたびの演奏となった。こうした楽曲に触れることで、私たちはいっそう深く豊かな音楽の鉱脈を知るのだ。

最後にどっしり構えたブラームスは、前半とはやや趣を変え、スケール大きくダイナミックな演奏。とりわけ金子のリード(と筆者は感じた)に心地よく乗るコワンの内なるパッションが渦巻いたが、それでもやはり崩れぬ音楽の居住いはこの二人ならでは。押し付けがましい主張も演出もなく、ただ音楽そのものを真っ直ぐ届けてくれた良い一夜であった。

ところで筆者、日経ホールに初めて行ったのだが、何より座席の座り心地が素晴らしい。余計な装飾もなく、ロビーの大ガラスから見渡す夜のビル群も何やら「日経」的だが、オフィス街一角での音楽鑑賞(このサロン・シリーズは18時半開演という、これまたオフィス的配慮)もなかなか味わいがあったことを言い添えておこう。

(2025/5/15)

関連評:クリストフ・コワンと仲間たち|丘山万里子

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<Player>
Christophe Coin (cello)
Yoko Kaneko (piano)
<Program>
Mendelssohn: Variations Concertantes, Op. 17, D major
Mendelssohn: Cello Sonata No. 1, Op. 45, B-flat major
J.B. Gross: Serenade, C major
Brahms: Cello Sonata No. 1, Op. 38, E minor
(Encore)
Josef Wölfl: Duo for Cello and Piano in D minor, Op. 31, 2nd movement