明日の記憶II 桒形亜樹子チェンバロリサイタル2023|大河内文恵
2023年11月17日 ムジカーザ
2023/11/17 Musicasa
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by 夏田昌和
<曲目> →foreign language
ルイ・クープラン:フローベルガー氏の模倣による前奏曲
伊藤康英:ルイ・クープラン氏を模した古典組曲(委嘱世界初演)
柿沼唯:クラヴサンのための6つのプレリュードより
第1曲「朝」(ドの旋法による)
第3曲「星月夜」(ミの旋法による)
第5曲「夏の庭」(ソの旋法による)
第6曲「松風」(ラの旋法による)
夏田昌和:物思いの午後と気晴らしの体操(委嘱世界初演)
フランソワ・クープラン:前奏曲第2番
ガルニエ
~~休憩~~
ウィリアム・バード:パヴァーンとガリヤード へ調
吉川和夫:ピアノのための前奏曲(1992/チェンバロ版)より
V. とどまっている音と揺れ動いている音のコンポジション
VI. かなたを呼ぶ声
X. 二人の声のアンティフォナ
XII. とだえたアンティフォナ
ルノー・ガニュー:4つの芭蕉の俳句
間宮芳生:風のしるし・オッフェルトリウム(2006チェンバロ版)より 第1曲、第5曲“Mini Chaconne”
W. バード:ファンシー ハ調
~~アンコール~~
ルイ・クープラン:シャコンヌ
チェンバロという楽器にこれほどの可能性が秘められていようとは、と認識を新たにした。古楽器は古い時代の音楽専用の楽器ではない。その楽器が主に使われていた時代の音楽を演奏するのに適していることは、その楽器のための新作が作られることを妨げるものではない。
チェンバロの現代曲といえば、リゲティの一連の作品か武満徹の《夢見る雨》くらいが演奏されるものの演奏機会はさほど多くはない。このような現状に風穴を開けたのが、昨年4月に桒形がおこなった第1回の『明日の記憶』である。そこに聴きに来ていた作曲家に依頼して今回の演奏会が実現したとプログラムに記載されていた。
前回の現代曲は女性作曲家によるものだったが、今回はすべて男性作曲家による作品。古い時代の作品は、フランス・バロックと、没後300年にあたるバードに絞られていたが、それらがプログラムのなかで有機的に機能していた。
プログラム全体が古典的な曲と現代曲とが交互になるように組まれているが、それぞれの間がゆるやかにつながっている。たとえば、1曲目のルイ・クープランの後には、伊藤作品の《ルイ・クープランを模した古典組曲》が続く。前半最後はフランソワ・クープランから2曲だが、その直前の夏田新曲はフランソワ・クープランを意識したタイトルがつけられているといった具合だ。
伊藤作品は、アニメーションの音楽を思わせる細かいリズムやゲーム音楽のような部分が印象的でリゲティのチェンバロ作品を彷彿とさせるが、全体としては調的に書かれており、チェンバロの上で古典と現代を合体させてみせた。続く、柿沼作品は初期バロックを思わせる音遣いながら不協和な音程は慎重に避けられている。第6曲「松風」はさくらを連想させる下行分散和音が和を感じさせた。
夏田作品は、フランス近現代の響きをもつ。ゆったりした前半とリズミックな後半はパヴァーヌとガリアルドを連想させると同時に、前半はセリア的で後半はブッファ的ともいえる。対立する曲想を並べて1つにまとめあげる手法は、古くから多くの作曲家に使われてきたものだが、その連綿とした歴史の延長上にエスプリをもって立ちのぼった作品。前半の最後に演奏されたフランソワ・クープランの作品は、桒形の掌中にあるのだろう、安定感を感じさせた。
後半2曲めの吉川作品は、聴音課題のような響きが印象的なV、郷愁を感じさせるVI、同じ音型が繰り返されるX、離れた音域で対話的に進んでいくXIIとそれぞれ異なる性格を持つ。元々ピアノのための作品だが、演奏された4曲はどれもチェンバロ用の曲だと言われても違和感がなく、チェンバロのレパートリーとして定着してもよいのではないかと思った。
ルノー・ガニュー作品は芭蕉の俳句に作曲したもので1曲1曲は短い。3つめに演奏された「月早し梢は雨をもちながら」は不思議な音色をもち、チェンバロにこんな可能性があったのかと蒙を啓かされた。
邦人作品の最後は間宮芳生の「左手」のためのピアノシリーズをチェンバロ用に直したもの。元がピアノ曲だったとは全く感じさせず、最初からチェンバロのために書かれたようにしか聞こえない。作品としての完成度の高さが抜群で、これを最後に持ってきたことに納得。そしてプログラムの最後は、バードのファンシーで全体がしっかりまとまった。アンコールにはルイ・クープランのシャコンヌが演奏され、間宮作品の安定感は第5曲がシャコンヌであったことにも要因があったのかもしれないと気づいた。
チェンバロの現代曲というと、音の減衰が早くて長い音価を使えないことを長所にしようとして似たような感じになるのではないかと予想していたが、意外にもどの作品も方向性がすべて違い、それによってチェンバロという楽器のもつ奥行きの深さが明示された。
本日演奏されたいずれの曲もチェンバロ奏者のレパートリーに今後入っていく可能性を感じた。桒形の演奏を聞いて、もっとやれることがあると思った作曲家も客席にいたのではないだろうか。第3回にはどんな作品が聞けるのか今から楽しみである。
(2023/12/15)
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<program>
Louis Couperin: Prélude à l’imitation de Mr.Froberger
Yasuhide Ito: Suite Classique à l’imitation de Mr. Louis Couperin
Yui Kakinuma: Six Prélude pour clavecin (2013)
Le matin, La nuit étoilé, Le jardin d’ été, Matsu-kaze
Masakazu Natsuda: L’Après-midi pensive et la Gymnastique de distraction
François Couperin: Seconde prélude, La Garnier
–intermission–
Wiliam Byrd: Pavan & Galliard in F
Kazuo Kikkawa: 12 preludes for piano
Composition for “The Staying Sound and The Swinging Sound”, Voice calling the Distance, Antiphone for Two Voices, Interrupted Antiphona
Renaud Gagneux: Quatre haiku de Basho pour clavecin (2007)
Michio Mamiya: Wind Wrought – Offertorium
W. Byrd: Fancy in C
–encore–
L. Couperin: Chaconne