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みなとみらいアコースティックス2023|谷口昭弘

みなとみらいアコースティックス2023
Minato Mirai Acoustics 2023

2023年7月31日 横浜みなとみらいホール
2023/7/31 Yokohama Minato Mirai Hall
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)
Photos by 藤本史昭/写真提供:横浜みなとみらいホール

<演奏>        →foreign language
カウンターテナー:藤木大地(♠)
ピアノ:反田恭平(♦)
ピアノ:務川慧悟(♧)

<曲目>
シューマン:アラベスク ハ長調 作品18 ♧
シューマン:歌曲集《詩人の恋》 ♠♧
ルトスワフスキ:パガニーニの主題による変奏曲 ♦♧
モーツァルト:夕べの想い ♠♦
シューベルト:ミューズの子 ♠♦
ベートーヴェン:連作歌曲集《遥かなる恋人に》 ♠♦
ブラームス:永遠の愛について ♠♦
ショパン:バラード第3番 変イ長調 作品47 ♦
反田恭平(務川慧悟 作詞):遠ゆく青のうた ♠♦♧

(アンコール)
武満徹:小さな空

 

2021年9月から、横浜みなとみらいホールの「初代プロデューサー in レジデンス」を務めた藤木大地が企画する最後の公演は、カウンターテナーの歌唱によるドイツ・リートを核に据え、伴奏を務めるピアニストたちの音楽性をあぶり出す内容であったといえるだろうか。まず冒頭から務川慧悟の演奏に度肝を抜かれることになった。シューマンの《アラベスク》と言うと、絡み付く文様がピアノの共鳴体から溢れ出る様を筆者はイメージするが、務川の演奏ではアウフタクトの扱いが特に絶妙で、静寂の中に音の粒がうっすらと立ち上がり、空間に添えられていた。「あれはピアノという楽器に人間の呼吸が乗せられるだけで自然に達成され得るのか」と最後まで自問しながら聴くことになった。この繰り返される主要主題と対比させる部分になると、今度は逆に積極的に空間に音を放つ方向で、しっかりとした弾き込みがあり、主張があった。主要主題が初めて明確に演奏されたコーダでは、全体を貫くこの動機が、一音一音確かめるように鳴らされていた。
藤木大地による《詩人の恋》は、恋の萌芽を語りつつ、喜びや動揺の主人公を聴き手に語りかける。その声は朗々とした歌唱というよりは、言葉を立てていくアプローチ。それでも<ぼくがきみの瞳をみつめると>以降になると、ピアノに誘導されてドラマが本格的に動き出してから仕掛けられていく場面とが入り交じる展開。物語の転換点となる<ぼくは恨みはしない>にしても、声を張り上げない。そうして嘆きは抑えられる一方、はかなさは際立ってくる。失恋後の<花が、小さな花がわかってくれるなら>以降も、自己陶酔するような悲痛さがない分、打ちひしがれた後の甘酸っぱさが残る展開を味わった。務川慧悟のピアノは声に合わせつつ主張をする。細心のバランスを保ち藤木を支えつつ、声とは別に持つピアノならではのペルソナを際立たせていく。冒頭の《アラベスク》における表現力が、ここでも際立ってきた。また藤木の後半の歌は<ある若者が娘に恋をした>にしても、苦々しさを覚えつつも湿っぽい歌にならず作品全体を振り返ると、あっという間に時間が過ぎていく内容だった。《詩人の恋》はカウンターテナーの声域を活かせない歌曲なのではないかとも思われたし、声が共鳴しにくい箇所があったのかもしれない。しかしその分、聴かせたい言葉、そしてその抑揚に焦点を当てて歌うことができ、結果的にスリムな連作歌曲になったと考えることもできた。

後半は反田恭平と務川慧悟による《パガニーニの主題による変奏曲》という2台ピアノ曲から。冒頭からガツンとパンチの効いた反田の第2ピアノに美しく旋律を添える務川という組み合わせかと思われた。しかし神秘的な変奏になると一転して務川のピアニズムのニュアンスとリリシズムが現われ、2人の別個なキャラクターが明確に描き分けられて、それぞれが生きており、結果的に良いコンビネーションとなった。
次の《夕べの想い》に限らずモーツァルトのリートというと、アルペジオはどちらかというとインテンポにしてそこに歌をのせるというイメージが強いのだが、藤木の大胆なリードは、そのアルペジオの縛りを積極的に崩そうとしていた。この前のめりな拍節感に付いていく反田はどういう想いだったのだろうと、内心冷や冷やしながら聴いた。逆にシューベルトの《ミューズの子》になると、ベースラインを豊かに鳴らしてリズムを保つ反田のドライブ感に藤木のやさしい歌声が心地よく響く。転調による対比の部分ではピアノも軽やかになり歌もレガート気味で切々と歌い綴っていった。
これがベートーヴェン《遥かなる恋人に》になると、小品とはちがった聴き応えがある。ピアノも硬質な和音を奏でていくが、モーツァルトと同様に、柔軟な拍節感で、語り口に興味を覚えた。また《詩人の恋》ほどカウンターテナーがテノール向けの歌を歌うことの「異質さ」を感ずることがなかったが、それはベートーヴェンが本質的に器楽作曲家であり、シューマンほど特定の音域に特化した作曲を行っていなかったことに由来するのだろうか? ところで器楽的要素といえば、ブラームスの《永遠の愛について》においても、ベートーヴェン譲りの低音域の豊かな響きがピアノから湧き上がり、歌がそれに同化したのが印象的だった。しかしこの曲にはもっとはっきりとした丁々発止のやりとりもあり、壮大なクライマックスもあった。筋を通した器の大きな音楽であった。
反田のピアノによるショパンのバラード第3番が続く。作品の性格でもあるが、大きく聴かせないところに、まずは好感を持った。またロマン派作品ではありながら、楽譜の隅々に隠されたポリフォニックな要素、線的な要素を彼は多く拾い、その立体的な表現を感じさせるアプローチに感心した。それでもコーダに花開くピアニズムは、さすがロマンティックな抒情性が溢れる。細やかな部分への配慮が一方に、全体の設計図を見据えた語り口が他方に、反田の面目躍如たる1曲といったところか。

そして反田による、ほっとするオリジナル曲。合唱曲《遠ゆく青のうた》を独唱曲にして披露。連弾のピアノ伴奏も交え、会場がなごやかな雰囲気になる。さらにアンコールの武満作品では、藤木が舞台後方を上手から下手へと歩み、最後はピアノの椅子に座り、務川の背中に寄りかかって歌った。互いを音楽家として尊重する三人の和気あいあいとした雰囲気が醸し出されていた。会場も一体となっていた。

(2023/8/15)

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<Performers>

Daichi Fujiki, countertenor (♠)
Kyohei Sorita, piano (♦)
Keigo Mukawa, piano (♧)

<Program>

Schumann: Arabeske C-Dur Op.18 ♧
Schumann: Dichterliebe, Op. 48 ♠♧
Lutosławski: Variations on a Theme of Paganini ♠♧
Mozart: Abendempfindung an Laura, KV 523 ♠♦

Schubert: Der Musensohn, Op. 92 No. 1 D 764 ♠♦
Beethoven: An die ferne Geliebte, Op. 98 ♠♦
Brahms: Von ewiger Liebe, Op. 43 No. 1 ♠♦
Chopin: Ballade No. 3 in A-flat Major, Op. 47 ♦
Sorita (Lyrics: Mukawa): When You Leave from the Youth ♠♦♧

<Encore>

Takemitsu: Small Sky ♠♦♧