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特別寄稿|プロムナード『なぜピアノなのか?という問いに』から考えたこと [その3]|丘山万里子

プロムナード『なぜピアノなのか?という問いに』から考えたこと
[その3] 人間と楽器の関係〜鎮魂儀礼とともに

Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)

今回は、能登原氏の提起したもう一つの問い「原爆や戦争の記憶、文化として、楽器はどのような役割を果たしているのか」について。
氏はこの問いをさらに、「楽器と人間の関係」へと敷衍しているが、まずその前に、原爆・戦争の記憶とは人間同士の暴力による大量殺戮の記憶で、生あるものが必ず迎える自然死とは異なる「人為的(意図的)大量虐殺死」への特殊な感情が渦巻いていることを意識したい。
西欧にとってのホロコーストはナチスの記憶が最も鮮明だろうが、どの地域・民族であれ、歴史は常に大なり小なりの虐殺行為を繰り返しており、今日なおそれは続く。人間の良心・尊厳を説く一方で、戦争は必要悪とする考え方もとりわけ勝者の立場から唱えられる。そうした「戦争論」には到底立ち入れないが(永遠の課題だろう)、ハラリのベストセラー『サピエンス全史』(2011)の悲観的人間像・世界観の後に出たR・ブレグマン『希望の歴史〜人類が善き未来をつくるための18章』(2020)の第5章《文明の呪い》に[いつから人類は戦争を始めたのか]という項目がある。その記述をざっと紹介しておく。
旧石器時代の狩猟採集民は基本的に不平等を嫌い、重要な決定は全員が発言権を持つ長い審議を経て行なった。むろん個体には能力差があるがその差は一時的で、これを人類学者は「能力に基づく不平等」と呼ぶ。リーダーは時と場に応じて変化し、知識の豊かさ、腕力の強さ、カリスマ性などでそれぞれの能力を発揮、誰か一人に集中・固定されることはなかった。
かつ、非常に重要なのは彼らには「羞恥心」というものがあり、それが権力の集中や専制を阻んだ、ということだ。その例として人類学者によるフィールドワークから、カラハリ砂漠の狩猟採集民クン族の言葉を紹介している。
「わたしたちが自慢する人間を拒絶するのは、その男はプライドが高いせいで、いつか誰かを殺すことになるからだ。だから、わたしたちはいつもその男に、おまえが捕まえた獲物の肉は価値がない、と言う。そうやって男の頭を冷やし、穏やかにさせるのだ。」
つまり、有能を鼻にかけつけあがるタイプの人間に周囲が絶えず謙虚さ(羞恥心を持つこと)を教えるということだ。
もう一つ、これも重要なのだが、どこにでも公平な分配を嫌がる人はいる。が、傲慢すぎたり貪欲すぎたりすると、追放されるリスクを負うことになる。追放という脅しが効かない場合、最終的にはその人物を処分するのである。部族内ですでに2人の人間を殺した乱暴者に全員が毒矢を撃ち込み彼がヤマアラシのような姿になって死ぬと、男も女もその亡骸に歩み寄り槍を突き刺し、その死に対する責任を共有するのである。みんなで行い、みんなでその殺戮を共有、独裁者は生まない方法だ。
この例から、ブレグマンは「攻撃的な人は子供を残すチャンスが少なくなり、穏やかな人は多くの子孫を残すことができる」という言説を導き出している。
旧石器時代の人類は平和だったというのは幻想だが、すでにこの時代、集団を維持、多くの犠牲者を出すのを防ぐ知恵があったことを「希望」とするのである。部族内の「平和」のための人殺しは致し方ないが、その責任は全員が殺害に加わり全うすることで全員が負う。全てはみんなのためにみんなが負う。
これは突きつめれば、平和(部族・国民・民族)のための戦争不可避論ともなり、J・アダムスの冷徹な「男は皆、なれるものであれば独裁者になるだろう」、フロイトの悲観論「わたしたちは永遠に続く殺人者の系譜の末裔である」へとつながってゆこう。
ただ、殺戮の責任を全員で負うことを、人間は文明社会化する過程で忘却したようだ。人間の集団はある一定数を超えると不健全になるに違いない。
ふと思ったのだが、『最後の晩餐』はイエスと12人の弟子たち(ゴッホの『ひまわり』は、ゆえ12本)、ブッダは10大弟子、ムハンマドは弟子はいないが(彼は預言者)。こう見るとほぼ10人余がひとまとまりで、中にユダのような裏切り者、経典では極悪人デーヴァダッタという極悪存在が始祖を輝かせている。つまり、この人数こそ人類普遍の集団機能定数ではあるまいか。

ラファエロ「箱舟の建造」

ともあれ、ブレグマンは上記の例から「友だちが多いほど、人は最終的により賢くなる。」と人間の善を説くのである。なるほど、最終解決策を選択しないよう、これまで人類はさまざまな知恵を絞ってここまできたが、その間、常に大なり小なり最終解決策は採択され続けているし、火星に移住できる船に乗る人が限られているのは子供だってわかる(『ノアの方舟』、『タイタニック』をみよ)。
筆者はと言えば、やはり理由はどうあれ人は人を殺すのだ、と思う一方で、そういうことが起きないよう知恵をみんなで絞るだけの力があるのだ、とも思う。
クン族の乱暴者殺しもまた遺伝子の生存戦略としての知恵の一つで、どのみち利己的とは言えようが、殺人を避けるべく謙虚を養い他者を敬い、より良い方向へ進もうとする努力を彼らはしている。彼らに限らず、これまで人間は一応そういう努力を続けてきたし、おそらく続けてはいる。実際のところ、「繰り返さない」「忘れません」のメッセージは言う片端から裏切られてゆくけれども。
人類は核兵器にしても原子炉にしても、利害、善悪、利己利他といった対極設定の間を「時と場合」に応じて使い分け、遺伝子の生存戦略としてのバランスを保っているのだ、とでも言えば顰蹙ものだろうが、ただ先史時代に見習うべく、絶えず「謙虚であること・羞恥心を持つこと」を誰かが言い続け、最終解決に至っても全員で手を加え、その責任を負う意識で、常に物事にあたりたいとは思う。
毒矢を撃つことも槍で突き刺すことも筆者は絶対嫌だから、ただただ「そんなことできません」と言い続け、そんな奴は消えろ、と言われたらその場から逃げ出すとか、大人しく消されるとか…いや、わからん…。

*   *   *

冒頭の問いに戻ろう。
原爆・戦争による「人為的大量虐殺死」についての特殊感情は、当の体験者でもない筆者が実感できるはずもない。が、その体験と感情を語り継ぐことは、人間が持つべき「羞恥心」「謙虚」、愚に走らぬに必須の、これこそが人間の知恵の一つに他なるまい。
ただここでは個別の事象を見るのではなく、理由がどうあれ人間にとって常に死は不条理だ、ということから考えたい。その不条理に向き合うにあたり、遺された者が行う弔いの形としての儀礼(鎮魂儀礼)が音楽・宗教を生んだ。
そこでの人間と楽器の関わりに焦点を絞る。

筆者は人類が言語に分たれる以前の集団のコミュニケーションは「素ぶり」「表情」「発声」であったろうと考える。その初発の発声を「死」に際しての悲嘆・叫び、すなわち死への応答と考えた。このあたりは本誌評論『西村朗 考・覚書(26)人類初発の呼び声とヘテロフォニー』を参照いただければと思う。
「弔い」の行為はまず「埋葬」だが、ほぼ10万年前にヨーロッパに出現したネアンデルタール人にすでに埋葬の習慣化が見られる。ピレネーの洞窟では頭蓋骨の周囲に環状配石した痕跡が発見され、それは彼らが「死というもの」への一つの想念・観念の形を描いたものと言えよう。なお、集落形成を始めた人類の最初の儀礼はおよそ40万年前の食人儀礼と言われ、中国の周口店にその遺跡があるとのこと。食人儀礼については親族への敬意から敵への憎悪まで、さまざまな理由が考えられるが、例えば戦前の日本の一部にも死者への愛着や哀悼として「骨噛み」という風習があったことからして、まずは死者への友愛の一つとしての行為であったのではなかろうか。
いずれにせよ、集団の家族・仲間の死にあって、それを手厚く葬るさまは、そこに喪失の哀しみや死への怖れという極めて人間的感情があったことを示していよう。誰もに死はあり、そこから免れ得ないという事実を「認識」してはじめてそれは生まれ、おそらく人間だけが持ちうる感情と想像力だろう。
彼らは埋葬とともに丹土(赤土)を遺体に散布、この丹色(たんに)を神聖視したことが知られ、こうした習慣は世界に広がってゆく。神聖な色としての赤(丹色)は、例えば神社の鳥居の彩色にも繋がろう。お護りや祭祀用具もこの頃ほぼ現れ、5万年前には墓碑、献花も見られるからすでにネアンデルタール人は「弔い」の儀礼を行なっていたのである。いかに「死の儀礼」が人類初期から最重要であったか、あるいは人間存在の本質であったかが知れる。

その儀礼はどのようなものだったのだろう。
集団行動としての舞踏の最古の遺跡は独仏の熊ダンスの痕跡でほぼ8万年前だが、狩猟生活の彼らにとって獲物は生きるに必須ゆえに畏怖と敬意・感謝(今日も山であれ海であれ、猟師漁師が獲物に必ず手を合わせるのは世界共通行為)を抱いていたに違いなく、こうした感性の発露が動物信仰、さらには動物儀礼となってゆく。私たちが食する前に、「いただきます」と手を合わせるのもそれで、何気ない日常行為は、はるかに原人の振る舞いを継いでいるのだ。
すでに彼らは火の使用とともに石器、獣骨器などで様々な道具を作り出しているが、おそらく集団舞踏における掛け声、リズムとともにドラミング、クラッピングが伴われたと思われる。舞踏とは文字通り足踏み文化で、いわゆる足並み揃え、が基本。ちなみに音楽学者J・ジョルダーニアは樹上から降りた人類は、生存戦略として集団で大声を出し歌い踊ることで敵を威嚇した、と述べている(『人間はなぜ歌うのか?』2017/アルク出版)。それが人間の最初の歌であると。
掛け声は自然に集団発声、あるいはコール&レスポンスへと繋がろうが、これもまた現代の歌唱形態に他ならず、その意味で人間は太古の原人と全く変わらない。死が生きとし生けるものにとって永劫不変普遍であるように。そうして、対他(命あるもの全てにとっての)とは常に「呼びかけ」「呼び声」(仲間への合図)だが、おそらく人類だけが死者への呼びかけという行為、あるいは死者からの呼び声を聞くという行為をなし、それを儀礼化した唯一の種と言えよう。鎮魂儀礼にこそ人間の本質が示されている、とやはり筆者は思う。
呼びかけは動物・獣も行うが、亡骸に声を聴こうとする姿勢は、人間しか持ち得ないものであり、人類初期から見られる鎮魂儀礼は、この生死の両界を交感するものとして生まれた痕跡があるからだ。
が、ここでは楽器と人間へと話を進めたい。

対他としての呼びかけに伴う楽器(音を出す道具)はいつ頃作られたのか。
合図や呼びかけとして声(無伴奏・斉唱)に音を出す物体が用いられるようになったのは、筆者は集団舞踏足跡のある8万年前前後だろうと考える。楽器出現については2万2千年前のロシアのメンジン遺跡にマンモス骨製の肩掛け太鼓、シロホン、カスタネット、ガラガラなど、また丹色骨製うなり板笛がピレネーに残るが、行為に伴う物具は上述通り、ドラミング、クラッピングにすでにあったろう。胸を叩くチンパンジーや、獣らの呼びかわしなどから人類は多くを学んでおり、声とともに木や石その他の自然物を用いるのはほぼ同時期であって不思議はない。
筆者はまずは石と石をぶつけ合う打音、つまり打楽器が最初の楽器と考えたが、4万年前のドイツ石器時代の洞窟でハゲタカ、マンモス骨製の笛が発見されたというから、口笛、指笛(合図としての)といった身体操作から、まずは「笛」が造られたのかもしれない。これは「息」(呼気)をもととするが、現象としては「風」の運動・エネルギー(風力発電もこれ)。最初期の人類を囲む自然環境を思うなら、「風音」というものがどれほど彼らにとって重要だったか。自然界の気配(響き)は生死に直結する。つい、日本の第3の耳の貴重・健全を思ってしまう。
筆者が刮目するのは、最初期の楽器(音出し)として世界のどの地域にも見られるブルローラーで、これは舟の形をした薄い板に長い紐の一端を結びつけ、もう一つの先端を持って振り回すとさまざまな響きの唸り音を出すことが可能。そこに先祖の声、精霊の声を古代人は聞き、異界との交信すなわち雨乞いその他の呪術儀礼に用いた。ちなみに紐、すなわち糸と針の使用は2万5千年前あたり。現代音楽でこの種のぶんまわし音がちょっとした色彩変化を生む常套手段になっていることを思い、前衛とはつまるところ先祖返りだ、と笑ってしまう。
あるいは、丸太に細長い溝を彫り中を空洞にし、外からバチでうつものがあるが(スリットドラム)、これは古木の空洞を風が鳴らす音を模したものと言われ、木魚もその類。

スリッドドラム:『世界の音』p.34

つまり自然の模倣からやはり楽器も始まったわけで、原人・古代人の自然観察眼と応用編の豊かさに筆者など眩暈がする。
くどいが、日本の第3の耳がこれであることは言を俟たない。
そうして周囲を見まわし、あるある、これ、と実感してしまう。耳を澄ませば、それは今でも聴こえるのに、私たちはただ気づかないでいるだけのことなのだ。

さて、ここから原爆・戦争の記憶としてのピアノまでの距離がどれくらいあるのか。
とてつもない長さのように思えるが、ここはこれ以上深入りせず、簡単にまとめてしまおう。
まず、人類史を遡っての人間と楽器の関係はといえば、限りある人間の身体性の拡張増大として機能、より大きく遠くへと警告・合図・メッセージを届かせるために必須の道具。さらに、人知を超えた異界自然界との交感を生み出す霊力を宿す「器(うつわ)」ともなった。
楽器の近代化も、人間の身体性の拡張増大に加え社会構造の変化と歩を合わせ、「大きい音響」への欲望が膨れ上がり、規模も膨れ上がり、千人の交響楽などが耳を弄し、人工拡声拡大音響へと雪崩ての今日、ここでも自然の巨大なバランス感覚が働き、パンデミックによって極大から極小へと追い込まれた人間は、ようやく次の欲望収縮周期へと向かおうとしているように筆者には見える(といっても地球は10万年で一呼吸というから、まあ一呼吸のうちの呼気のどこら辺に今の私たちがいるのかと思うと、いやはや。https://www.jamstec.go.jp/sp2/column/03/)。
ただ、近年の演奏に弱音傾向や古楽志向が強くあるのは確かなことなので、やはり音楽家の察知能力はすごい、と改めて思う次第。

原爆や戦争の記憶、文化としての楽器は、普遍化するなら死者への鎮魂儀礼文化の道具であり、人為的大量虐殺行為を「誰かの責任」でなく「みんなの責任」にすべく、伝え続ける人類の知恵の一つの形。この知恵の力をこそ人類の文化力(文明ではない)と言っても良いのではないか。
ひょっとすると楽器とは、時々の人類の欲望の「拡張増大」「縮小減少」を映し出す鏡なのかもしれない。そこに「謙虚と羞恥心」を差し込むのは、それこそ、それを扱う人間であり、儀礼から今日の演奏行為に至る人類史は、そこに働く叡智の姿なのかも、などと思うと、何やら人間と楽器の壮大な絵巻が見えてくるようで、筆者はこれまた目眩むのであった。
プロムナード『なぜピアノなのか?という問いに』からいい勉強をさせていただいた。
考えるのは、楽しい!

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◾️参考文献
『希望の歴史』上 ルドガー・ブレグマン著 野中香方子訳 文藝春秋 2021
『人間はなぜ歌うのか?』 ジョーゼフ・ジョルダーニア著 森田稔訳 アルク出版 2017
『世界の音』郡司すみ著 講談社学術文庫 2022
『情報の歴史』監修:松岡正剛 編集工学研究所 2021

(2024/12/15)