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五線紙のパンセ|もの|福井とも子

「もの」
Text by 福井とも子 (Fukui Tomoko): Guest

最終回は、第2回目より少し時間が経ってしまったので、今までの内容とは少し傾向を変えて書いてみようと思う。

1回目、2回目と、これまで関わった演奏会の企画や運営について書いてきた。それが自分の音楽活動において結構大きな部分を占めていると思ったからである。一方、自分の作曲法については、書くことを控えてきた。避けてきたと言っても良いかもしれない。作曲家によって考え方はさまざまだと思うが、私 にとって作曲技法や語法という言葉には「その作曲家が編み出した独自の方法」という意味が含まれる気がするので、毎回手探りで書いているような感覚がある自分の方法とは少し違う気がしている。一つ言えることは、私は音色へのこだわりが強く、どの作品においてもそのことが全体の構造に影響を及ぼしているということくらいである。

ところで曲を作る際に、器楽作品と声を伴う作品とでは、私の中に大きな隔たりがある。後者については、言葉をどのように扱うかという問題がいつも大きく立ちはだかる。詩を聴かせたいと思うのならそのような書き方があるし、 そうでない場合は、どのようなスタンスで言葉を扱うかを考える必要が(私には)ある。ちょうど1ヶ月前(2025年2月8日)、7人の声のための作品がドイツで初演された。この曲に取り掛かった去年4月頃から10ヶ月間ほど、ずっとこ の課題と向き合ってきたこともあり、パンセ最終回では、私がいつも苦戦する声の作品について少し書いてみようと思う。

これまでに書いたいくつかの合唱曲や、10人以下くらいの複数の声の作品などを引っ張り出してみた。古いものでは、1990年代の ものが見つかった。当時のプログラムノートや作曲メモなどはどこかへ行ってしまったので詳細は思い出せないが、いくつかここに紹介してみたい。

まず足立智美ロイヤル合唱団のための「オトナノリズム」(1997年頃作曲)。当時足立智美氏が、楽譜の読めない人を集めてキレッキレの演奏をさせていた(と言ったらいいのか……)。私は楽譜は読めたが、どういう訳かそのメンバーに入れていただいて、楽しく貴重な体験をさせてもらった。その合唱団7人のために書いた七声の作品がこれである。音楽を習い始めた子供がやるような、1拍を等分割して言葉を当てはめるというリズム練習のようなことが繰り広げられ、そこに言葉遊びのような要素が加わる。例えば冒頭は単純で、

四分音符1つ=言葉は「オ」、2分割して8分音符2つ=「オト」、3分割して3連符=「オトナ」、4分割して16分音符4つ=「オトナノ」、5連符=「オトナノリ」、6連符=「オトナノリズ」、7連符=「オトナノリズム」のようになり、それを順番に1人1拍ずつ歌っていけば、初心者向けのリズムソルフェージュのようになるし、これらを同時に歌えば、ちょっとしたクラスターのようにもなる。言葉遊びについては単純なものではあるが、わかりやすいように部分的に例を挙げてみよう。例えば「カ」で始まって「カ」で終わる言葉をそれぞれのリズムに当てはめると、

奏者1 カッカ(3連符)、カンカ(3)、カイカ、カフカ、カブカ、カソカ、カジカ等々
奏者2 カモシカ(4分割)、カツシカ(4)、カテイカ(4)、カロヤカ、カブダカ(4)等々
奏者3 カグラザカ(5連符)、カムチャッカ(5)、カンシキカ、カナリバカ、カンドウカ等々
奏者4 カンキョウビカ(6連符)、カカアデンカ (6)、カマウモンカ、カサブランカ等々
奏者5 カンケイアッカ(7連符)、カロリーチョウカ(7)、カガミピカピカ等々

となる。何かちょっとしたルール(この場合だとカ〜カの言葉)によって並べられた単語からは、意味不明ではあるが、発音の共通性による日本語独特の音色の変化が聴き取れる。この場合日本語を理解できた方がよりおもしろく聴くことができるだろうが、日本語を理解できなくても、シラブルの共通性やグラデーションなどを感じ取ることは可能であろう。この作品は足立智美ロイヤル合唱団のCD「nu」に入れていただいた。

次にこの際振り返っておきたい曲は、合唱団るふらんのために書いた曲(おそらく2000年くらいに作曲)である。手書きのスコアの表紙がなくなっているので、タイトルも定かではないが、おそらく《color song on A》だったと思う。《color song / カラーソング》という自作の言葉を含むタイトルの曲は全て、何か(例えば音高)を限定するこ とで、それ以外(例えば音色の変化など)に耳が向かうというコンセプトで作られている。この曲の場合、on A は“ラ”の音を示し、ピッチをラに限定することで、体系的に並べた日本語の発音(五十音+濁音や拗音など網羅)とその音色の変化を聴かせようとしている。

基本的に16人を5パートに分け、あ段(あかさたな……)、い段(いきしちに……)、う段、え段、お段の発音をそれぞれのパートが受け持つところから曲は始まる。冒頭を少し書くと、

あやあやわやわやわらわら・・・みたいにあ段の発音から始まり、だんだん言葉に近くなる。「あさからさかなだやわらかはらわた……」といった感じだ。これは一応意味の通ずる言葉ではあるが、意味が重要なわけではなく、聴衆に正確に伝わる必要もない。まずは発音による音色の差異・変化を聴き取ってほしいという意図である。そういう言葉を各パートに作り、だんだん濁音や半濁音(ぱぴぷ……)、拗音(きゃきゅきょ、にゃにゅにょ……)などが混ざり、 息の音や、特殊な奏法で発する音などに推移していく。曲中「か」と言う文字に⚪︎を付けて、「か」を半濁音として発音しようとするのを発見した。これをどうやって演奏していただいたのかは記憶にないのだけれど、少々観念的な発想ではあるものの、 わからなくもない(今なら書かないが)。さらに後半では、身体の動きと声の変化にテーマは広がる。この作品でも日本語をシラブルに分けて、さまざまに変化する音色の聴取を目指すところは《オトナノリズム》と似ている。言葉の意味は重要ではなく聴取できなくて良いが、理解できた方が楽しめるというのも共通点である。

声を伴った作品を書く場合には、どの言語で、どのような詩を選ぶのか、あるいはそもそも詩や既存のテキストを用いるのか否か、言葉を言葉として用いるのか否か等、作曲者は一度はそういう問いと向き合うことになる。言葉を解体するというようなことをやらない限り、言葉には意味が存在し、それが音楽の内容よりも強いインパクトを与えてしまうことだってありうる(そのことを否定しているのではない)。そして声という楽器のみがその問題と直接関わることになるのである。もちろん詩や既成のテキスト等に触発されて書く、という場合もあるだろうけれど(むしろそちらの方が一般的かもしれないが)、純粋に声を楽器の音として扱おうとするならば、私にとっては言葉は少々手ごわい存在と言えなくもない。

そして演奏家の言語が自分の言語と違った場合には、さらにハードルが上がる。
2012年に、ドイツの合唱団SWR Vokalensemble (南西ドイツ放送ヴォーカル・アンサンブル)とTrio Accanto のために《to the forest》という作品を書いた。その時の演奏家は、もちろんほぼ全員が日本語を話さない(お一人だけ日本人の方、中曽和歌子さんがいらっしゃった)。つまり上記2作品で試みた日本語の発音を扱うような作品は当然ながら難しい。だからと言ってドイツ語の発音を詳しく扱うようなことも自分には不可能だった。発音記号は調べられても、それを聴き分けることはできないし、聴けなければ書くことも不可能だ(と思うのは私の発想の貧困さ故で、発想を逆転させたりして書いてしまう人もきっといるのだろう)。悩んだ末に、まずどちらも(演奏家も作曲者も)が少しは理解できる言語にすること、その言語の中で誰もが理解できるくらいのシンプルな文章・単語を使うこと、お互いに理解できない言語の発音を追求するような書き方はしないこと、などを自分の中で決めた。結局使った言葉は英語、そしてテキストのほとんどは数字のみとした。数字は、社会の様々な出来事と関係のあることについての統計から引用したものだ。終始ささやき声なので、聴衆には時々数字が聞き取れる程度である。その数字が何を表すかを知りたい人のみが、解説を読んでくれるだろう。ささやき声にしたのは、はっきり聴き取る必要がないことと、またwhisper音によるノイズと楽器との音色的な関わりを持たせたいという狙いがあったからだ。この作品の編成は、24人の混声合 唱団に、サクソフォン、ピアノ、打楽器が加わるというものだが、ここで用いたスネアドラムのスネア線とwhisper音は、どちらがどちらかわからないような耳の錯覚を起こし、興味深かった。どちらがどちらかわからないような、耳の錯覚を起こすからだ。この作品は、2014年にフォンテックからリリースされた私の作品集に入っている。

そして今年2月にシュトゥットガルトEclat音楽祭でNeue Vokalsolistenによって初演された、7人 の声のための作品について。本当はこれをメインに書こうと思っていたのだけれど、文字数的にはもうそろそろ原稿の終わりに近づいてしまっている。ごく簡単に書くと、今までとかなり違ってこの作品では、音楽外的なことが発想の出発点となっている。また英語・独語・日本語で書かれたごく普通のテキスト(自作文章)を通常の歌唱法で歌う部分が結構多いということ。ただし言葉の意味よりも発音を音色と捉え、その類似性に着目しているという点では、これまでの曲と共通している。言葉と声をどのように扱うかについても、やはりこの作品でも相当な葛藤があった。当たり前だが一人一人の声は違うわけで、この曲のような書き方(つまり特殊な奏法が比較的少ない)をした場合にそれは顕著に現れる。しかもそこに色々な言葉の発音が乗っかるというのは、よく知っている演奏家であっても私にとっては演奏結果がとても想像しにくい。まして今回は会ったこともない演奏家たちである。CDなどで聴くのはもちろんだが、ネット上で動画を見ながらそれぞれの声を一致させたりキャラクターを研究したりもした。
この作品のタイトルは《Die Dinge》、邦題なら《もの》となる。この文章のタイトルを《もの》としたのは、この作品のタイトルだったという訳である(別に深い意味はなく、オチのような感じである)。人とモノとの関係を私のデタラメな文章で描いた。人間の作った厄介なものの代表として、ペットボトルを使った。以前日本の合唱団ヴォクスマーナのために書かせていただいた曲でも使ったことはあるが、今回は水でピッチを変えるのではなく、もともと各ペットボトルが持っているピッチを利用した。何年か後には、地上からペットボトルがなくなって、この曲が演奏できなくなっているのが望ましい。演奏者には大変だったかもしれないが、ペットボトルと声は想像以上に融合していたように思う。

ところでこの作品は14分の長さとなった。これは自分としては長い方なのだが、音楽祭では30分、40分を超える作品がたくさんあった。それに対し、聴衆の集中力も持続しているように見えた。私の曲が14分だと言うと、何人かに「短い」と言われた。そう言えば日本では1曲10分前後という暗黙のルールみたいなものがある気がする。曲の良し悪しと長さは関係ないかもしれないが、枠に捉われない自由さを感じる音楽祭であった。
私は結構海外に行くことが多い方だと思うが、ドイツの音楽祭に行ったのは久しぶりだった。数年前と明らかに作曲家の顔ぶれが変わっていたし、それに連れて当然ながら全体の音楽の傾向も大きく変わったと思う(もちろんこの音楽祭だけでは言い切れないのだが)。彼らの自由な発想力や、新しいモノを使いこなす力が、新しい聴衆を得ていると感じた。それはそれでおもしろいと思う反面、重厚で練り上げたようなドイツのシリアスな音楽を聴きたくなったというのも正直なところである。

さて、ここでそろそろこの原稿を終えたいと思う。2回目を書いてから随分時間が経つので、3回を通じて何かを言えたという感じではなくなってしまったこと、まとまりの無い文章になってしまったことをご容赦いただきたい。
もし最後まで読んでくださった方がいらっしゃったなら感謝致します。またここに書く機会を与えてくださったメルキュール・デザール編集部の皆様にも心からお礼も申し上げたいと思います。
ありがとうございました。

(2025/3/15)

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福井とも子(Fukui Tomoko)

これまでダルムシュタット国際夏期現代音楽講習会(ドイツ)、エクラ音楽祭(ドイツ)、ベルリン・メルツムジーク(ドイツ)、Ars Musica音楽祭(ベルギー))、ヴェネツィアビエンナーレ(イタリア)、バルトークフェスティバル(ハンガリー)、武生国際音楽祭、パンムジークフェスティバル(韓国)、ムジカラマ音楽祭(香港)、VICO Festival(カナダ)その他から招待や委嘱を受ける。
ISCM世界音楽の日々/香港大会(2002)、同クロアチア大会(2005)、同オーストリア・スロバキア大会(2013)に入選等。日本音楽コンクール管弦楽部門入選、室内楽部門第3位、ダルムシュタット国際夏期現代音楽講習会奨学生賞、秋吉台国際作曲賞受賞等。

作曲活動に加え、北海道教育大学、大阪大学、東京音楽大学、京都精華大学、国立音楽大学、シュトゥットガルト音 楽大学、サイモンフレイザー大学(カナダ)等々、国内外の大学等でのレクチャーや、演奏会の企画・制作等を行う。2001年より現代音楽演奏団体next mushroom promotionのプロデュースを手掛け、第8回公演「細川俊夫特集」は2005年度サントリー音楽財団佐治敬三賞を受賞した。同団体は2008年から2012年まで武生国際音楽祭に、また韓国、香港、ハンガリー、メキシコ等の音楽祭にも度々招かれている。

日本現代音楽協会副理事長、国際部長。ISCM(International Society for Contemporary Music)の理事に、アジア人女性としてはじめて就任。

<公演情報>
●2025年2月8日(土)シュトゥットガルト Eclat音楽祭
Tomoko Fukui / Die Dinge (2024~5)
演奏:Neue Vocal Solisten

●2025年4月23日(水)19時開演 杉並公会堂小ホール
低音デュオ第17回演奏会「低い音のカタログ」

福井とも子 / doublet IV (2019)
演奏:低音デュオ bar:松平敬、Tuba:橋本晋哉

<最近のCD情報>
◆“ARCS” (2021) コジマ録音
演奏:土橋庸人+山田岳 ギターデュオ
福井とも子 / doublet III (2017 / 2020)
https://www.amazon.co.jp/ARCS-土橋庸人/dp/B0932JC9VT

◆24 Preludes from Japan (2017) stradivarius / STR
演奏:内本久美 ピアノ
福井とも子 / A walking man does not walk nor does a dancer dance.(short version 2016)

◆to the forest [現代日本の作曲家シリーズ] (2014)
福井とも子作品集
color song III for guitar solo (2013), doublet+1 for cl, vn, vc (2012), Schlaglicht~for vn & pf (2002), to the forest I & II for mixed chorus and Trio Accanto (2011), doublet for vn & vc (2011), Golden drop~for 9 players (2005)

 

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