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日本フィルハーモニー交響楽団 第767回 東京定期演奏会​|藤原聡

​​日本フィルハーモニー交響楽団 第767回 東京定期演奏会​
JAPAN PHILHARMONIC ORCHESTRA 767th SUBSCRIPTION CONCERT

​​2025年1月18日 サントリーホール​
2025/1/18 Suntory Hall
​​Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
​Photos by 山口敦/写真提供:日本フィルハーモニー交響楽団

​​〈プログラム〉        →Foreign Languages
​​エルガー:行進曲『威風堂々』第1番 ニ長調 op.39-1​
​​ヴォーン=ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス『揚げひばり』​
​​※ソリストアンコール​
​​パガニーニ:『God Save The King』の主題による変奏曲 op.9​
​​エルガー:交響曲第2番 変ホ長調 op.63​

​​〈演奏〉
​​日本フィルハーモニー交響楽団​
​​指揮:山田和樹​
​​ヴァイオリン:周防亮介​
​​コンサートマスター:扇谷泰朋​
​​ソロ・チェロ:門脇大樹​

 

​​バーミンガム市交響楽団の音楽監督に就任したから、ということも関係があるのかないのか、このたびの山田和樹&日本フィルの定期はオール英国プログラムである。中では今回が初指揮だという難曲、エルガーの交響曲第2番を山田がどう振るかが最大の注目点であろう。​

​​まず1曲目は誰もが知るエルガーの『威風堂々』第1番、しかしわれらが「ヤマカズ21」(自身でそう名乗る。以下21は略)が指揮すると一味違う。序奏から主部に至る箇所でのリズムの溜め/踏ん張り、トリオにおけるゆったりとしたテンポによる流れるような表現。コーダではタクトに代わって指揮台の横に隠し置いてあったスレイベル(ジングルベル)を両手に持ち客席にも向きながらリズムを取る。ラストはかなり急激なアッチェレランド。プロムスのような客席の盛り上がりはなかったがーヤマカズがそれほど煽っていなかったし、日本人の国民性や定期演奏会という性質ゆえであろうー、全体として非常にブリリアントな演奏、聴き慣れた作品の少し「聴き慣れない」演奏というヤマカズの方程式。​

​​続いては周防亮介がソロに登場してのヴォーン=ウィリアムズ『揚げひばり』。周防の音色は作品の性格と合致した澄んで透明なもの。繊細極まりない弱音(しかし音色は痩せずあくまで芯がある)がすばらしかったが、ヴィブラートの揺れは少し気になる。ここではむしろヤマカズ指揮するオケのサポートにより惹きつけられる。特に静寂に満ちた消え入らんばかりのコーダは絶品の一語である。息をするのも憚られるような高貴な瞬間だった。周防はアンコールにパガニーニの『God Save The King』の主題による変奏曲を弾いた。実に気の利いた選曲、重音や左手によるピツィカートが用いられたパガニーニらしいアクロバティックな難曲を周防は何の破綻もなく涼しげに演奏、これは最高だった。​

​​後半はいよいよエルガーの交響曲第2番。開演前のプレトークでヤマカズは興味深い話をしていた(曲のファンには有名な内容だが、未だいささかマニアックなエルガーの第2だけにこのトークの意味は大きかろう)。この曲はベートーヴェンの『英雄』を意識している。第1楽章と第4楽章が変ホ長調、第2楽章がハ短調なのが共通。変ホ長調はベートーヴェンの『皇帝』やそれを範としたと思われるR.シュトラウスの『英雄の生涯』も同じ、ヒロイックな調性。ベートーヴェンの『英雄』の第2楽章は葬送行進曲(ナポレオンへの?)だがエルガーの同楽章もそう(エドワード7世)など。​

​​その演奏だが、全体の印象は初指揮とはとても思えない誠に充実した演奏といえる。プログラムには演奏時間53分とあったが、実際は60分を超えていたように相当遅いテンポにもかかわらずーこれはヤマカズ自身がプレトークで語っていたー、緩急のコントラストが大きく全体的に遅かったわけではないために弛緩の印象は微塵もなく、体感時間は実時間ほど遅くはない。本作の第1楽章は主題や構成が複雑、明快なものではなく複層的に折り重なっているので、第1番のようにすぐさま耳に残る音楽ではない。当然指揮者としてもその複層性を意識して明快に腑分けしないとカオス化しかねない音楽といえるだろうが、先にも記したようにここでのヤマカズの指揮は今回が初とは信じられぬほど手の内に収めた表現で驚いた。特に展開部の静寂から高揚に至る音響構築は堂に入っている。​

​​このヤマカズの演奏で最も特徴的だったのは疑いなく第2楽章だ。相当にゆったりしたテンポと腰の低い響きでオケをじっくりと濃厚に鳴らし切る。否定的に捉えればエルガーらしからぬエスプレッシーヴォとも言えようが、この音楽の本源的な感情と交感しなければかような音楽は出てこない。英国人ではない、ましてや欧州人でもないヤマカズだからこそ逆に成し遂げた演奏であろう。まるでブルックナーのアダージョ楽章を聴いているようだ。繰り返すが、初めてのこの曲の指揮でここまで作り込めるのは個人的な好悪を超えてヤマカズの卓越した能力を感じざるを得ない。​

​​第3楽章も遅めのテンポを採用、軽やかさや諧謔味よりも重厚さが前面に出る。作曲者が「生きながら埋葬される恐怖」と語ったトリオの邪悪で凶暴な高揚は少なくとも筆者が聴いたことのある演奏中でも随一の凄まじさ(タンバリンの狂気じみた強奏!)。​

​​そして終楽章でもヤマカズは丹念に各声部を彫琢していき、複雑なテクスチュアはのっぺりとせずにその独自の動きを聴き手の耳に刻印していく。特に展開部における非常に丹念な音楽作りは特筆すべき見事さだ(ちなみに展開部の練習番号149番に登場するトランペットのハイBのトーンの伸ばし、原譜の1小節ではなく慣例2小節にしていた。この辺りは英国の伝統への敬意か)。エルガー自身が「荘重で光り輝くばかりの静けさ」ーなんという表現だろう、作品の本質が凝縮されているーと語ったコーダ、第1楽章および終楽章のそれぞれ第1主題が回想されるシーンでの襟を正したくなるような壮麗さと儚さが同居した演奏。作品がすばらしいゆえ、どんな演奏でも感銘深い箇所であるが(しかし当然優劣はある)、このヤマカズの演奏は最上位に置かれるような出来栄えと評せるのではなかろうか。音楽が終わった後の長い静寂もまたすばらしいものだった。ヤマカズには今後もさまざまな英国作品を指揮して欲しいものだ(個人的にはまずウォルトンの交響曲第1番)。​

​​(付記)​
​​プレトークでもかなり長い時間を割いてヤマカズが情熱的に話していたのが、日本フィルで35年もの長きに渡って同オケのインスペクターを務めてきたホルン奏者の宇田紀夫氏が本公演を最後に退団、過去どれだけ同氏に世話になったか、ということ。終演後には何回も宇田氏を立たせて感謝を捧げていた。​

​​ (2025/2/15)

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​​〈Program〉
Edward ELGAR:Pomp and Circumstance No.1 in D major,op.39-1
Ralph VAUGHAN WILLIAMS:The Lark Ascending
※Soloist encore
Niccolò PAGANINI:Variations on ‘God Save the King’, Op.9
Edward ELGAR:Symphony No.2 in E-flat major,op.63

​​〈Player〉​
JAPAN PHILHARMONIC ORCHESTRA
Conductor:YAMADA Kazuki
Violin:SUHO Ryosuke
Concertmaster:OGITANI Yasutomo,JPO Solo Concertmaster
Solo Violoncello:KADOWAKI Hiroki,JPO Solo Violoncello