東京交響楽団川崎定期演奏会 第98回|齋藤俊夫
東京交響楽団川崎定期演奏会 第98回
Tokyo Symphony Orchestra Kawasaki Subscription Concert No.98
2024年12月8日 ミューザ川崎シンフォニーホール
2024/12/8 MUZA Kawasaki Symphony Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by ⒸJunichiro Matsuo/写真提供:東京交響楽団
<演奏> →foreign language
東京交響楽団
指揮:ジョナサン・ノット
ヴァイオリン:アヴァ・バハリ(*)
コンサートマスター:小林壱成
<曲目>
シェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲(*)
(ソリスト・アンコール)クライスラー:レチタティーヴォとスケルツォ
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調op.67『運命』
無調音楽とその合理的な組織化の方法たる12音技法に基づく音楽は美しくないと本気で思ってこの日の演奏会に来た人はまずいないだろう。しかしシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲の危険性を自覚して臨んだ人は少なかったのではなかろうか――何を隠そう筆者も自覚していなかったのだが――。ノット、東響、そしてアヴァ・バハリのヴァイオリンによる本作の危険な美しさ、それは性別を超えた絶世の性的魅力、絶世の美男かつ絶世の美女の艶美に喩えられよう。絶世の美男かつ絶世の美女の艶美、とは中性的な性的美を意味しない。男性的なベクトルの美の極みと女性的なベクトルの美の極みを共に兼ね備えた艶美のことである。
例えばバハリのヴァイオリンの第1楽章終盤のカデンツァの凛とした音のかんばせ。あるいは第2楽章後半の水平的にフワッと広がるオーケストラの中からキッとして垂直に天に向かって身体を伸ばす音の姿。第3楽章の常人には耐え難き悲劇の中にあってなおも美しくあろうとしてほとばしるエネルギー。オーケストラもノットの采配も精妙極まりなく、アプローチを変えれば硬直した音楽となることもあり得る12音技法から浪漫的に芳しくこちらを魅惑する音響を我々の耳に届けることしきり。だがその艶美と魅惑はノーマルな、常識、あるいは良識的な意識の範疇からはみ出した所に現れる危険極まりないものだ。これがシェーンベルクか、これが12音技法か、なんと美しく危険なものであることよ、と改めて感じさせられた。
後半のベートーヴェン『運命』の危険さ、いや、『ノットの運命』の危険さも前半のシェーンベルクとベクトルは違うながらも負けじと響いてきた。
「運命はかく扉を叩く」という、全曲冒頭のあの3+1連打がまず危険だ。八分音符三連打が異常に速く、その後のフェルマータによる、通常なら威風堂々と長く延ばされるあの音が全く延ばされない。もしかするとフェルマータ無しより短かったかもしれない。扉を叩く音が鳴り響くと同時に凍りつきかつ燃え上がる会場の空気。いや、殺気と呼べるかもしれない。これが運命!?これがベートーヴェン!?と。今まで聴いたことも考えたこともない運命だ。
そんな始まりの第1楽章は再現部でのオーボエはじっくりと聴かせに来たが、全体、特に終盤は鋼鉄機関車のごとく重く速く突き進む。扉を叩くどころか、扉を叩き壊して我々の腹に重い拳固をドカドカと食らわすように。暴力的?いや、荘厳なのだ。
第1楽章の吶喊を受けての第2楽章は弦は柔らかに、管は輝かしく、ティンパニーは堅固に。トランペットがテーマをフォルテシモで吹く所で音場がぐぐっと広がるが、その後の弦はすぐに小さくまとまっていく。場面ごとの音楽の性格の転換の妙。なによりコーダが可愛らしかった。
第3楽章、全曲を貫く3+1のテーマが堂々と、朗々と奏でられる。そこからチェロとコントラバスの低弦が第1楽章とはまた違った趣だが重く速く突き進む。ポリフォニーを大胆にはっきりと聴かせるのはノットの流儀だろう。豪快にして痛快。
そんな運命の最後を締める第4楽章は最初の和音が来た時からさらに豪快にして痛快。微妙にクレッシェンドとデクレッシェンドを交えてベートーヴェンならではの凱歌をうたい上げる。パッション!頂点までダッシュで駆け上がってギュッと凝縮したような室内楽的アンサンブルに移るのも堂に入っている。パッションダッシュでのティンパニーが貫禄を見せ、それと対照的な室内楽でのピッコロがまた可愛らしい。ラストスパートはとにかく前進、前進あるのみ。駆け抜けた!
第1楽章の危険な冒頭から、第4楽章の感極まるラストスパートまで聴き抜いて、ベートーヴェンの3+1のテーマが頭と胸と腹に固着し、離れなくなる。これが音楽の力か。人間にとってこれ以上の歓喜があるであろうか?
ノット・東響によるシェーンベルクとベートーヴェン、その規格外の力によって常識や良識といったつまらないものに縛られてしまった心を解放してくれる、この上ない音楽であった。
(2025/1/15)
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<Players>
Tokyo Symphony Orchestra
Conductor: Jonathan NOTT
Violin: Ava BAHARI(*)
Concertmaster: KOBAYASHI Issey
<Pieces>
A.SCHOENBERG: Violin Concerto op.36(*)
(soloist encore)F.KREISLER: Recitative and Scherzo(*)
L.v. BEETHOVEN: Symphony No.5 in C minor op.67 “Destiny”