パリ・東京雑感|トランプの教会と闘うフランシスコの教会|松浦茂長
トランプの教会と闘うフランシスコの教会
Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
フランシスコ教皇が亡くなった翌日、友人からこんなメールをもらった。
復活祭の日、Ordo Amoris の解釈をめぐって対立したバンス米副大統領がバチカンを訪れて教皇と握手しました。翌日、教皇は心不全で死んだわけですから、バンスはまるで殺し屋のようで、プーチンも魂消ているだろう、と思いました。
フランスの『ルモンド』紙は、バンスが教皇に会う二日前、一面トップに「二つのカトリックの衝突」という記事を掲げ、「〈ポスト・リベラル〉のカトリックを信奉するバンスは、あえて教会を叱責した、それも神学そのものをめぐって教皇庁を叱責した。」と怒りをあらわにしていた。
どうやら、これはバンス対フランシスコの個人的対立ではなく、二つの〈教会〉の対立。フランシスコを頭とするリベラル〈教会〉対、トランプを頭とするポスト・リベラル〈教会〉の衝突だったらしい。
とすると、ホワイトハウスは、ポスト・リベラル〈教会〉の総本山? たしかに、二期目のトランプが乗り込んで以来、ホワイトハウスは、バチカンそこのけの宗教施設になったようだ。
「ルーズベルト・ルームに響き渡るアカペラの賛美歌」
「閣議室からは、『イエスの御名によって』と祈りの声」
「牧師たちが、『王は神によって立てられる』という聖書の一節を読み上げながら、手を伸ばして祈る大統領執務室。」(トランプが神によって〈王〉として立てられたことに感謝する祈り?)
来る日も来る日もこんな具合で、トランプの熱狂的な指揮の下、政府高官と牧師たちが、ホワイトハウスの業務に〈キリスト教〉を吹き込んでいる。まるで、大統領が神から委ねられたミッションを遂行しているかのような雰囲気だとか。
トランプは日曜ごとに教会に通う信者ではなかったし、キリスト教についての無知をさらけだすこともあったのに、暗殺の銃弾から「奇跡的に」守られて以来、「全能の神のお恵みにより」救われた特別の人間だと信じこみ、ホワイトハウスの〈宗教色〉が一段と濃厚になった。
ホワイトハウスの中でも政府の中枢機能が集まる、格の高いウェスト・ウィングに「信仰局」が店開き。反ユダヤ、反キリスト教とたたかう重要な使命を与えられた。信仰局のトップに任命された牧師が掲げる計画は超野心的で、「アメリカにおけるキリスト教徒迫害(国民の60パーセントがクリスチャンなのに、迫害を受ける?)」を終わらせ、「教会と国家は分離すべきとする通念」を改めさせるというのだ。プーチンのロシアのような国家教会を夢見ているのだろうか。
復活祭ともなると1週間まえから、連日たっぷりと宗教儀式が組まれ、セレモニーはホワイトハウス内に中継される。プログラムの冒頭に登場した歌手兼牧師は「真にイースターにふさわしい祝いを捧げてくださる」トランプ大統領に感謝の言葉を述べた。
トランプは、ホワイトハウスという名の宗教組織の指導者、神によって立てられた〈王〉なのだ。
しかし、トランプ=ホワイトハウス教会の〈キリスト教〉には足りないものがある。
トランプが大統領に就任して第一日目に、米国聖公会の主教から「憐れみを持ちなさい」と叱られたのである。ワシントン国立大聖堂で行なわれた、大統領就任を祝う祈祷会。バッディ主教(女性)は、説教の終わりに近づいた頃、息を継いで、最前列に座るトランプの目を見つめてこう言った。
いまわが国でおびえている人々に憐れみの気持ちを持つよう、あなたにお願いします。ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーの子たちが民主党支持者の家族にも、共和党支持者の家族にもいて、生命の危険におびえているのです。
移民の圧倒的多数は、犯罪者などではありません。大統領閣下。私たちの社会にともに生きながら、(移民強制退去政策により)親がいつ連れ去られるかとおびえる子どもたちがいる、そんな状況に置かれた移民家族に憐れみの気持ちを持つようお願いします。そして、自分の国が戦場となったため、あるいは迫害を逃れるため、やって来た人々に思いやりを示し、彼らがこの国で歓迎されていると感じられるような、そんなアメリカにするために力を注いでください。
トランプはもちろん激怒し、「いわゆる主教」「〈トランプ憎し〉にこり固まった極左」からの謝罪を要求した。また、共和党の議員からは「バッディ主教も(不法移民同様)国外追放リストに載せるべきだ」と言う声が出たり、トランプ配下のキリスト教集団は、全く聞く耳持たずだった。
それでも、危険を冒してでも、言わなければならなかった。トランプのもとに、「あわれみ」なき〈キリスト教〉が増殖し、教会全体を汚染しかねない勢いだからだ。バッディ主教の叱責を解説した『ニューヨーク・タイムズ』の記事は、このできごとが二つの〈キリスト教〉の衝突であることを、するどく見ぬいていた。
カンタベリー説教壇(ワシントン国立大聖堂の説教壇。もと英国カンタベリー大聖堂で使われた中世の説教壇で、マーチン・ルーサー・キング牧師が、暗殺される前日この説教壇から説教した)が、晴れの舞台で、いじめ説教壇にたちむかった。
この10年間、アメリカのキリスト教はあらゆる面で引き裂かれてきた。
女性が説教するのを許すべきかをめぐって、キリスト教徒は争い、
同性愛者を差別なく受け入れるかどうかで争い、結婚とは何かをめぐって争い、
教会と国家の分離について争い、
そして「ブラック・ライヴズ・マター(黒人に対する暴力・差別に抗議する運動)」について、キリスト教徒たちは争ってきた。
キリスト教社会が引き裂かれ、争う、その闘争を通じて大躍進したのが、「唯一の真の神の声」を自称する右派キリスト教勢力であり、トランプはつねにその分裂・闘争のただ中にあって、〈モダン〉アメリカ教会の頂点に立つ、事実上の指導者に祭りあげられてきたのである。(エリザベス・ディーアス『トランプに訴えた主教』〈ニューヨーク・タイムズ〉1月22日)
ところで、バンスは、どんな神学論争をふきかけてやろうと、バチカンに乗り込んだのか?
近年、保守政治家がカトリックに改宗するのが、アメリカではちょっとした流行(ラジオ・フランスの表現を借りれば「疫病」)になっているのだそうだが、バンスも本格的に政治家の道を歩み始めるにあたって、カトリックに改宗した。トランプ政権の閣僚の三分の一以上がカトリックだというから、保守政治家の改宗熱はなかなかのものだ。(伝統的にカトリック信者の多くは民主党支持だった。バイデン前大統領は、リベラル・カトリックの典型。)
かれら改宗カトリック政治家の間で持てはやされるのが、4世紀の大思想家、アウグスティヌスである。アウグスティヌスは、目に見えない愛の共同体「神の国」と、自己愛が支配する「地の国」の二つの国を区別し、世界の歴史を「神の国」と「地の国」との発展、両者の闘争、「神の国」の終局の勝利を示す巨大なドラマとして描いた。『神の国』は、キリスト教ヨーロッパに生まれた最初の歴史哲学といわれる大著である。
なんと、改宗カトリック政治家たちは、この1600年前の歴史・政治哲学を我田引水して、宗教的権威が世俗の権力を指導すべきだと、政教分離の否定、ポスト・リベラルの権威づけをはかったのである。
改宗カトリック政治家のトップスター、バンスも、権威あるアウグスティヌスにあやかろうと考えないはずはない。トランプの目玉政策である移民強制退去のために、アウグスティヌスの「愛の秩序」を持ち出して、神学的箔付けをしようと思いついたわけだ。
人はまず家族を愛する。次に隣人、次に村や町の人々を愛し、それから同胞への愛に至る。よその国の人の順位は、その後である。
このバンスによる「愛の秩序」理論を、フランシスコ教皇が、アメリカのカトリック司教にあてた手紙の中で、わざわざ批判した。素人神学者の説に、教皇が異議を唱えるなんて、少々大げさすぎはしないか? でも、南半球出身でアルゼンチンの貧しい人たちに寄り添ってきたフランシスコにとって、祖国にいられなくなって、さまよう人々の苦境を見るのが、よほどつらかった。一言書かずにいられなかったのだろう。
フランシスコは12年前に教皇に就任すると、真っ先に、うだるような暑さのランペドゥーザ島に行った。ヨーロッパをめざすおびただしい数の移民・難民が、地中海の小さな島に押し寄せる。島にたどり着く前に、粗末な船が転覆し、命を失う移民の数は、毎年数百人。千人を超えることもあった。
ランペドゥーザ島でミサを捧げた教皇は、「これほど多くの兄弟姉妹に対し、無関心になってしまったことへの許しを請う」説教をした。
そんなフランシスコだから、命からがらアメリカにたどり着いた人々を追出す、トランプのやり方に抗議しないではいられなかった。とりわけ、キリスト教の教えを持ち出して移民追放を正当化する、バンスの言い分は目に余ると感じたのだろう。こう書いて反論した。
私たちが広めなければいけない、本当の「愛の秩序」とは、「良きサマリア人」のたとえ話にくり返し思いをめぐらすとき、見出すことが出来るものです。すなわち、例外なくすべての人に対して開かれた兄弟愛を生み出すのは、いかなる愛なのか、くり返し思いめぐらすとき、真の「愛の秩序」に近づけるのです。
「良きサマリア人」のたとえは、イエスが、「隣人とはなにか?」を問われたときの回答。
あるユダヤ人が旅の途中で強盗に襲われ、重傷を負って道端に倒れている。ユダヤ人の宗教指導者らは、知らん顔して通り過ぎるのに、ユダヤ人から軽蔑され、嫌われているサマリア人が、怪我した旅人を宿屋に連れて行き、滞在費と治療費を支払ったという物語だ。
自分たちを軽蔑し憎んでいる人を介抱するとか、例外を許さないすべての人への愛とか、人間の限界を越えた難題ではないか? そんな超人的愛がもし可能だとしたら? それは、神さまを心から愛したときだ。神さまが、無差別兄弟愛をプレゼントしてくださるのだ――フランシスコが教える「良きサマリア人のたとえを思いめぐらす」とはこういう意味なのだろう。
だとすれば、遠近差別の愛を語る者には、神さまを愛する気がない。その人はキリスト教徒ではない。
2016年、トランプが選挙運動中、「もっともっと移民を強制退去させる。」「メキシコ国境に壁を築く。」と公約したとき、教皇はトランプを指して「キリスト教徒ではない」と非難した。教皇から「オマエは信仰がない」と烙印を押されるなんて、恐ろしい!
しかし、今振りかえって考えると、トランプが、やがて「あわれみ」なき〈キリスト教〉の指導者になり、迷える子羊たちをさらって行くときが来るのを、フランシスコは予感していたのだろう。だから、その男に「反キリスト」のレッテルを貼って、警鐘を鳴らす義務を感じたのだ。
教会史のアルベルト・メローニ教授によれば「フランシスコ教皇は世界の教会が〈教皇の教会〉と〈トランプの教会〉に分裂するのを防ごうとした」のである。
フランシスコのユニークなのは、自己の殻を破り、他者に心の底から共感するためには、人生のありとあらゆる悲しみ、悪、絶望、憎悪を知らなければならない。そのためには哲学や神学より、文学作品を読みなさいと勧めていることだ。
私は文学というものを言い当てた(ホルヘ・ルイス・ボルヘスの)この言葉が好きだ――「誰かの声を聞く」。
私たちに呼びかけている他者の声に耳を傾けなくなるのがどれほど危険なことか、忘れないようにしよう。さもないと、人はたちまち自己隔離におちいり、私たちと私たち自身との関係、また私たちと神との関係をあやうくする<精神的つんぼ>になってしまう。(フランシスコ教皇『教育における文学の役割について』)パリ・東京雑感|祈りより小説を!哲学より文学を!驚きのローマ教皇書簡|
いま、民主主義の根っこが見失われかけている時代に、フランシスコ教皇は、貧しい教会を説き、兄弟愛を大切にし、地球環境を守るために力を注いだ。教皇として初めてアラビア半島に足を踏み入れ、アブダビでイスラム指導者と一緒に「さまざまの宗教があるのは神のご意思」と宣言する文書に署名し、トランプ・チームが憎悪する「多様性」を一歩進めた。半世紀前のカトリックは、リベラルの敵だったのに、いまは、「暗黒のアメリカから、リベラルのともしびを掲げるバチカンを仰ぎ見る」さかさまの時代。時代がフランシスコを必要としたのだ。
不思議なことに、しばしば、時代の課題にピッタリ答えてくれる教皇が選ばれる。東ヨーロッパの人々が共産主義のくびきから逃れ出ようと、民主化運動に立ちあがる時代に選ばれたのが、ポーランド人教皇、ヨハネ・パウロ2世だった。
ヨハネ・パウロ2世は、1979年アメリカを訪問したとき、カーター大統領の安全保障問題担当補佐官ブレジンスキーを夕食に招いた。二人の会話は、共産化された東欧諸国へのソ連の締め付けを、どうしたら弱めることが出来るかをめぐって、大いに盛り上がる。ブレジンスキーは世界情勢についての教皇の洞察力に舌を巻き、「カーターさんは宗教指導者の方が向いている。教皇さまは世界的政治家に見えますよ」とからかったそうだ。
この夕食から生まれた信頼関係が、翌年、悲劇を防ぐことになる。ワレサが率いる労働組合運動「連帯」が、ポーランド政権にとって深刻な脅威になったときだ。これ以上政府を追いつめれば、ソ連が介入する。戦車を連ねて、ポーランドに侵入する危機が迫っているのを察知したブレジンスキーとヨハネ・パウロは、ひんぱんに連絡し合い、ワレサを説得する。敬愛する教皇の頼みとあっては、さすがのワレサも、「ソ連が国境を越える口実を与えないために」、ソ連を刺激しそうな言辞をひかえ、低姿勢に転じた。
1980年12月6日、CIA長官が大統領に、ソ連は48時間以内にポーランドに侵入すると警告。バチカンとワシントンは、ソ連に対し、もしポーランドに侵攻すれば、労働組合だけでなく、教会も、軍の一部も戦うだろう。チェコやハンガリーと違って、ソ連軍は手ごわい敵と戦うことになり、犠牲は大きいと説得。「連帯」とソ連、双方に対する、ブレジンスキー=ヨハネ・パウロ連携作戦によって、侵略を食い止めることに成功した。(エドワード・ルース『ヨーロッパを救ったディナー』〈ニューヨーク・タイムズ〉4月27日)
ポーランドからバルト3国まで、つぎつぎ自由を獲得する時代に選ばれたのが「政治家」教皇だった。
民主主義が音を立てて壊れ始める2010年代に選ばれた教皇は、一切政治的配慮をしない、ラディカル・ヒューマニスト。意図的「政治音痴」。こういう人を、時代が必要としたのに違いない。
新しい教皇レオ14世からは、どんな時代のしるしが読み取れるだろうか?
(2025/5/15)







