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NHK交響楽団 第2000回定期公演​|藤原聡

​​NHK交響楽団 第2000回定期公演​
NHK Symphony Orchestra, Tokyo the 2000th subscription concert

​​2023年12月17日 NHKホール
​​2023/12/17 NHK Hall
Reviewed by 藤原聡 (Satoshi Fujiwara)
写真提供:NHK交響楽団

​​<プログラム>         →Foreign Languages
マーラー:交響曲第8番 変ホ長調「一千人の交響曲」(ファン投票選出曲)​
​​Ⅰ 讃歌「来たれ、創造主である聖霊よ」​
​​Ⅱ『ファウスト』の終幕の場​

​​<演奏>
指揮:ファビオ・ルイージ​
​​ソプラノ:ジャクリン・ワーグナー(★)、ヴァレンティーナ・ファルカシュ、三宅理恵​
​​アルト:オレシア・ペトロヴァ、カトリオーナ・モリソン​
​​テノール:ミヒャエル・シャーデ​
​​バリトン:ルーク・ストリフ​
​​バス:ダーヴィッド・シュテフェンス​
​​合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨平恭平)​
​​児童合唱:NHK東京児童合唱団(児童合唱指揮:金田典子)​
​​コンサートマスター:篠崎史紀​
​​★当初発表の出演者から変更​

 

​​1986年10月、サヴァリッシュが指揮した今や伝説となっているN響の第1000回定期公演。ソニーによってライヴ録音も行われたそのプログラムはメンデルスゾーンの『エリア』。これは1968年に同氏によって行われたスタジオ録音盤を凌ぐ出来栄えであり、N響もその実力を最大限に発揮した演奏として今これを聴いても名演奏と思う。それから37年が経過した2023年、N響は遂に2000回目の定期公演を首席指揮者ファビオ・ルイージのタクトで迎える。
​​ちなみにサヴァリッシュとルイージは師弟関係にあり、同じオケでこの両指揮者がモニュメンタルなコンサートを指揮というのは単なる偶然以上のものを感じはしまいか。​

​​ところで1986年の第1000回定期公演プログラム。これがどうやって決定されたのかは分からぬが、今回はファンからの投票によってそれが決められることとなる。選択肢は3曲、すなわちフランツ・シュミットの『7つの封印の書』、シューマンの『楽園とペリ』、そしてマーラーの『一千人の交響曲』。いずれも声楽を伴う大規模な作品であり、どれもがオペラも得意とするルイージが愛し、かつ適性も抜群の楽曲だろう。その中で最終的に選ばれたのは『一千人の交響曲』。他の2作品も傑作ではあるが、やはり知名度・人気度でマーラーに劣るのは致し方なく、そう考えれば予想された結果ではあろうが、それはともかくルイージがこれをどう指揮するか誠に期待は膨らむ。巨大なNHKホールだがチケットは完売。​

​​開演前。ステージに登場した新国立劇場合唱団の人数は本作にしてはやや刈り込まれた方であろうか。ソリスト陣はこの曲では珍しく指揮台前ではなく合唱の前に陣取る。コンサートマスターは篠崎史紀、奥に郷古廉。足早に登場したルイージ、タクトは持っていない。この巨大なホールにもかかわらず冒頭からして合唱の威力は十分で、さすがに百戦錬磨の団体だけある。ルイージの指揮は中庸のテンポが採用され、決して力ずくにならない膨らみを保つ。しかし気になったのはホールの音響で(言っても詮無いことではあるが…)、彼らの力量をもってしてもどうしても音の美感がなく痩せて聴こえがちになる。中でも声楽ソリストの男声陣は余り好調とは言い難く、合唱手前という奥まった位置ゆえか音の飛びも悪く、かつ音程や発声の難が剥き出しに聴こえてしまうのは厳しい。とは言えこちらの耳慣れと演奏陣の音響バランス調整が上手く行って来たことによろう、トゥッティでも全体がまとまりよく聴こえるようになったのは慶賀の至り。​

​​開始からしばらくは「まあこの布陣であればこれ位の演奏水準は当たり前というところか」などといささか引いた意識で鑑賞していたら、展開部における「最大の力を以て」の指示があるAccende lumen sensibusからの急速なギアチェンジとテンションの上がり方に虚を突かれて驚く。そう、ルイージはこういう振り切れ方をする人なのだ。この箇所以降その音楽の掘り下げは明らかに深度を増し、ともすると音響的なカオスに陥りがちな中での対位法的な声部の明晰な扱いも特筆されるし、さらにはこのコントラストが楽曲の構成を顕在化させていたようにも思う。この後のややテンポを落とした巨大な再現部からコーダまでの緊迫感はただならぬもの。終結部のバンダは2階上手後方の客席前に並んでいたが、ここでもホールの音響のドライさが災いし、オケ本隊と悪い意味で分離し過ぎて聴こえいささか興醒めしたと正直に告白しておく。この作品には陶酔的かつ熱狂的な要素がどうしても必要であり、指揮者に「交通整理能力」がないためのカオスは論外と言うか別問題としても、ベリオが自作の『シンフォニア』について語った「細部が聴き取れないという体験が重要なのです」との言葉は―文脈は違えど―マーラーの『一千人の交響曲』にも当てはまる。それゆえ、音響の良いホールで程よく「お風呂場状態」のようになる「渦」が欲しかった。しかし、演奏自体は極めて優れたもので、熱狂と統制が最高のバランスで保たれており、ルイージの力量は明白である。​

​​第2部、冒頭の弦楽器による極端に音量が抑えられたトレモロからただならぬ緊張感がある。合唱が登場するまでのこの部分、全体に表情がよく彫琢されて濃厚、実に念入りで集中力に満ち全く素晴らしい。また、ここで複数回登場するシンバルの特殊な奏法による演奏―普通に打つのではなく擦るように半回転させながら「シャン」と弱く打つ―が実に上手い。これ、歴然と上手下手があり、上手い奏者によるこの「シャン」が決まると後年の表現主義的な時代を先取りしたかのような特異なアトモスフィアが一気に広がり、このゲーテの『ファウスト』最終場面をテクストにした音楽の射程の広さが浮き彫りになるのだ。シンバルと侮るなかれ。​

​​それにしてもこの第2部におけるルイージの指揮でさらに特筆すべきはアダージッシモ以降だ。非常に甘美でありながらも微塵も俗っぽさを感じさせない歌、こだわり抜いたメロディのフレージングの妙はルイージの構築的な指向性をも感じさせる。この指揮者が興味深いのは閃光のような一瞬のテンペラメントと沈着な構成力が共存している点であり、先に触れた第1部の展開部におけるパッショネイトさと構造への目配りの併存しかり。ルイージとオケの演奏が余りに見事ゆえ声楽陣への言及が後になってしまうが、この第2部でもソリストでは総じて女声陣の出来が良く、中では一瞬の登場ながらパイプオルガンの箇所から「栄光の聖母」を歌った三宅理恵が透明感のある気高い歌唱を聴かせて最も印象に残った。NHK東京児童合唱団もよく整えられた清澄な歌声が非常に高水準だったが、発音にはさらなる明晰さが欲しくはあった。そして「神秘の合唱」以降の高揚、これにはほとんど文句の付けようもない。とは言え最後のオケのみの後奏、ここは全く個人的な嗜好を述べさせて頂くのならばより超越性/垂直性を表現すべくテンポを落として欲しかったところではあるし、さすがに巨大な音響を維持するには息切れ気味に感じないでもなかったが、それでもこれだけの高水準の演奏はなかなか実演で接する機会はあるまい。筆者は『一千人の交響曲』の実演を恐らく10回近くは聴いていると思うが(かなり多いのではないか?)、このファビオ・ルイージとN響の演奏が最高のものだった。第2000回の定期公演に相応しい名演に感謝したい。​

(2024/1/15)

​​〈Program〉
​​Gustav Mahler:Symphony No.8 E-flat Major, Symphonie der Tausend (Symphony of a Thousand)​
​​Ⅰ:Hymn:Veni, creator spiritus​
​​Ⅱ:Final Scene of Faust​

​​〈Player〉
NHK Symphony Orchestra, Tokyo
​​conductor:Fabio Luisi​
​​sopranos:Jacquelyn Wagner (★), Valentina Farcas, Rie Miyake​
​​altos:Olesya Petrova, Catriona Morison​
​​tenor:Michael Schade​
​​baritone:Luke Sutliff​
​​bass:David Steffens​
​​chorus:New National Theatre Chorus (Kyohei Tomihira, chorus master)​
​​children chorus:NHK Tokyo Children Chorus (Noriko Kaneda, children chorus master)​
​​concertmaster:Fuminori Maro Shinozaki​
★Changed from initially scheduled