ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第180回|齋藤俊夫
ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第180回
MUZA Kawasaki Symphony Hall & Tokyo Symphony Orchestra The Masterpiece Classics No. 180
2022年10月16日 ミューザ川崎シンフォニーホール
2022/10/16 MUZA Kawasaki Symphony Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by N.IKEGAMI/写真提供:ミューザ川崎シンフォニーホール
<演奏> →foreign language
指揮:ジョナサン・ノット
ソプラノ:安川みく(*)
管弦楽:東京交響楽団
<曲目>
ラヴェル:『鏡』から「道化師の朝の歌」(管弦楽版)
ラヴェル:歌曲集『シェエラザード』(*)
I:アジア
II:魔法の笛
III:つれない人
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調Op.43
音楽は魔法、というテーゼ、実に美しい喩え、と思えるかもしれない。だが、魔法にも様々なものがある。枯れ木に花を咲かせるのも魔法ならば、憎い敵を呪い殺すのも魔法である。音楽が魔法なのはそれが美しいから、だけではなく、その美しさと愛をもって人を魅了し動かす力を持つからでもあり、さらに、美しさと愛ではなくおぞましさと恐怖をもって人を動かす力も音楽=魔法には備わっている。いや、おぞましさと恐怖すらも我々をして快感と感ぜしめることこそが音楽=魔法の真骨頂なのかもしれない。
そんなことをつらつらと語ってしまったのは、ノット・東響の音楽が魔法と感ぜられたからだ。それも、美しさと愛とおぞましさと恐怖が同居する、最も魔的な魔法と。
まずはラヴェル『道化師の朝の歌』、耳から心に染み込んでそこに大輪の花を咲かせるこの音楽を魔法と呼ばずして何が魔法であろうか? スペイン的情熱のオーケストラにフランス的エスプリのソロ楽器の旋律(特に中間部からのファゴットが絶品)、両者のこの愛らしさ、全くもって魔法だ。
同じくラヴェル『シェエラザード』は天鵞絨(びろうど)の肌ざわりのオーケストラとソプラノ(安川みく)の声が綾なす魔法世界。レチタティーヴォ的旋律がフランス語と調和している。幻想の東洋への、西洋からのオリエンタリズム的視線を音楽化した、などと拒絶するには美しすぎる。ラヴェル的愛おしさ満開の「アジア」、ひそやかに語りかけてくる「魔法の笛」、切なく甘やかな「つれない人」、たった3曲なのに存分にラヴェルの魔術的東洋世界を満喫できた。
ここまでならば音楽=魔法は美しく愛らしく人を魅了するだけのものであっただろう。だが、次のショスタコーヴィチ交響曲第4番で音楽=魔法は凄まじき魔力をもって我々を魅了しつつおびやかしたのである。
冒頭、「キエエー!」と擬音語を当てて表現せざるを得ないフォルテシモの和音。そこから第1主題を提示して甲高く叫ぶシロフォン。第1楽章中で幾度となく押し寄せるトゥッティでの轟音。楽章の中間、弦楽が超高速で奏でる走句。どれもこれもなんたる禍々しき音楽か。されど心臓を掴まれたように聴かざるを得ない。作曲当時の「社会主義リアリズム」は「非オプティミスティックな音楽」を禁じ、ショスタコーヴィチはそれにより本作を封印したというが、果たしてこの第1楽章、「非オプティミスティック」な音楽であろうか? 人をしてそれを拒絶させる「非オプティミスティック」な音楽ではなく、人を飲み込むように傾聴させるこの音楽は「オプティミスティックな魔力」に満ちあふれていないだろうか? 怖いからこそ聴かざるを得ない魔力を持った音楽をものする、ショスタコーヴィチ、ノット、東響、恐るべし。
冒頭から聴いていて不安にならざるをえない対位法に導かれる第2楽章、不安だが美しい……だろうか? 音楽=魔法の影響下にある筆者は自分の感性がショスタコーヴィチ的・ロシア的・ソ連的感性によって曲げられているように思えた。そして中盤のティンパニーフォルテシシモで目を覚まされたように気づく。「この曲は怖い」と。弦楽の対位法、高らかに鳴らされるホルン、終結部分での「トトカチコチ」という打楽器の反復……なんて恐ろしい音楽を自分は楽しんでいるのだろうか。
最終第3楽章、ドストエフスキーが描くユロージヴィもかくやという跛行的ファゴットに始まり、トゥッティで禍々しき凶星が光り輝く。またティンパニーが、そしてホルンが吠える。フルートがまるでモーツァルトの『魔笛』のように呼びかける。ファゴットが道化的に舞う。何故だ? 何故ショスタコーヴィチはここまで我々をおびやかしつつ魅了するのか? ノットの指揮っぷりも極度の前傾姿勢になりその腕はほとんど痙攣しているかのようだ。最後のトゥッティによる「ジャーン!」これは勝利の凱歌か? 誰の? 何のための戦いの? 全てわからない。だが、あらゆる勝利に喪失がつきまとう。その真実をトゥッティの後にチェレスタが語りかけてくる。ショスタコーヴィチ・ノット・東響の音楽=魔法はこの一点に我々を導き収束する。喪われし死者を束の間この世に呼び戻し語らせる音楽=魔法。
音楽=魔法の正邪を越えた――いや、正邪などという範疇でそれを測ることはできまい――音楽=魔法のその力に存分に浸れた稀有な演奏会であった。
(2022/11/15)
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<Players>
Conductor: Jonathan Nott
Soprano: Miku Yasukawa(*)
Orchestra: Tokyo Symphony Orchestra
<Pieces>
Maurice Ravel: Alborada del gracioso from “Miroirs” (Orchestra Version)
Maurice Ravel:Shéhérazade(*)
I:Asie
II: La flûte Enchantée
III: L’indifférent
Dmitri Shostakovich: Symphony No.4 in C minor, op.43