小人閑居為不善日記|帰れない三人──《名もなき者》、《ブルータリスト》、《リアル・ペイン》|noirse
帰れない三人──《名もなき者》、《ブルータリスト》、《リアル・ペイン》
” A Complete Unknown “, ” The Brutalist “ and ”Real Pain“
Text by noirse : Guest
※《名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN》、《ブルータリスト》、
《リアル・ペイン〜心の旅〜》の内容について触れています
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今年のアカデミー賞は、ストリッパーと富豪のドラ息子の恋の顛末を追った《ANORA アノーラ》(2024)が4部門受賞を果たしたが、今回はそれ以外の、いくつかのノミネート作品を取り上げていきたい。これらの作品は、とあるテーマを共有している。
まずは《名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN》(2024)。ボブ・ディランの伝記映画で、1960年代半ばのある事件をクライマックスに据えている。ミネソタ州の小さな街で育ったディランは、ギターひとつ抱えてニューヨークへ辿り着く。稀代のフォークシンガー、あこがれのウディ・ガスリーが入院している病院へ見舞いにいくためだが、もちろん成功をつかむためでもあった。ディランはその才能からたちまち時の人となり、フォーク界のプリンスの座に着くが、海の向こうではビートルズが登場し、ロックの新しい波が押し寄せようとしていた。ディランもまたロックへの移行をたくらみ、アコギからエレキに持ち替えるが、フォークの祭典ニューポート・フォーク・フェスティバルでバンド演奏を披露したところ、ブーイングの嵐に直面する。ディランはそれへの返答のように〈Like a Rolling Stone〉を歌い放ち、映画は終わる。
どんな気分だい
ひとりっきりってことは
帰る家もなくて
だれもきみを知らない
転がる石のように
なぜフォークからロックへと音楽性を変えただけで「事件」となるのか、いまではピンとこないだろう。これは音楽の問題と言うよりも多分に政治的な事情なのだが、理解するには少々経緯を説明しなくてはならない。
フォークというと〈なごり雪〉とか〈神田川〉を想起する人もいるかもしれないが、もともとは民謡のことだ。アメリカで民謡というと、通常はネイティブアメリカンのそれではなく、白人が代々歌い継いできた歌を指す。そのルーツはかれらの先祖の祖国に辿り着く。
アイルランドやスコットランドの移民がアメリカの地を踏んだときには、東部の主だった土地はほとんどだれかの所有物となっていた。西部なら自分の土地を手に入れることができるが、そこに向かうにはアパラチア山 脈を越えなくてはならない。ひとり身や夫婦ならともかく、小さい子供や年老いた父母を連れて行くには無理な相談だ。こうしてどこに行くこともままならなくなった移民は、そのままアパラチア山脈付近に住むようになる。けれどもそこは、農業には向かない土地だった。
こうしてかれらは ふたたび苦労を背負いこむことになり、やがてヒルビリーとかレッドネックなどと呼ばれるようになる。そんなきびしい毎日のあいまに、いっときでも現実を忘れるため、なつかしい祖国の歌を口ずさんできた。それを音楽研究者が採録したものが1960年代に注目され、利益を追求するレコード会社主導の音楽とは異なる、民衆の歌を歌い継ぐフォークリバイバル運動が巻き起こる。いっぽうで放浪のシンガー、ウディ・ガスリーが社会的なメッセージを歌に乗せてアメリカ中をまわったこともあり、フォークは政治運動と融合していく。
いっぽう、1950年代なかばにはロックンロールが登場する。エルヴィスの腰振りダンスに少女たちは熱狂し、コンサート会場では失神者さえ出た。それまでの常識では考えられないティーンエイジャーのムーブメントに戸惑った大人は、商業主義に毒された一過性の軽薄な音楽と決めつけた。実際に数年後、ロックンロールはチャートから後退していき、代わりにフォークリバイバルが台頭する。そこに現れたのがディランだった。
ディランがフォークを選んだのは、もちろんフォークに取り憑かれていたのもあるが、時代がそれを求めていたからだ。しかしもともとディランは、とりたてて政治に関心をもってはいなかった。政治について歌っていたのはそれが流行していたからで──当時の恋人で、積極的に政治運動に参加していたスージー・ロトロの影響と言われている──ミュージシャンとしてその地位を確立し、ロック再流行の機運が高まれば、そちらに移行していくのは自然な流れだった。ディランは少年時代、ロックンロールのヘヴィリスナーだったのだ。
けれどもそれは、フォークの聴衆にとっては裏切り行為と映った。フォーク自体は民衆の歌だが、当時それを熱心に聞いていたのは政治に関心をもつ中流以上の白人が中心で、ブルーカラーや黒人には届いていなかった。《名もなき者》のフォーク・フェスティバルの光景を見ても、観客がほぼ白人であることに気付くはずだ。かれらはフォークを政治的理念と結びつけて評価していたし、ロックンロールはくだらない流行に過ぎないと見做していた。
だがそれはフォークの聴衆が、フォークに一方的に政治的なレッテルを貼ったことに起因する。フォークが大衆の歌だったとすれば、同じようにロックンロールも当時の大衆が求めたものだ。ディランは、フォークの聴衆が簒奪した大衆の歌を、大衆の手へ返しただけだ。
《名もなき者》は、このように豊かなインテリ白人層から「歌」を取り戻すという意味を含んでいる。それを現代に置き換えてみれば、裕福なリベラルから「民意」を取り戻すということだろう。これはいままさに、トランプやヴァンスがアメリカで行っていることだ。ヴァンスが育ったオハイオ州ミドルタウンはアパラチア山脈の付近に位置する街で、先祖はスコットランド系アイルランド人の移民だ。60年代のフォークシーンという、音楽マニア以外には関心がなかっただろう狭い界隈の事件をなぜいま映画化するのか、それはこういった点にある。
けれども《名もなき者》がこのような批判構造を備えていることはあまり意識されていないようだ。ディランは言うまでもなくアメリカ最大の音楽家のひとりで、音楽分野でノーベル賞を受賞した唯一の詩人だ。けれどもディランももう83歳で、最新チャートに興味があるような若い世代が聞くものではない。いまディランを好んで聞くような人は、音楽にある程度の時間とお金を投資できる環境にある、音楽的スノッブと言えるだろう。それは《名もなき者》でエレキを手にしたディランにモノを投げつけた裕福な白人の聴衆と、そう変わらない。もしディランのコンサートを聞きに行って、EDMやトラップを演奏しはじめたら、わたしもブーイングのひとつくらい浴びせるかもしれない。《名もなき者》はこのような映画を見に行くような観客に対して、あらためて自分自身を見つめ直すことを問う作品なのだ。
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さて、本題はここからだ。次はおなじくアカデミー賞にノミネートされ、主演男優賞など三冠獲得を果たした《 ブルータリスト》(2024)を紹介したい。主人公はユダヤ系ハンガリー人の建築家ラースロー。バウハウスで学び、優れた才能をもつが、ホロコーストから生き延びるため、アメリカへ渡る。けれども移住先のフィラデルフィアでも資本主義の食い物にされ、最終的にイスラエルに落ち着き、やっと適正な評価を受ける。途中までは祖国を追われた移民の苦しみを描いた作品と思って見ていたが、迫害されたユダヤの天才を救ったのは約束の地だったというラストに、これはシオニズムなのではないかという疑問を抱いて席を立つことになった。それもガザで問題が起きている時期の公開ということもあり、欧米からは批判の声も聞こえてくる。
しかし監督のブラディ・コーベットは、ユダヤの血が混じってはいるが遠縁という程度。また親パレスチナのドキュメンタリー映画《ノー・アザー・ランド 故郷は他にない》(2024)が、アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされたにもかかわらず──その後、無事受賞を果たした──配給会社が見つからない状況にあるのに対し上映を呼びかけてもいて、単純なシオニストでもなさそうだ。ラースローはユダヤの礼拝には顔を出すが、形式的にそうしている程度で、信仰心は感じられない。だが祖国ハンガリーでもアメリカでも手ひどく痛めつけられシオニストにならざるをえなかった、そのような負のスパイラルが、作品に忍び込ませてあるようにも受け取れる。
《ブルータリスト》はアイン・ランドからの影響を指摘されている。イーロン・マスクやピーター・ディールも愛読していたというリバタリアンのカリスマで、ランドの小説《水源》の映画化作品《摩天楼》(1949)は、世間に糾弾される天才建築家を描いており、《ブルータリスト》はあきらかにその現代版と言える。
《名もなき者》や《ブルータリスト》は、一種の天才信仰に支えられている。たいていはみんな天才が好きだ。悲劇の天才となればなおさらだろう。観客はディランやラースローの孤独に寄り添い共感するが、実際は天才を理解することなどできないし、そのつもりもないはずだ。天才とは常人には理解できないもので、彼らが不可解な言動をとったとき、凡人であるわたしたちはこぞって石を投げつけるだろう。
ラースローと同じように、ディランもシオニストではないかと一部で囁かれている。ディランはユダヤ系ロシア人の移民三世で、幼少期はユダヤの教育を受けていた。《名もなき者》で描かれた事件のあとユダヤ人女性と結婚し、ユダヤ系コミュニティに出入りして、ユダヤ教への理解を深めていったと言われている。その後何度もイスラエルを訪れ、ユダヤ教のイベントに顔を出し、演奏も披露。1983年には〈Neighborhood Bully〉という反パレスチナの楽曲を発表していて、強く批難されたが、ディランはこの曲を撤回しなかったし、いまだにイスラエルでは強い人気を誇っている。このようなディランの宗教への傾倒は多くのファンの失望を買ったし、ジョン・レノンも批判した。
《名もなき者》監督のジェームズ・マンゴールドは両親ともに美術家で、父親は日本でも知られるミニマリズムの大家ロバート・マンゴールド、母親はトロンプルイユ風の仕掛けを施した風景画を描くシルヴィア・プリマック・マンゴールドで、彼女はユダヤ人だ。そしてディランを演じたティモシー・シャラメも、母親がロシア系ユダヤ人である。シャラメの出世作《君の名前で僕を呼んで》(2017)の原作者もユダヤ人で、作品もユダヤ教が重要なモチーフとなっている。またシャラメは2年前に人気テレビ番組〈サタデー・ナイト・ライブ〉でパレスチナを揶揄するコントに出演、轟々たる批難を浴びた。マンゴールドの思惑は分からないが、シャラメはディランが親イスラエルであることを理解したうえで演じていると考えていいだろう。世間に理解されない孤独なユダヤの天才が最終的にイスラエルに辿り着くという点で、ディランとラースローはよく似ている。
しかしこのようなディランのユダヤ教への帰依が、むしろその音楽の形成に強く関わっているのではないかとする分析もある。ディランはフォーク、ブルース、カントリー、ジャズ、ゴスペルといったアメリカ大衆音楽を愛してやまないが、これらはどれも黒人か白人の音楽だ。ユダヤにもクレツマーという大衆音楽があるが、一般的にはほとんど──有名な〈ドナドナ〉はクレツマーの曲だが、それを知る人は少ないだろう──聞かれていない。つまりディランは、アメリカ音楽史の頂点に立ちながら、ユダヤ人であるために、アメリカ音楽から疎外されていたとも言えるのである。
ディランは90年代からネバーエンディングツアーと呼ばれる、終わりのないツアーを30年間続けている。ライブのあとも打ち上げなどには一切顔を出さず、すぐにツアーバスに乗り込み、次の会場へ移動してしまう。離婚を繰り返しているので子供はたくさんいるし、本宅はマリブにあるが、ツアーのあいまにはニューヨークのホテルにこもっているという、孤独な男だ。歌うのは基本的に自作曲だが、どの曲もフォークやブルースの伝統に則っていて、ディランは自分の曲にオリジナル曲はひとつもないとも発言している。まさに放浪の詩人で、若きディランが尊敬してやまなかった、ウディ・ガスリーの放浪の人生をなぞるかのようだ。
だがそれは、帰るべき場所がないことの裏返しではないだろうか。ディランがフォークにのめりこんだのは、ユダヤ人である自身をアメリカ音楽の伝統の中に位置付けたいという気持ちなのかもしれない。けれどもいっぽうでロックやカントリー、ゴスペルと、さまざまにスタイルを変えてきたのは、どこにいても居心地悪さを感じるということでもあるだろう。どのコミュニティに入り込もうとしても落ち着くことができない、そうしたユダヤ的な苦悩が、ディランの音楽の本質なのではないだろうか。
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いまさらだが、冒頭に述べた今回のアカデミー賞ノミネート作品の共通点とは、もちろんユダヤ性のことだ。上記の2 作品に加え、脚本賞にノミネートされた《セプテンバー5》(2024)は、ミュンヘンオリンピックの「黒い九月事件」を取り上げている。この作品は未見だが、親イスラエルという批判も出ていて、この時期にユダヤ関連の作品を複数入れ込んでくるアカデミーには、なんらかの意図を感じざるを得ない。しかしだからといって、ユダヤをテーマとした作品が、単純に親イスラエルとなるわけでもない。
最後に取り上げたいのは、キーラン・カルキンにアカデミー助演男優賞を与えた《リアル・ペイン〜心の旅〜》(2024)だ。ニューヨークに住むデヴィッドはユダヤ人で、祖母の死をきっかけに、しばらく疎遠にしていた従兄弟のベンジーと祖母の母国ポーランドを訪れる旅に出る。祖母は迫害を逃れてアメリカに渡ってきた移民で、ベンジーは彼女に懐いていた。かつてのデヴィッドは内向的で神経質な少年で、大人になったいまも強迫性障害の治療薬を必要としているが、妻と小さな子供を持ち、しあわせに暮らしている。いっぽう少年時代にデヴィッドを守っていたベンジーは、ちょっとしたカリスマ性の持ち主で、空気を読むことができないという短所をもつが、人を惹き付ける魅力がある。しかし定職には就かず不安定な生活で、家族もおらず、大麻の常習者でもある。祖母を失ったことで鬱病を患い、自殺未遂を起こしたベンジーが心配になり、デヴィッドは彼を旅に誘うことにした。
ふたりはポーランドに渡り、ホロコーストのツアーに参加して、マイダネク収容所を訪れ、その翌日にはかつて祖母が住んでいた家へと向かう。祖母の家に着いたふたりは、慰霊のため玄関先に小石を置こうとするが、住人の迷惑になるのでそのまま持ち帰ることにして、アメリカへ帰国する。デヴィッドはベンジーを家に招くが彼は断り、飛行場で別れる。デヴィッドは帰宅し、玄関先に石を置いて、家族の元へ戻る。ベンジーが空港のベンチに座り、旅行者たちをじっと見つめるシーンで、映画は終わる。
監督と脚本は俳優ジェシー・アイゼンバーグによるもので、本作で彼はデヴィッドを演じている。アイゼンバーグ自身も少年時代に不安障害に悩まされていて、祖母はユダヤ系ポーランド人の移民だった。祖母と親しかったアイゼンバーグは彼女の母国に興味を持ち、何度も訪れるうちに重要な場所となり、ポーランド国籍を申請して、ついに先日取得を果たした。
「リアル・ペイン」が具体的になんの痛みなのか劇中では説明されないが、デヴィッドの不安障害やベンジーの鬱病の根底に、ホロコーストという民族的な悲劇の記憶を置いているのだろう。ベンジーは感受性が鋭く、マイダネクのガス室を目の当たりにして打ちのめされ、言葉をなくす。デヴィッドはベンジーを心配して気遣うが、裏を返せば彼ほどショックを受けなかったということでもある。デヴィッドの切り換えの早さは、けれども人間としては必要な機能でもある。ベンジーのように痛みに敏感な人間は、現実を生きるには繊細すぎるからだ。デヴィッドはベンジーの一挙手一投足に傷つくが、ホロコーストの記憶には耐えることができる。ベンジーは自分の言動が周囲の人間を傷つけることに対しては鈍感だが、歴史の奥底にしまいこまれつつある悲劇に関しては、ひと一倍敏感だ。
デヴィッドが玄関先に石を置いたのは、「死」を家の中に持ち込まないということでもある。デヴィッドも不安を抱えているが、家族がいれば乗り越えられる。けれどもベンジーには、彼を待つ家族はいない。デヴィッドとの別れ際、飛行場にいる人を観察するのが好きだと言いつくろってそこに留まるが、それはベンジーに帰るべき「家」がないことを意味する。デヴィッドが玄関先に置いた石を、ベンジーはポケットにでも入れたままなのだろう。飛行場にたたずんだまま「死」を懐に入れたベンジーは、帰る国をもたない、かつてのユダヤ人のようだ。
家族もおらず、定職もなく、唯一の味方だった祖母を失ったベンジーに、このさき明るい未来が待っているようには思えない。支えることができるのはもうデヴィッドしかいないはずだが、家族を置いてまでベンジーを救おうとするほど、献身的にはなれないだろう。またベンジーが鬱に呑み込まれ、自殺を図ろうとしても、デヴィッドは彼を救えまい。
けれども、デヴィッドを責めることはできない。いまのデヴィッドには家族がなによりも大切で、それを犠牲にしてまで、破滅に惹かれる男を助けにいくことはできない。たいていの人間は自分の安定した生活が最重要で、遠くの他人の死に痛みを感じることはあっても、身をなげうって救 いに行くことはない。アイゼンバーグは、脚本構想中にパソコンでランチ付きのホロコーストツアーのポップアップが表示されたのを見て本作の着想を得たと話しているが、普通の人にとっては人類史的な規模の痛みも、ランチのあいまにつまむ程度のものなのだ。
《名もなき者》、《ブルータリスト》、《リアル・ペイン》の3本は、そのような「家」にとどまる者と、「家」を持たず、苦しみながらさまよう者について語りかけてくる。そしてこれらの映画を見て、満足して帰途に着き、ディランやラースローやベンジーの気持ちを理解したつもりになった、わたしのような観客に向けて、ディランならこう歌いかけるのではないだろうか。誰にも知られず、帰る家を持たない、転がる石のような人間の気持ちが、おまえにわかるのか、わかってたまるかと。
(2025/3/15)
noirse
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