トッパンホール16周年バースデーコンサート フォーレ四重奏団|大河内文恵
トッパンホール16周年バースデーコンサート フォーレ四重奏団
2016年10月1日 トッパンホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<演奏>
フォーレ四重奏団
エリカ・ゲルトゼッツァー(ヴァイオリン)
サーシャ・フレンブリング(ヴィオラ)
コンスタンティン・ハイドリッヒ(チェロ)
ディルク・モメルツ(ピアノ)
<曲目>
モーツァルト:ピアノ四重奏曲第2番 変ホ長調 K.493
細川俊夫:《レテ(忘却)の水》ピアノ四重奏のための(日本初演)
~休憩~
ブラームス:ピアノ四重奏曲第2番 イ長調 Op. 26
(アンコール)
メンデルスゾーン:ピアノ四重奏曲第2番 ヘ短調 Op.2より 第4楽章
ブラームス:ピアノ四重奏曲第3番 ハ短調 Op. 60より 第3楽章
1回の生演奏は100回録音を聴くにまさる。CDを聴いて知った気になるのがいかにあやういことか、それを思い知らされた。
モーツァルトの『ピアノ四重奏曲第2番』は、フォーレ四重奏団の録音が出ていて、あ~いかにもモーツァルト!な音楽が展開され、モーツァルト好きには堪らない魅力にあふれている。しかし、いま舞台から聞こえているのは、まったくの別物。モーツァルト独特の軽い拍節感に代わって、まるでジャズのセッションを聴いているかのようなライブ感が押し寄せてくる。CDでたっぷり盛り込まれているモーツァルトくささが少しも感じられない。
その典型がピアノと弦楽器群とのバランスである。プログラム・ノートには「ピアノの活躍が際立ち、協奏的な性格は第1番以上に強い」と書かれており、たしかにCDではそうなっているのだが、この演奏では、ピアノは独奏楽器のような目立ちかたはせず、他の3つの楽器と絶妙なバランスを保っている。必ずしもそうではないことは承知の上で、もしかしてピアノ+弦楽器4つのピアノ五重奏よりも、ピアノ+弦楽器3つのピアノ四重奏のほうがバランスを取りやすいのか?とふと思ってしまうくらいの驚異のバランス感覚。かと思うと、第3楽章では、調の変わり目をピアノがさりげなく強調するなど、小粋な演出が効いている。
続く細川俊夫の『レテ』は、フォーレ四重奏団のために作曲されたもの。タイトルの「レテ」は黄泉の国にある河で、死者はその水を飲み前世の記憶を失うという。最初の音型がヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと受け継がれて音楽が始まる。曲の中ほどで響くピアノの低い音(おそらく最低音)。そこからはそれまでとはまったく異なる世界が広がっていく。あ、記憶をすべて失ったあとには、こんな世界が広がっているのかと思わず自分の心の中を覗き込む。少しだけ前半の音楽のかけらが戻ってくるのは救いなのか煩悩なのかとさらに哲学的な心持ちに。最後の音がホールの空間に吸い込まれ、その余韻がずっとつづく。息を凝らして会場じゅうが1つになった気がした。
この作品はフクシマをテーマにしたオペラ《海、静かな海》に影響を受けていると細川自身がプログラム・ノートで語っているが、音楽そのものにフクシマを直接連想させるものはない。しかし、聴いているうちに自分の内側に意識が向かっていくのがわかった。後になって、その心の動きこそが細川がこの曲に込めた思いなのではないかと気づいたとき、もう一度聴き直したくなった。再演を望む。
休憩後はブラームスの『ピアノ四重奏曲第2番』。奇を衒ったところがどこにもなく、ごくごく真っ当に音楽が流れて行くのだが、どこにでもある演奏ではない。譬えていうなら、ピアノ伴奏で歌っていて、ピアニストが乗せ上手だと歌い手が気持ちよくなって、いつもは出ないハイトーンまで軽々出てしまうといった状態が、4人全員に起きているような状況。相乗効果×4!!全楽章で50分ほどの長い曲なのだが、長さを感じるどころか、いつまでも終わらないで欲しい、どこまでも続いて欲しいと願ってしまうほどの幸せな時間だった。本当にいい演奏というのは、演奏する曲が何であるとか演奏の質がどうだとか、そういったことすべてが「どうでもよく」なってしまうのだと改めて思った。最上の料理人はどんな食材でも最高の料理を作ってしまうのだ。
アンコールはまず、メンデルスゾーンの『ピアノ四重奏曲第2番』4楽章。ゆったりしたブラームスとは対照的な早いパッセージの続くこの曲は、彼らのテクニックを存分に見せつけた。真打ち登場。熱い拍手に応えてのアンコール2曲目は甘い甘いブラームス。フルコースの最後に極上のデザートを堪能した。
細川作品の日本初演があったとはいえ、全体としては一見地味なプログラムではあったが、贅沢なフルコースを味わえた本日の聴衆は幸運であった。ホール16周年のオープニングにこの公演を実現したトッパンホールの見識と企画力に拍手をおくりたい。