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濱田芳通&アントネッロ J.S.バッハ マタイ受難曲|大河内文恵

濱田芳通&アントネッロ J.S.バッハ マタイ受難曲
Yoshimichi Hamada & Anthonello J.S. Bach Matthäuspassion

2023年5月27日 川口総合センター・リリア 音楽ホール
2023/5/27 Kawaguchi LILIA music hall
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
写真提供:アントネッロ 

<出演>        →foreign language
指揮:濱田芳通(リコーダー)

福音史家:中嶋克彦
イエス:坂下忠弘
ユダ;谷本喜基
ペテロ:松井永太郎
大祭司カヤパ:牧山亮
ピラト:彌勒忠史
ピラトの妻:鈴木美登里
証人たち:中嶋俊晴・伊原木幸馬
第一・二の女中:金沢貴恵・染谷熱子
祭司長・律法学者・長老たち/弟子たち/民衆/兵卒/パリサイ人:合唱

独唱/合唱
第一群
ソプラノ:金沢貴恵・鈴木美登里・中山美紀
アルト:新田壮人・彌勒忠史
テノール:伊原木幸馬・小沼俊太郎
バス:坂下忠弘・松井永太郎
第二群
ソプラノ:陣内麻友美・染谷熱子・中川詩歩
アルト:中嶋俊晴・野間愛
テノール:田尻健・前田啓光
バス:谷本喜基・牧山亮

管弦楽≪アントネッロ≫
オーボエ/オーボエ・ダモーレ/オーボエ・ダ・カッチャ:小花恭佳・小野智子
フラウト・トラヴェルソ:武澤泰子・前田りり子
ヴァイオリン:天野寿彦・廣海史帆・山本佳輝
高岸卓人・大光嘉理人・遠藤結子
ヴィオラ:多井千洋・本田梨紗
チェロ/ヴィオラ・ダ・ガンバ:武澤秀平
ヴィオローネ:布施砂丘彦
リュート:高本一郎
チェンバロ/バロック・ハープ:曽根田駿
オルガン:上羽剛史(リコーダー)

字幕:三ヶ尻正
字幕操作:株式会社アライ音楽企画
ステージマネージャー:吉野良祐
制作:アントネッロ合同会社

 

些か個人的な話になるが、バッハの受難曲はもう聞かなくてもいいと思っていた。嫌いなわけではない。学生時代にゼミで1年間バッハの受難曲をやり、ちょうどガーディナーのCDが出てまもなくの時期だったため、来る日も来る日もそのCDを聞いて満腹になってしまったのだ。一応古楽器による(当時ピリオドという用語はまだなかった)新しい演奏だったというのもある。

それでも、アントネッロがやるのなら何かあるかもしれない、ガーディナーとたいして違わないにしても、こっちは生だから意味はあると自分に言い聞かせて川口に向かった。

始まってすぐ驚きがおそってきた。冒頭の器楽の音がやわらかい。聞き慣れた音は古楽器ではあるけれど、弦楽器が主体でそこにオーボエが加わったような響きである一方、これは木管、すなわちフラウト・トラヴェルソがメインでそこにオーボエが加わり、弦楽器はそれに寄り添っている。さすがリコーダー奏者の濱田が作るとこういう響きになるのかと感心している間に合唱が入ってくる。

その瞬間、自分の目と耳を疑った。耳から入ってくる音は100人くらいの合唱の声なのに、目の前には18人しかいない。いや、今歌っているのは第1群だけだから9人だ。耳をそばだてると「あ、これは〇〇さんの声、こっちは△△さんの声」と聴き分けられるほどに1人1人の声が溶けあいながらもこちらに飛んでくる。「顔の見える」合唱だ。まもなく第2群が短い単語を差し挟んでくる。え、これってオペラだった?

この臨場感は歌詞を見ながらCDを聴いていても決して得られまい。これまでガーディナーのCDに引き摺られていたからか、バッハのマタイ受難曲は印象的なアリアがあり、心に届くコラールがあり、それらを合唱と福音史家がつないでいるというイメージを持っていたのだが、レチタティーヴォはアリアのおまけではないし、合唱も福音史家も単なるつなぎではない。

それを支えているのはまず第1に、通奏低音を始めとする器楽陣だ。レチタティーヴォでリュートだけになった時の雄弁なこと、それは他の楽器と一緒の時も変わらない。同じようにオルガンやチェンバロ、バロック・ハープ、チェロ、ヴィオローネの推進力と彩り。マタイ受難曲はフルートやオーボエが活躍するレチタティーヴォやアリアが有名だが、そこだけではなく随所でいい仕事をする。ヴァイオリンのソロも魅力的。マタイ受難曲の器楽部分ってこんなに面白かったのかと目から鱗が何枚も落ちた。

声楽部分の多彩さは言わずもがな。カリストの時も書いたが、バッハ先生アントネッロにあてがきしましたね?と言いたくなるほどそれぞれの役とそれを歌う歌手とがぴたりとはまっている。歌手1人1人が上手いのはもちろんなのだが、それぞれの箇所の描きかたの精度が並大抵でない(キリがないので1人1人言及しないが、福音史家の中嶋克彦が聞かせた最初から最後まで抜群の安定感はあげておきたい)。

たとえば、11番のレチタティーヴォは福音史家とイエスの遣り取りだけなのだが、イエスの「これは私の体である」と福音史家の2行を挟んでのイエスの「これは血である」という部分が楽譜では6/4で書かれているのが耳にはきっちり3拍子に聞こえてくる。「3」という数字とイエスの言葉が実感としてこちらの身体に入ってくるのだ。

途中何度も、受難曲ってオペラだったっけ?思ったのは、情景の描きかたが見事だからだ。14番のレチタティーヴォは福音史家がオリーヴ山に向かったことを告げる。そこのオルガンの音色の不穏なことこの上ない。イエスの言葉を挟んで次に来るのは、あの有名なコラールの第1回目の出現である。心洗われるコラールの響きと先ほどの不穏さの対比が見事すぎて、コラールが始まった途端に涙が出そうになった。

20番はオーボエソロが印象的なテノールと合唱の掛け合いだが、「眠りますように」とささやく合唱の静かさが19番のテノールの嘆きの表現やその前後のテノールの透明感と相俟ってこの先に訪れる世界を嵐の前の静けさのごとく暗示する。

配布されたプログラムの楽曲解説で三ヶ尻がコラールを「物語を聞いた今の時代の会衆が抱く心情(会衆心情)」と定義しているが、それが最初に腑に落ちたのは25番のコラールだった。合唱とコラールとは歌っている人々は同じだが、物語上の役割は全く異なり、合唱は物語の登場人物だが、コラールはナレーションなのだ。物語から距離をおいた場所から、いわばTV番組でいう「天の声」のような役割をしている。合唱とコラールと同じ編成のものが入っているのは何故だろうと疑問に思いつつ、受難曲の中のコラールは宗教性を高めるための道具立てなのだろうとこれまで解釈していたけれど、そのような単純な話ではなかったと気づいた。

それが更なる確信になったのは27番の合唱である。ソプラノとアルトによる美しい二重唱に合唱が楔のように撃ち込まれる。後半は劇的な合唱が続く。そうか合唱は群衆だったのだなと気づいたときには、こちらの心はもう巻き込まれて動きが取れなくなっていた。楽譜の上では27番の最後はフェルマータがついていて一呼吸置くがそれはなく、そのまま福音史家のレチタティーヴォに突っ込んでいった。そう、ここから物語が急展開で動き出すのだ。その後の合唱で第1部は終わるのだが、ここまであっという間だった。マタイ受難曲は長くて暗いから不評だったという話もあるが、一瞬たりとも長さは感じなかった。

第2部に入って34番のレチタティーヴォと35番のアリアは独特で、とくに35番は異国風なところがアントネッロらしさ全開。38番からは小芝居が入ってきて、もうこれは典礼劇でしょうか?と思う。39番のアリアのヴァイオリンソロと泣きのアリア、続くコラールで心かき乱されたところへ、41番の福音史家のレチタティーヴォが劇的で、福音史家はただのストーリーテラーではないのだなと改めて思う。

字幕も雄弁だった。普通は2行くらいの字幕が今回は4行を基本としているため、二重唱や二重合唱、アリアに合唱が入っている部分など、通常なら字幕がうまく機能せず混乱する場面がスムーズにみられた。そして重要な場面では、配布の対訳とは異なる言葉遣いで観衆をぐっと引き込む。

「十字架にかけろ」「十字架からおりてこい!」という合唱の声とその後の高笑い(ここでの地声の高笑いはバッハの楽譜にはないが、ピッタリだった)は、まさに現代のわれわれがネットでの炎上で目にする暴徒たちそのものではないかと思い当たったとき、四旬節でもない季節外れの時期なのにマタイ受難曲を上演した意図にふれた気がした。

61番の終わりでイエスが息絶えたと福音史家が静かに告げた後、あのコラールが最後に1番長い長さで歌われる。そのありえないほどの静けさと続く福音史家の劇的展開、そして最後の最後に冒頭の器楽部分が戻ってきたときの、何とも言えない気持ち。同じ音楽なのに世界がすっかり変わってしまっていて、とても同じ音楽とは思えない。この感覚、どこかで味わったような。。。観客席も胸がいっぱいだったが、舞台の上の演奏者たちのやり切ったお互いを称える感無量の表情が目に焼きついて離れない。

マタイ受難曲のこと、実はなんにも知らなかったんじゃないか。きっとその場にいた誰もがそう思ったことだろう。この公演が1回で終わってしまうのはあまりにももったいない。再演を強く望む。

(2023/6/15)

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<performers>
Yoshimichi HAMADA(director/recorder)

Evangelista: Katsuhiko NAKASHIMA
Jesus:Tadahiro SAKASHITA
Judas:Yoshiki TANIMOTO
Petrus:Eitaro MATSUI
Pontifex(Hoherpriester):Ryo MAKIYAMA
Pilatus:Tadashi MIROKU
Uxor Pilati:Midori SUZUKI
Testis:Toshiharu NAKAJIMA, Yukima IBARAGI
Ancilla(Magd):Kie KANAZAWA, Netsuko SOMEYAF
Soli/Chor
First group:
Soprano:Kie KANAZAWA, Midori SUZUKI, Miki NAKAYAKA
Alto:Masato NITTA, Tadashi MIROKU
Tenor:Yukima IBARAGI, Shuntaro KONUMA
Bass:Tadahiro SAKASHITA, Eitaro MATSUI
Second group:
Soprano:Mayumi JINNAI, Netsuko SOMEYA, Shijo NAKAGAWA
Alto:Toshiharu NAKAJIMA, Ai NOMA
Tenor:Takeshi TAJIRI, Hiromitsu MAEDA
Bass:Yoshiki TANIMOTO, Ryo MAKIYAMA
Orchestra
Oboe/Oboe damore/Oboe da caccia:Yasuka KOBANA, Tomoko ONO
Flauto traverso:Taiko TAKEZAWA, Ririko MAEDA
Violin:Toshihiko AMANO, Shiho HIROUMI, Yoshiki YAMAMOTO
Takuto TAKAGISHI, Karito OMITSU, Yuko ENDO
Viola:Chihiro OI, Risa HONDA
Violloncello/ Viola da Gamba:Syuhei TAKEZAWA
Violone:Sakuhiko FUSE
Lute:Ichiro TAKAMOTO
Cembalo/Broque Harp:Hayao SONEDA
Organ:Tsuyoshi UWAHA