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エベーヌ弦楽四重奏団|藤原聡

エベーヌ弦楽四重奏団
Quatuor Ébène

2025年3月26日 TOPPANホール
2025/3/26 TOPPAN HALL
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 大窪道治/写真提供: TOPPANホール

〈プログラム〉        →foreign language
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第1番 ヘ長調 Op.18-1
ブリテン:3つのディヴェルティメント
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 Op.130+大フーガ 変ロ長調 Op.133

〈演奏〉
エベーヌ弦楽四重奏団
ヴァイオリン:ピエール・コロンべ
ヴァイオリン:ガブリエル・ル・マガデュール
ヴィオラ:マリー・シレム
チェロ:岡本侑也

 

このたびトッパンホールが企画したのは、3日間の初日にエベーヌ弦楽四重奏団、2日目にベルチャ・クァルテット、そして最終日にこの両団体が共演するという恐ろしく濃密なコンサートシリーズ。エベーヌとベルチャは疑いなく現代最高の弦楽四重奏団だが、それを連日堪能できるのだからクァルテット・ファンは万難を排して駆けつけねばなるまい。いつものことながらこのホールの企画力には脱帽する。本稿は1日目のエベーヌ弦楽四重奏団(別稿にベルチャ・クァルテットもあります。3日目は聴けず)。

今回が初のトッパンホール登場となるエベーヌ。初、といえばチェロに岡本侑也が加入しての初の来日公演でもある。プログラムは最初と最後にそれぞれベートーヴェンの初期と後期の作品を置き、中央にブリテンの若き日の3つのディヴェルティメントを挟み込むというもの。

まずはベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1番。第1楽章のアレグロ・コン・ブリオ冒頭から第1vnのコロンベの自在なボウイングが光る。エッジを立たせた鋭角さを伴って開始された音楽は5小節目で表情を変え柔和になり、9小節目から始まる冒頭主題のfでの反復はまるで雰囲気が変わって剛直になりダイナミクスの変化も大きい。なるほどどの団体であれこの箇所はシンプルなベートーヴェンの楽譜からこのようなドラマを引き出しているのだが、エベーヌほどそれを明確に打ち出している例もないのではないか。ヴィブラートの意識的な使い分けやボウイングのスピードの変化など、なんたる表現の引き出しの多さよ。そんなコロンべに単に追従するのではなく、同等に打ち返すのが第2vnのマガデュールとvaのシレム。岡本はまだエベーヌのスタイルに馴染みきっていないのか、先の3人に比べるとかなり大人しく拮抗するには至っておらず、上3声でのやりとりに耳が行きがちとなるのは仕方ない。時間が解決する問題と思う。続く第2楽章はベートーヴェンがシェイクスピアの『ロメオとジュリエット』の墓場の場面にインスパイアされて書いたという有名な逸話があるが、エベーヌの演奏にはほとんど表現主義的な激しさがある。弱音の緊張感も尋常ではない。エベーヌは現代の聴衆にも作曲当時に作品に接した人々が感じたであろう衝撃を追体験させたいのではなかろうか。続く第3楽章と第4楽章ではあくまで軽やかなテンポ感の中でも楽想を深く掘り下げ常に意志的、一瞬たりとも表面的に流れない。本作は確かにハイドンやモーツァルト的なところもあるが、全体として既に紛れもなくベートーヴェンならではの個性が開花している。それを明確にフォローしているのがエベーヌの演奏と言えようか。ベートーヴェン初期の弦楽四重奏曲はコンサートの「前座」的な扱いとのイメージがあるが、これを聴けば前座どころの話ではない存在感を放つ傑作だと認識させられる。

次のブリテンでもエベーヌの演奏は快刀乱麻を断つかの如く。第1曲の異様なグリッサンドの効果や第2曲における同じブリテンのシンプル・シンフォニー「おどけたピチカート」を連想させるような諧謔味に富んだテクスチュアを処理する運動神経の良さ。エベーヌの切れ味を素直に堪能できる抜群の名演、こんなに生き生きとした演奏が可能な団体は他になかなか思い浮かばない。

次いではベートーヴェンの第13番の弦楽四重奏曲。最初に全体の印象を述べるなら、この作曲家の後期弦楽四重奏曲にまつわるイメージにとらわれない明快、いかにも現代的な名演奏と評すべきだろう。例えば、第1楽章で何度も交代するアダージョとアレグロの並列的で奇妙な対比、これをエベーヌはさほど際立たせない。テンポも重々しくなく軽快さすら感じる。第2楽章のプレストの快速さは新幹線を通り越してリニアモーターカー、中間部でのべつまくなく畳み掛ける間が抜けた装飾音だらけの第1vnによる「演説」は演奏がひたむき過ぎて逆に諧謔味が出る。主部再現直前のfによる和音の凄まじさ、まるで爆弾が炸裂したかのようだ。第3楽章と第4楽章はリラックスした演奏で先の2つの楽章の演奏とよい対比を成す。ことに後者での音の綾がえも言われぬ美しさ。しかしこの演奏の白眉は次の第5楽章「カヴァティーナ」および第6楽章「大フーガ」に違いあるまい。前者では4人の水際立った和声感覚が他のどの演奏にも増してこの音楽のテクスチュアを効果的に表出しており、そのちょっとした楽器間のニュアンスの変化による色あいの多彩さはさながらプリズムを通して見る光の如く。ワーグナーやマーラー、ベルクにつながるロマン派的に濃厚な官能性を感じさせる、というよりはもっと清澄な音楽となっていたのだが、これもまたエベーヌならではだろう。そして「大フーガ」、今もって晦渋かつ難解な印象のある本作の形をかように浮き彫りにした演奏がかつてあったか。最高の技巧とモチベーションを持った4人が拮抗して作り上げたこの演奏こそまさに「対位法」の粋を表現しつくしたと絶賛されるべきだ。これには圧倒された。アンコールはなし。この「大フーガ」のあとに演奏されるべきアンコールなどなかろう。

エベーヌ弦楽四重奏団は楽譜にひそむテクスチュアをとにかく明晰にレアリゼしようとしているが、その際には常に新しい目と耳を稼働させているのだろう。手垢のついた表現が全く見当たらない。それは旧来の演奏に馴染んだ聴き手をあるいは戸惑わせるかも知れないが、そこにこそエベーヌのかけがえのない価値がある。それを再び認識した稀有なコンサートであった。

(2025/4/15)

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〈Program〉
Beethoven:Streichquartett Nr.1 F-Dur Op.18-1
Britten:Three Divertimenti
Beethoven:Streichquartett Nr.13 B-Dur Op.130 mit Großer Fuge B-Dur Op.133

〈Player〉
Quatuor Ébène
Pierre Colombet,violin
Gabriel Le Magadure,violin
Marie Chilemme,viola
Yuya Okamoto,violoncello