パリ・東京雑感|祖国と戦うロシア人部隊|松浦茂長
祖国と戦うロシア人部隊
They Are Russians Fighting Against Their Homeland
Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
ロシアがウクライナに侵略するやいなや、アメリカやイギリス、ベラルーシやジョージア、はるか日本からも大勢が義勇兵として戦おうとウクライナに駆けつけた。義勇兵なんて遠い昔の話ではなかったのか?
ゲイリー・クーパーと男の子みたいに短い髪のイングリッド・バーグマンの『誰が為に鐘は鳴る』は、スペイン内戦の義勇兵の物語だ。人民戦線軍とフランコの反乱軍の内戦(1936-1939)には映画の原作者ヘミングウェイのほか、ジョージ・オーウェル、アンドレ・マルローのような大作家が義勇兵として参加した。彼らが命を危険にさらしても、守らなければならないと思ったのは何だったろう?
あれから八十数年、「義勇兵」がよみがえった。きっとそれは、スペイン内戦の時と同じように、命をかけても守らなければ、と差し迫った思いにさせる何かが起こったからだ。
戦争のニュースを聞くやいなや、取るものも取りあえずウクライナに飛んできたフランス人青年は、銃の使い方も習わないうちに兵舎で爆撃に見舞われ、生まれて初めて知った轟音と破壊の現実に圧倒され、訓練も受けずに逃げ帰ったとか、こころざしの純粋さだけが際立つ義勇兵も少なくなかったようだ。
アメリカからの義勇兵にはイラクやアフガニスタンで腕を磨いた歴戦の勇士がいる。彼らは、戦場未経験の新兵を鍛える先生として大切な役割を果たしている。
しかし、義勇兵の中核をになうのは、かつてロシアによって土地と財産を没収され、迫害された歴史を持つ民族の人びとだ。チェチェンとタタールは1940年代、スターリンによって強制移住させられ、人口が激減した。だから、彼らにとって、プーチンの侵略戦争は人ごとではあり得ない。父祖のうけた屈辱の古傷がうずき、じっとしていられなかったのだ。
義勇兵の中にロシア人部隊があると聞いたら、信じられるだろうか?自分の国を砲撃し、同胞を撃ち殺す……ロシア人義勇兵の存在は、断片的に伝えられてはいたが、ロシア側に兵士の身元が知られるのを警戒して報道を抑えていたようだ。ところが今年に入ってフランスとアメリカの新聞が義勇兵のインタビューを含むくわしいルポを載せ、フランスの国営ラジオも1時間番組を放送、日本の新聞にも記事が載り始めた。
彼らの動機と行動を読むと、「これぞロシア人!」と、一種の感動を覚える。ドストエフスキーやトルストイのロシア的過激性と純粋性がいまも生きているのだ。
『ル・フィガロ』のヴァンサン・ジョリ記者がロシア人義勇兵に同行したのは、毎日おびただしい死者を出しながら防戦が続いている東部ドネツク州のバフムート。1月零下15度の満月の夜だ。カエサル(軍標識名)は「砲撃には理想的な天気だ」とつぶやく。私兵ワグネルから終日猛烈な砲火を浴びせられるであろう不吉な予感である。
カエサル(50歳)は部隊の中で一風変わった賢者とみられている。筋金入りのロシア・ナショナリストで、過激な「ロシア帝国運動」のメンバーだったこともあるが、その団体がロシアによるクリミア半島併合を支持したため、脱退した。カエサルに言わせれば、「ロシアは道を外れた」のだ。
カエサルは、いま「ロシア人」と戦っているとは考えない。なぜなら、連中は国籍なき「悪党と人殺し」でしかないのだから。「ロシア人とはたとえば私のような人間をいうのだ。トルストイとドストエフスキーが書いたロシア人は、私のような人間であり、彼らではない。彼らはロシア人ではない。」
戦争開始から1年がたっても、義勇兵たちのモチベーションは鈍っていないし、彼らの心の底に苛酷な戦闘、同胞の命を奪う毎日への疑念も生じてはいない。カエサルはこう言う。
ためらいは全くない。14人か15人は殺したな。砲撃で殺したのを入れればもっと多い。ワグネルにしろ正規軍にしろ彼らは一つの選択をしたのだ。人間ではない。女性を強姦し、子供を殺すのは獣だ。(カエサル)
ティヒと呼ばれるロシア人が義勇兵になった動機は、ブチャの虐殺だったと言う。
侵略が始まったとき、私はたまたまウクライナに住んでいる家族のところに遊びに来ていました。そして、ブチャの残虐行為をこの目で見てしまったのです。とっさに、この国を守るために戦おうと決心して、義勇兵の仲間入りできるようがんばりました。(ティヒ)
スキフも同じように人道的動機で義勇兵になった。
キリスト教徒として、ロシア人として、この兄弟殺しの戦争を見てじっとしているわけには行きませんでした。義勇兵募集の担当者にコンタクトを取り、家族にさよならを言い、国に別れを告げて部隊に入りました。(スキフ)
ヴァンサン・ジョリ記者は、義勇兵達の話を聞いてまわり、彼らの考えが驚くほど一致しているのにすぐ気づいたと書いている。誰もが口をそろえて、自分たちはロシアと戦争しているのではない、体制と戦っている、モスクワとプーチンの体制に立ち向かっているのだと言う。彼らにとって、プーチン体制をひっくり返すのは、ウクライナを助けると同時にロシアを救う戦いでもある。カエサルのように彼らの気持は愛国者なのだ。
だから、義勇兵たちは全員、戦争はロシアとの国境で終わらないと考えている。たとえば、ヤタガンはこう言う。
戦争が終わるのは、戦争が始まった場所、クレムリンでだ。首が落ちなければならない。真っ先にプーチンの首が。(ヤタガン)
ロシアの中で「戦争反対」を語ると投獄されるから、ウクライナに来て戦争する――愛する祖国ロシアのためにロシアと戦争するという、一見矛盾した行動が彼らにとってはもっとも誠実な選択なのである。『ニューヨーク・タイムズ』がインタビューしたザザは、そうした選択の良い例だ。
少女と見間違えそうな華奢な美青年ザザは、ロシア軍のウクライナ侵略が始まると口を閉じていられなくなった。相手構わず戦争反対を声高に述べ立て、ソーシャルメディアに反戦メッセージを出したので、大学ににらまれ、警察に狙われた。秋になって秘密警察が彼の家に来たので、「ロシアから出て行くときが来た」と覚悟した。そして、ザザは国境を歩いて越え、入隊したという。
ザザは自分の歳を聞かれると「20歳以下」と答えるだけで、はっきりさせたがらないが、高校を出たばかりにしか見えない。他の隊員が覆面の写真しか撮らせないのに、彼は端正な目鼻口をすっかり露出した写真を撮らせている。秘密警察が来るまで反戦を語り続け、いきなりウクライナに亡命して義勇兵になり、『ニューヨーク・タイムズ』に写真撮影を許して、世界中に自分の顔を公開する。(「裏切り者」はKGBにつけ狙われ、残酷なやり方で殺されるのに……)ロシア人にしかあり得ない無鉄砲、愛すべき無思慮である。
しかし、行動の大胆さと対照的に、記者に語る言葉は実に謙虚だ。
まだ僕は若いから、政治とか世界について自分の意見を言うのは早すぎます。いままさに自分の考えが作られているところだからです。でも、自分の国が悪い奴に奪われたら、自分で事を運ぶしかないでしょう。
私たちは何かの証しを立てるためにここに来たのではありません。ウクライナ軍がロシア軍を領土から追い出すのを手助けするため、そして将来ロシアを非プーチン化するために来ただけです。(ザザ)
ウクライナ軍の側もザザのようなロシア人の気持をくんで、敵国人による部隊編成などというとんでもない代物を許したのに違いない。ウクライナ軍情報部門のスポークスマン、アンドリー・ユゾフ氏によると、開戦当初、ウクライナの法律によってロシア国籍の者がウクライナ軍に加わることは許されなかった。8月にようやく法律が改正され、ロシア人が正式に戦闘に加われるようになったのだそうだ。ウクライナ軍がなぜロシア人部隊創設に踏み切ったのか、その動機についてユゾフ氏はこう説明する。
ロシア人の中には、自分の道徳的信念から、ウクライナの事態に無関心でいられず、ウクライナ防御者の仲間入りしたい人が大勢います。この人たちは、プーチン軍団を食い止めたい、ロシアを独裁者から自由にしてやりたい、という強い願いを持ち続けているのです。(ユゾフ)
そんなロシア義勇兵の願いを反映して、500人規模のロシア人部隊は「自由ロシア」と名付けられた。
「自由ロシア」創設の黒幕イリア・ポノマリョフ氏によると、応募してくるロシア人は1万人をこえるけれど、スパイが潜り込むのを防ぐために、嘘発見器も動員して超厳重な審査をするそうだ。1月時点で、1大隊が戦場に展開され、二つ目の大隊がウクライナ軍によって訓練中、目下第3の大隊を編成中だという。
ポノマリョフ氏はロシア議会の議員だったが、クリミア併合にただ一人反対票を投じ、2016年ウクライナに亡命という経歴の持ち主である。
ウクライナに「自由ロシア」が誕生したのは、もちろんロシアで自由が失われたからだ。
侵略戦争1年を経て、プーチンのパラノイア、怨恨、帝国主義メンタリティは、ロシアの生活の中に深く浸透し、人びとの心をかつてないほど強くとらえてしまったように見える。
教室では、「世界支配を狙う侵略者から人類を解放したロシア軍」について懇切丁寧に教えられ、最近まで芸術的自由のオアシスであった劇場と博物館もNATOzism(欧米=ロシア滅亡をはかるナチズム)の脅威宣伝の場と化してしまった。
この1年、戦場のロシア軍は敗北続きだったが、ロシアの国内状況は、プーチンにとってマイナスどころか、おあつらえ向きの方向に劇的に変化した。戦争の1年は、多くの人の予想を遙かに超えて、プーチンのイメージにピッタリ沿う形にロシアを作り変えてしまったのである。
実業界の大物で超保守のコンスタンチン・マロフェーエフ氏によれば、ロシアは戦争のおかげで理想的状況に近づきつつある。
ロシアのリベラリズムは永久に滅びたよ。ありがたいことに。
戦争が長く続けば続くほどロシア社会は西の毒から浄化される。もし春にでも停戦してしまえば、リベラルが戻ってくるかもしれない。社会をすっかり浄化するには、少なくともあと1年戦争を続けなくては。(コンスタンチン・マロフェーエフ)
ロシア人の心は、たった1年で、「世界支配を企てるNATOzism」の妄想と「ロシアを滅ぼすナチズム(欧米)」への怨念に染まってしまった。その結果ロシア人が完全に失ったもの、それは自由だ。
去年ノーベル平和賞を受賞したウクライナの人権活動家・弁護士オレクサンドラ・マトイチュクさんは、「ロシアが恐れているのはNATOではない。それは自由だ」と書いている。プーチンは国民を欧米恐怖のパラノイアに感染させることによって、彼らの自由をモノの見事に窒息させたのである。
他方、私たちの周りには軽くて不透明な自由が蔓延している。何百億もの年収を得る貪欲追求の自由、SNSのおかげでお手軽になった誹謗中傷の自由……古今東西の賢者たちの説くところに従えば、欲望のままにふるまうのは自由どころか、欲望の奴隷=自由の喪失ではなかったのか?
祖国に銃を向けるほどの苦しい選択をせざるを得なかった「自由ロシア」義勇兵に敬意を表して、改めて自由とは何だったのか、反省してみたくなった。
カント先生は、どんな状況で人間は自由を自覚するかを示すために、こんな怖いことを書いている。
彼にこう問うてみよう、――もし彼の臣事する君主が、偽りの口実のもとに殺害しようとする一人の誠忠の士を罪に陥れるために彼に偽証を要求し、もし彼がこの要求を容れなければ直ちに死刑に処すると威嚇した場合に、彼は自分の生命に対する愛着の念がいかに強くあろうとも、よくこの愛に打ち克つことができるか、と。彼が実際にこのことを為すか否かは、彼とても恐らく確言することをあえてし得ないだろう、しかしこのことが彼に可能であるということは、躊躇なく認めるに違いない。すなわち彼は、或ることを為すべきであると意識するが故に、そのことを為し得ると判断するのである、そして道徳的法則がなかったならば、ついに知らず仕舞いであったところの自由を、みずからのうちに認識するのである。(カント『実践理性批判』)
カント先生は単純なことを難しく書く癖があるけれど、この一節は美しい。人間が自由であるとは、これほど気高いことだったのだ。もっとも、カント先生、「自由ロシア」諸君の決断を「道徳的法則」にかなうものとは認めてくれそうもないが……
(2023/03/15)