Back Stage|音楽祭の事務机~武生国際音楽祭の歴史とこれから~|林良彦
音楽祭の事務机
~武生国際音楽祭の歴史とこれから~
Text by 林良彦(Yoshihiko Hayashi): Guest
福井県越前市で毎年初秋に開催されている、武生(たけふ)国際音楽祭。Mercure des Artsの読者には、本誌執筆者の柿木伸之氏のレビューによってこの音楽祭のことをご存じの方もおられることだろう。武生国際音楽祭について語る柿木氏の文章は、音楽を豊かな言葉で表現しつつ、客観的に論じている点が特徴だ。その好例が、武生国際音楽祭2019に関する特別寄稿の中で記された「たしかにこの音楽祭も、運営上のさまざまな問題に直面している」という一文である*。
とはいえ、その「さまざまな問題」が具体的に何なのかまでは、さすがに柿木氏も述べてはいない。そこで本稿では、音楽祭の事務局員の立場から、武生国際音楽祭の歴史や内容を紹介しつつ、私たちが抱える問題についても率直に語ってゆきたい。
武生国際音楽祭の沿革
まずは武生国際音楽祭の歴史から。武生国際音楽祭は、今から36年前の1990年に開催された「フィンランド音楽祭’90武生」を母体としている。このフィンランド音楽祭は、大規模な文化行事によって地域の活性化を図ろうとする市民の願いと、前年のフィンランド音楽祭をさらに発展させたいピアニストの舘野泉氏の思いが一致し、そこに行政も積極的に関与することで成立した。音楽祭を通じた地域振興という当初の目的は、「ひとづくり」「まちづくり」「みらいづくり」という3つのコンセプトとして、現在の武生国際音楽祭にも脈々と受け継がれている。
武生でのフィンランド音楽祭は、続く1991年にも実施された。さらにこの実行委員会に参加していた市内のクラシック音楽愛好家を中心とする有志たちは、音楽祭の継続的な開催を目指してボランティア団体「武生国際音楽祭推進会議」を結成する。この推進会議が音楽祭運営の中核となり、それを文化事業全般に関する知識を持った専門組織(現在は公益財団法人越前市文化振興・施設管理事業団)が共同主催者としてサポートするという形態も、現在まで続いている。
成立時期だけを見れば、武生国際音楽祭は日本全国各地で同時期に誕生した無数の音楽祭やフェスティバルのひとつに過ぎない。だが、「文化・芸術によるまちづくり」や「ボランティア活動」など、1990~2000年代の日本における社会と文化を語るうえで鍵となる要素が、武生国際音楽祭では半ば時代に先駆けるかたちで草創期から強く意識されてきた。このことは、バブル崩壊やコロナ禍などによる紆余曲折を経ながらも、この音楽祭が30年以上にわたって続いてきた最大の理由なのではないだろうか。
「世界から武生へ 武生から世界へ」
もちろん、音楽祭の芸術面を優れたアーティストの方々に一貫してお任せしてこられたことも、ボランティアが運営する音楽祭を継続するうえでは不可欠であった。舘野泉氏、高橋アキ氏、小松長生氏、そして現在の音楽監督である細川俊夫氏といった錚々たる顔ぶれを、歴代のコンサートプログラムの監修者として迎えることができたのは、ほとんど奇跡に近い出来事だ。
特に細川氏と武生国際音楽祭との繋がりは、細川氏が招待作曲家として参加した1994年から既に30年に及ぶ。2000年に武生国際作曲ワークショップの監督に、2001年には武生国際音楽祭全体の音楽監督になった細川氏によって、武生国際音楽祭は「世界から武生へ 武生から世界へ」というスローガンに恥じない国際性を持ったイベントへと発展してきた。
武生国際音楽祭が抱える課題
その一方で、武生国際音楽祭が現在の形態であるがゆえの課題も、近年は徐々に重いものになってきている。
まず指摘されるのが、「現代音楽に特化した武生国際音楽祭のような企画を地方都市でやるのは難しいのではないか?」というものだ。ただしこの懸念は、部分的にしか当てはまらない。というのも、いまの武生国際音楽祭はピアニストの伊藤恵氏をコンサートプロデューサーに迎えており、18~19世紀の作品も多数上演しているからだ。現に、細川氏は「武生はクラシックの音楽祭であって、現代の音楽に特化したフェスティバルではない」と語っている。
一方の主催者としては、クラシックと現代を両輪にしていることこそ、武生の特長だと考えている。そもそも、第1回のフィンランド音楽祭の頃から、ウィーン古典派やシベリウスと並んで、ラウタヴァーラ、メリライネン、ペルトら北欧の現代作品を多数取り上げているのが武生だ。ただしこのスタイルを貫くことで、クラシック音楽のみに関心がある方からは「古典的名曲のみの演奏会にしてほしい」と要求される反面、コアな現代音楽ファンからは「1週間を通じて現代曲だけを聴きたい」と熱望される……という、アンビバレントな状況にもなっている。今後はこうしたそれぞれの聴衆層を意識しながら、古典曲と現代曲を同時に上演する意義や面白さを、分かりやすく伝えていく必要があるだろう。
武生国際音楽祭のより深刻な課題は、武生国際音楽祭推進会議のメンバーの高齢化だ。まちづくりへの熱い想いを持ち、チケット販売や広告協賛金集めにも長年携わってきたボランティアの方々の活動力が落ちることで、単純に運営面でのマンパワーが不足するだけでなく、集客や財政にも悪影響を及ぼしている。
もちろんこれは、推進会議のメンバーを責めているのではない。私個人の体験からいっても、あるひとつのボランティア活動を10年以上続けていくことは、生活環境や趣味の変化などを考えると非常に難しいのが現実だ。このことを考えれば、数十年に渡り音楽祭を支え続けている推進会議メンバーには敬服以外の言葉が見つからない。
音楽祭の長期的な継続のために──二つの取り組み
とはいえ、この音楽祭をあと10年、20年続けていくためには、運営の細部を見直していく必要があるだろう。私個人としては、次の2点を特に大事にしていきたい。
1点目は、武生国際音楽祭の知名度の向上だ。以前、ある東京の音楽関係者の方は「武生国際音楽祭はブラックホールのような(名前は聞くがそこで何が行われているか分からない)イベントだ」と評した。東京に限らず、福井県や越前市に在住していても、この音楽祭のことを知らない方は多い。武生国際音楽祭2024のアンケートによれば、音楽祭の公演情報の入手元は「家族・知人」という回答が全体の約半分を占めていた。これだけ国際的なイベントであるにもかかわらず、内輪でやっている感が非常に強いこのような状況は、何とかして変えていくことで、認知度の向上だけでなく集客の増加にも繋げていきたい。
2点目として、プログラム冊子に協賛を頂いている企業との繋がりも大事にしていきたい。武生国際音楽祭の主な収入源は、恐らく他の音楽祭と同様だろうが、入場料、補助金・助成金、企業協賛の3本柱だ。このうち、企業協賛については、地元企業を中心に約100社からご支援を受けている。これほど多くの企業が今でも「武生国際音楽祭の支援は地域の活性化に繋がる」と考えてくださっていることは、この音楽祭ならではの特徴であり、運営を行っていくうえで大きな心の支えとなっている。これらの企業とより深く繋がることで、企業の先にある社会とも新たな関係が構築できるのではないかと考えている。
繰り返しになるが、以上2点はあくまで私個人の考えだ。しかし、こうした意見を公の場で語ることで、運営の透明性にとってプラスになるし、音楽祭への協力者が増え推進会議の強化にもなってくれることを願いたい。
武生国際音楽祭2025の特徴
以下では、第36回目となる今年の武生国際音楽祭についてより詳しく紹介していくとともに、音楽祭に密に関わってきた事務局員ならではの様々な思い出についても語っていこう。
武生国際音楽祭2025は、2025年8月31日から9月7日の期間に開催する。テーマは「新旧ウィーン楽派の室内楽」。弦楽四重奏をテーマにしてきた2022年~2024年の流れを継承しつつ、新たな室内楽作品も取り上げることを主眼としている。
音楽祭の開幕を告げるオープニングコンサート(8月31日)は、クラシックと現代の双方を重視する武生国際音楽祭のスタイルを体現する公演だ。このコンサートは、今年の出演者の大半が次々と小品を演奏していく顔見世的な意味合いも持っている。
その後に続く火曜日から土曜日までの各公演は、それぞれ異なるテーマ性を持っている。例えば、伊藤さんプロデュースの「ピアノと弦楽の調べ」(9月3日)と「室内楽の競演」(9月6日)の両コンサートはクラシック音楽ファンにお薦めだ。また、「ウィーンに響く『うた』の伝統」(9月4日)や「ベリオ&ブーレーズ生誕百周年記念コンサート」(9月5日)は、オープニングコンサートと同様に古典と現代がミックスされている。シェーンベルク「月に憑かれたピエロ」とモーツァルトやシューベルトの歌曲、あるいはベリオの「セクエンツァ」シリーズとブーレーズやドビュッシー作品とが対置されるさまを味わっていただきたい。
そして音楽祭の後半になると武生国際音楽祭は現代音楽のフェスティバルとしての顔をみせだす。それが、細川さん監修による「細川俊夫と仲間たち」(9月5日)と「新しい地平I~III」(9月5日~6日)だ。「音楽とは、そして楽器が奏でる音とはこうあるべき」という固定観念が完全に破壊され、コンサートの後には日常の様々な音が新鮮な響きとして感じられる。私自身が毎年体験しているこうした感動をより多くの人に体験してほしいし、クラシックと現代の橋渡しをすることも、主催者としての役目だと思っている。
音楽祭の最終日9月7日には午前に「珠玉のピアノ名曲集」、午後に「ファイナルコンサート」が開催される。特にファイナルコンサートは、武生国際音楽祭の出演者による特別アンサンブルと地元の合唱愛好家が共演し、音楽祭の締めに相応しい盛り上がりとなる。今年のバッハやモーツァルトの合唱曲も、必ずや熱演になることだろう。
越前市文化センターで開催される以上のメインコンサートに加えて、武生国際音楽祭2025では、越前市内外の公共施設、寺社、企業などでのまちなかコンサートも多数開催する。日程や内容については、5月~7月にかけて決まっていく予定なので、公式HPなどでのアナウンスに注目してほしい。
事務局員でしか経験できない、音楽家との交流
超一流の音楽家と深く関わることができるのも、武生国際音楽祭の裏方スタッフならではの醍醐味だ。公演そのものに関することから、会場・ホテル間の送迎、追加リハーサルのための練習室の確保、果ては観光にいたる音楽家からの要望に対し、ボランティアが中心となって丁寧に応えていくことで、主催者と出演者との距離が非常に近い、武生国際音楽祭ならではの雰囲気が生まれている。こうした雰囲気があるからこそ、多くの出演者が「東京よりも武生での方がのびのびと演奏している」と評されているのだろう。これから武生国際音楽祭に訪れる来場者の方にも、ぜひこの雰囲気を味わってほしい。
私自身、武生国際音楽祭の期間を通じて素晴らしい音楽家たちの様々な顔を見られることを毎年楽しみにしているし、出演者が最高のコンディションでステージに立てることを目指しつつ、次回の参加時には「武生に帰ってきた」という気分になってもらいたいと考えながら、日々の事務活動を行っている。
そうした思いは、武生国際音楽祭の出演者だけでなく、音楽祭と平行して開催している武生国際作曲ワークショップや武生国際夏季アカデミーの受講生に対しても同じだ。これらのセミナーを受けることが、音楽家として成長する上での重要なステップになってほしい(経歴に「武生国際音楽祭に参加した」と書いてくれるとなお嬉しい)し、武生での滞在そのものが充実したものであってほしいと願っている。
音楽家との個人的な思い出の中では、航空チケットの手配から音楽祭期間中の通訳までを担当することになる、海外からの招待音楽家にまつわるものが印象に残っている。
例えば、スロヴェニアから来た木管五重奏団スローウィンドと一緒に越前海岸を旅し、北前船主の館「右近家」の内部を案内した。また、同じくスロヴェニア出身の作曲家のイヴァン・ブッファ氏も越前海岸を案内したのだが、急に泳ぎたいと言い出した彼に付き合って、海水浴シーズン終了間際のいささか冷たい日本海に一緒に入ったりもした。
フルーティストのマリオ・カーロリ氏とも、10年以上の付き合いになる。就労ビザ延長のためにはるばる札幌の入国管理局まで行くことになったり、台風が東進してくる中を関西国際空港からの帰国便の出発に間に合うように送り届けたりと、想定外の様々な「冒険」をすることになった。その一方で、彼が講師を務めるマスタークラスの通訳を担当する中で、技術だけでなく、作品に向き合う時の心構えや、ヨーロッパのコンクール事情などを丁寧に伝え、様々な角度から受講生を1人の演奏者として育てようとする姿に大きな感銘を受けた。また、サーリアホ没後の武生国際音楽祭で追悼の意を込めて演奏した『翼の簡潔さ』の軽やかな響きも、忘れられない。
これらの海外演奏家の在留許可申請や、チラシなどの印刷物の制作、そして5月中ごろを予定しているチケット販売開始など、武生国際音楽祭2025の準備がいよいよ本格化する。本稿を読んで興味を持たれた方は、ぜひ来場していただきたい。
*柿木伸之「特別寄稿|30回目の武生国際音楽祭に参加して」(2019年10月15日)
Text:林良彦(Yoshihiko Hayashi)/武生国際音楽祭推進会議事務局
(2025/3/15)
