小菅優ピアノ・リサイタル|藤原聡
小菅優ピアノ・リサイタル(べートーヴェン「ピアノ・ソナタ全集」完結記念)
2016年10月14日 紀尾井ホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)
<曲目>
ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調 op.2-1
ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調 op.78『テレーゼ』
ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 op.31-2『テンペスト』
ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調 op.53『ワルトシュタイン』
ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 op.111
(以上、ベートーヴェン)
周知の通り、小菅優は2011年よりソニー・クラシカルにベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の録音を開始した。1年に1作のペースで録音は進められ、大阪のいずみホールと東京の紀尾井ホールでリサイタルを行い、理想のアコースティックを得るためであろう、録音は全く違う水戸芸術館でわざわざセッションを組んで行なうという周到さ。その録音が昨年2015年をもって終了し、この録音が先日リリースとなったことでわれわれファンは『小菅優のベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集』をようやく聴くことが可能となった。当夜のリサイタルはこの全集完結を記念してのものであり、13日には名古屋でも同一プログラムで行なわれた。
最初の『第1番』は極めて雄渾な表現で、明確な拍節感とどっしりとしたバスを背景に、聴き手が『第1番』のイメージから想像するよりははるかにスケールの雄大な音楽として構築されていた。タッチの強靭さ及びピアニッシモの芯のある美音も印象に残る。この1曲を聴けば、小菅が全く独自の楽曲イメージを持っており、それを確実に音化できるピアニストだと即座に理解できるだろう。
ここで『第1番』から作曲年は一気に14年飛び、1809年作品の『テレーゼ』。もう序奏から絶品の表現力という他ない。繊細に階層化された多彩なディナーミクと心情のこもった歌い回し。対して主部では意外にも心持ち速めのテンポを採用し、フレーズの抑揚を十二分に生かすために単に抒情的な雰囲気のみならず表現にメリハリが生まれる。こういう対照的な要素を見事に共存させた『テレーゼ』はなかなか聴けるものではないと思う。抒情的とは言え「ベートーヴェン」なのだ。
前半で既に唸りっ放しであったがさらに怒涛の後半へ。
まずは『テンペスト』だが、これも本当に独特の強度のある表現なのだった。当夜のプログラム・ノートにて、小菅は第1楽章について「このレチタティーヴォ(叙唱)も、嵐の前の静けさ、でしょうね(後略)」と述べているが、実際の演奏は全曲通じてその休符の間合いが独特で、まるで次に来る爆発へ向けて力を蓄えている、とでも言いたげな風情である。
次の『ワルトシュタイン』でも、ハ長調のまっすぐな明朗さを感じさせる演奏が多いこの曲が、まるで何かが蠢くかのような音響とともに開始される。第2主題への移行部も全くテンポを落さずに繋げ、終始緊張感の漲った演奏である。終楽章のロンドでも通常ピアノで弾かれるような箇所を敢えてほとんど音量を落さずに通過したり、ロンドの合間に挟まれる短調の経過部分を誇張気味にダイナミックに処理したりと(しかしその音響はあくまで透明である)、ここでもその読みが個性的。コーダでの有名なオクターブ・グリッサンドの鮮やかさと来たら!
そして遂に『第32番』。第1楽章の、まるで明日はないと言わんばかりの没入ぶりには圧倒されない方がおかしい。対する第2楽章においてはやはり相当に意思的な表現が随所に聴かれる。枯淡であるとか作曲者の「晩年様式」であるとか、われわれがこの楽章にイメージしがちな演奏とはかなり趣が違う。ジャズを先取りしているとも評される第3変奏の荒々しいまでの高揚。頻出する実に強靭なトリラー。終結部においても虚空に溶解していくような情感ではなく、もっと力強いものを感じさせる。
以上、小菅優の演奏には言葉の悪い意味での「優等生的な表現」が全くなく、どこを取っても独自の捉え方によるユニークな演奏解釈が存在している。と言っても勝手にやっている訳ではなく、あくまで曲の構造に基づいた上で違った見方をしている、という事と思う。それは確かに人によっては受け入れ難いと感じられるかも知れないが、少なくとも平凡さの欠片もない瞬間の連続である。容易に看過できるベートーヴェン演奏では、絶対にない。既成概念や出来合いの感性からはみ出るような音楽を聴きたい方は、小菅のリサイタルを聴き逃さぬよう。ベートーヴェンに限らず。