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ミシェル・プラッソン 日本ラストコンサート Au revoir!|藤原聡

東京二期会プレミアムコンサート2024
ミシェル・プラッソン 日本ラストコンサート
Au revoir!
最愛のフランス音楽〜フォーレ「レクイエム」とラヴェルの名曲
Michel Plasson Japan Last Concert
“Au revoir!”

2024年8月13日 東京オペラシティ コンサートホール
2024/8/13 Tokyo Operacity Concert Hall
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 堀衛/写真提供:公益財団法人東京二期会

〈プログラム〉      →foreign language
ラヴェル「マ・メール・ロワ」
ラヴェル『ダフニスとクロエ』より 第2組曲
フォーレ『レクイエム」op.48
※アンコール
フォーレ『ラシーヌ讃歌』op.11

〈演奏〉
指揮:ミシェル・プラッソン
ソプラノ:大村博美
バリトン:小森輝彦
合唱指揮:大島義彰
合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 

日本ラストコンサート Au revoir! と銘打ち、90歳の―10月には91歳を迎える―ミシェル・プラッソンが東京フィルを指揮して得意中の得意曲であるラヴェルとフォーレを取り上げる。筆者にとって忘れ難いプラッソンの実演はいつのことだったか、当時常任指揮者を務めていたトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団とすみだトリフォニーホールで行ったラヴェルの管弦楽曲全曲演奏会(全てを聴いた訳ではないが)、そして2005年に珍しくパリ管との組み合わせで来日した際の演奏である。良い意味で豪放で骨太なそれは、例えば精緻に表面を磨き上げ極彩色を放つ柔らかなデュトワの演奏とはまた違った味わいを感じさせるもので非常に印象に残っている。その後も来日を重ねていたプラッソンだが、様々な事情―タイミングの悪さ―でコンサートに赴くことは叶わなかった。しかし今回はラストとのこと、万難を排して駆けつける。

指揮台上には椅子が設置された中、プラッソンは白のタキシードをまといゆったりした足取りでステージに登場した。90歳という年齢を考慮すればその足元のいささかの覚束なさは理解できるにせよ、不安がよぎらなかったと言えば嘘になる。その演奏は? 弛緩したものになってはいまいか…? しかしそれは完全に杞憂であった。タクトを用いないその指揮ぶりは、往時に比べればもちろん振りは小さくはなったが極めて明瞭、明晰なもの。『マ・メール・ロワ』では揺るぎないテンポ感のもと輪郭のはっきりした音像を提示。デュナーミクの差は余り大きくはなく、テンポの変動も少ない。先に記した以前の実演同様、各パートを細かく抽出して差異化し丹念に練り合わせ色彩の変化を表出する方向ではなく、誤解を恐れずに記せば往年のシャルル・ミュンシュのように楽曲の構成を骨太かつ大掴みに一筆書きのようにキャンバスに描くがごとく。個人的には作品が『マ・メール・ロワ』だけにより一層の繊細さが欲しくもあったが―それだけに「パゴダの女王レドロネット」のダイナミックさは見事であった―、しかしプラッソン、全く衰えていない。

そのようなプラッソンのスタイルが次の『ダフニスとクロエ』第2組曲によりフィットするであろうことは想像がつくけれども、事実これは非常な名演奏だった。何よりも木管楽器群の音色がこれ以上ないほどに濃厚に活かされていることに驚く。あるいは表現の積極性、起伏のおおきさ。そもそも個人的に東京フィルの木管がここまでエスプレッシーヴォな演奏を展開しているさまに遭遇した記憶がない。良い意味で日本のオケではないような音がするが、こうなると合奏や二期会合唱団の発声の粗さなどほとんど問題なくなる。快速、しかしいささかも浅い響きを出さず表面的なものに傾かない踏みしめるような迫力は圧巻であり、プラッソンの力量、まさにここに極まれりの感。筆者の中ではデュトワのラヴェルが1つのカノンのような位置を占めているのは事実だが、全くタイプの異なるプラッソンのこの演奏を称賛するのに何のためらいもない。

休憩を挟んでのフォーレのレクイエム。ここでの主役は疑いなくプラッソンと東京フィルである。例えばミシェル・コルボの清楚な演奏とは正反対、いかにもコンサートスタイルという構えの大きさがありながらも表現は華美さに走らない。特に渋く底光りする弦楽器の音調が非常に美しく、サンクトゥスやイン・パラディズムなどは極上の演奏と言っても良かろう。それに対して合唱は『ダフニスとクロエ』の項に記載したように粗く清澄さもいま一つ。全体的な音色の統一性に欠けるのでそれぞれの個人の声が聴こえてしまう。また、大村博美のソプラノと小森輝彦のバリトンもやや難があり、特に前者はオペラティックに過ぎ、ブレスも不安定である。無論二期会合唱団もソリストお二方も極めて実力があるのは百も承知しているが、実演の水物性、そして様式との齟齬はいかんともしがたい。ゆえに、繰り返しになってしまうがオケの素晴らしい出来とのアンバランスさが目立っていかにも惜しく感じてしまったのだった。

本プログラムはここで終了、何度かのカーテンコールの後湧きに湧く客席に対しプラッソンが振り返り何事か話す。筆者の耳には「Racine」とだけ聴こえたが、となればアンコールに「ラシーヌ讃歌」を演奏する、との意味以外に捉えようもない。事実その曲はアンコールとして演奏されたが、これが本プログラムを凌ぐ絶美の名演奏となったのだ。合唱は本プログラムとはうって変わってなだらかかつ統一の取れた美しいハーモニーを披露し、オケの優美さも特筆もの。プラッソンはこれを聴かせたかったのか、と思ったほどの絶妙さ。しばし陶然。

何も主催者は商魂からラストコンサートと題したわけではあるまい。90歳の音楽家が日本にお別れを告げようと遠路はるばる来日してくれたことに感謝の念を抱く。指揮活動から身を引くわけではなかろうし、まだまだ元気に音楽を奏でて欲しい。

Merci beaucoup, monsieur Plasson!

(2024/9/15)

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〈Program〉
Ravel:Ma Mère l’Oye
Ravel:Daphnis et Chloé-Suite No.2
Fauré:Requiem,op.48
※Encore
Fauré:Cantique de Jean Racine,op.11

〈Player〉
Conductor:Michel Plasson
Soprano:Hiromi Omura
Baritone:Teruhiko Komori
Chorus Master:Yoshiaki Ohshima
Chorus:Nikikai Chorus Group
Orchestra:Tokyo Philharmonic Orchestra