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九州交響楽団第427回定期演奏会|柿木伸之

九州交響楽団第427回定期演奏会
The 427th Subscription Concert of the Kyushu Symphony Orchestra
2024年12月6日(金)19:00開演/アクロス福岡シンフォニーホール
December 6, 2024 / ACROS Fukuoka Symphony Hall
Reviewed by 柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)
写真提供:公益財団法人九州交響楽団

〈演奏〉        →foreign language
指揮:小泉和裕
九州交響楽団
〈曲目〉
アントン・ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調WAB. 105(ノーヴァク版)

 

ブルックナーの生誕200年記念の年に当たる2024年は、各地で彼の作品が取り上げられた。そのようにしてこの作曲家の音楽を回顧する流れを締めくくるものの一つと言える九州交響楽団の定期演奏会において、交響曲第5番変ロ長調が取り上げられるのには、ブルックナーがどのような音楽を志向していたかを確かめる意義がある。この交響曲では、神への讃歌のハーモニーを堅固で壮大な伽藍に響かせようと、建築的な構成が貫かれている。その一方で、神の前で歌う感情の震動も随所で響かせるのが音楽の特徴と言えよう。
こうしたブルックナーの交響曲第5番を貫くのは、第1楽章のアダージョの序奏の冒頭でチェロとコントラバスのピツィカートによって奏でられる歩みである。これが変形され、躍動するようになり、さらには跳躍を示しながら全曲の土台を形成する。小泉和裕が指揮した今回の演奏においてそのような歩みは、大地を一歩一歩踏みしめる力と同時に、着実に前へ進んでいく力を感じさせた。やがてその上に弦楽器のハーモニーが重なった後、天へ突き上げるような全楽器の斉奏が轟いた。それに続くコラールの響きも威容に満ちている。

第1楽章のアレグロの主部の演奏も、全体として力強い流れを重視したものと言える。第1主題の力動性と第2主題の抒情性が対比させられていたが、両者のあいだに大きなテンポの差異は感じられなかった。おおむね中庸のテンポで着実に音楽が運ばれていく印象が強い。もう少し細かいダイナミクスの変化に耳を澄ましたかったが、充実した響きにもとづく旋律の歌わせ方には説得力がある。全楽器による巨大な躍動の一節にホルンと木管楽器の対話が続くまで、提示部はひと息に奏でられたように聴こえた。
アダージョの序奏の一節が回帰した後、そこに示された上昇音型と主部の第1主題が組み合わさる展開部では、それまでとはやや対照的に、どっしりとした運びのなかで堅固な音楽の構築が強調されていた。とりわけその頂点で下降音型が途方もない力となって天空から降り落ちるように響いたのは、序奏の上昇音型の斉奏と好対照をなして音楽の崇高さを示すものと感じられた。テンポをやや速めたコーダでは、響きがひたひたと迫ってくるのが印象的だった。第1楽章の最後の壮大な音響の広がりにも充実感がある。

今回の演奏において最も感銘深かったのは、第2楽章のアダージョである。前楽章の冒頭と呼応するかたちで弦楽器のピツィカートによって奏でられる動機には、深沈とした味わいがあったし、その上で連ねられる木管楽器の主題の広がりも美しい。弦楽器による第2主題の響きの充実も特筆されるべきだろう。二分の二拍子から四拍子へとおおよそ半分のテンポになる直前のフルートの長い独奏には、畏怖の感情がこもっていて美しかった。その後、音楽が深い淵から高まっていく過程は、この楽章を貫く祈りを伝えていた。
その過程を導くのがホルンと木管楽器群のアンサンブルであるが、それは全曲をつうじて素晴らしかった。続く第3楽章のスケルツォでは、リズムの力動性が際立っていた。ややテンポを落としてレントラー風の旋律が奏でられる一節から、「非常に速く」と指定されたテンポへの推移も自然だったし、そこからの音楽の激しい、疾走すら感じさせる躍動には引き込まれた。第1楽章の主部と同様、力強い流れが強調された第3楽章の演奏だったが、もう少し朴訥な響きが生かされたほうが、他の楽章との対照が際立ったかもしれない。

フィナーレの演奏は全体として、音楽の堅固な造形を伝えていた。それは何よりも、オクターヴの跳躍と付点音符によって形成される第1主題の音型が、チェロとコントラバス、そしてテューバとファゴットをはじめ、低音を担う管楽器によって絶えず強調されていたことにもとづく。なかでもチェロとコントラバスの力演は印象的だった。それによって力強いリズムの躍動が生まれ、それによって全体の響きが運ばれていたことは、今回の演奏においてもう一つ特筆されるべきことと思われる。
第4楽章についてはこうした美点を感じる一方で、音楽が未消化なままに先へ進んでしまう印象も否めなかった。例えば、二重フーガのかたちで進行する展開部のダイナミクスの幅は大きく、とくにピアニッシモ、さらにはピアニッシシモへと響きが静まったなかで、各声部が密やかな対話を繰り広げることが、その後の展開を、さらには全曲の動機が有機的に組み合わせられた結尾部、とくにコラールの響きを感動的にするはずだが、今回の演奏は対話を味わうよりも、次の音を捕まえるほうへ意識が向かっていると感じられた。

それから、これは第1楽章の序奏から気になっていたことだが、今回の演奏では総休止が全体的に短くなっていた。また音楽がいったん高揚した後、ほとんど間を置かずに次の楽節が始まったため、ここまでの展開を噛みしめることができなかった。残響を味わったり、ひと呼吸を置いたりする間は、全体を貫く構成が重視されているブルックナーの第5交響曲のような作品の場合にはとくに重要な意味を持つはずだ。今回の演奏において、そのような間が充分に確保されないまま、音楽がやや性急に運ばれてしまったのは惜しまれる。
第4楽章のコラール主題には、響きに澄んだ広がりを求めたい場面もあった。また、弦楽器の響きにも透明感のある水平的な広がりを聴きたかった。それによって、自然のなかに生きることへの感謝が響くはずだ。ヴァイオリン・セクションには、いっそう緊密なアンサンブルを求めたい。響きのさらなる透明度と声部としての力強さがほしい場面があった。小泉の音楽にふさわしく雄渾な流れに貫かれたブルックナーの第5交響曲の演奏だったが、力強い結尾のコラールに耳を傾けながら、心に引っかかるものを拭うことはできなかった。

(2025/1/15)

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[Performers]
Conductor: Kazuhiro Koizumi
Kyushu Symphony Orchestra
[Program]
Anton Bruckner: Symphony No. 5 in B flat Major WAB. 105 (edited by Leopold Nowak)